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第11回「そいつ」12月❸

週一で、同じ映画を見る。ただそれだけ。
観る映画は「遊星からの物体X」、つまり「THE THING」です。

ルール

  1. 毎週1回「遊星からの物体X」をみる

  2. 毎週1回みて、気づいたことを書く

  3. 木曜または金曜の通勤時間で見る

  4. ネタバレとかは気にせず書く


基本は通勤中のiPhone se(3G)。
イヤホンはAppleの有線イヤホン。
ということだったが、最近はもう気にせず休みの日に家で見ることも増えてきた。気にせず楽しみながら観る。

第11回目 12/16自宅

前回からの道のり

(前回の記録からわたし自身の変化)

12/11〜12/13
ストレスフルな3日間でクタクタ
仕事後、前回の記録をまとめる。

12/14(木)
仕事、勉強。
「バスターキートンの大列車追跡」を見る。先日、映画を観る会でキートンの話をきいて、初めて見たけど激ハマり。面白くてずっとニコニコしていた。
気付かずに、半分くらい0.6倍速で見ていたという自分のメチャクチャさに驚いたが、
いやしかし、かなり楽しんだ。トムジェリやルーニーテューンズのワイリーコヨーテの原点はここに有る気がする。
神がかった動作の連続で、その現場で撮っていた人たちもワクワクしただろうに(ヒヤヒヤもしただろうが)。


12/15(金)
友達と会食。本来は4人で会うはずが色々流れ、まあ2人で…と。
しかし、めちゃ楽しくて友だちと遊びやすくなったから引っ越してよかったと思う。
このブログを読んでくれてる人たちに出会う。感謝(驚)。好きな映画や音楽の話とかたくさん聞けて楽しかった。


12/16(土)
友人の髙田裕大さんが清須市はるひ美術館でやっている展示に行った。

清須市はるひ美術館

結論から言うと、みんなに観に行ってほしい。なにか自分もやらねばという気持ちになった。
(結論から言う人は、本当はちょっと苦手)

髙田さんは、実は自分がやってるピーターフォークというバンドのCDのジャケットから装丁までデザインしてくれた。そんなわけで一方的にすごいファン。
髙田さんはいつも実直にネクストステージに進み続けるところがある。
今回は「続・測量の日々」と題されている通り、過去の展示に追加で増やした内容なのだけど、髙田さん史上一番量が多い。

この並べられた物量により、気付かぬうちに観客は写真もない作者「髙田裕大」という1人の測量士と一緒に東海圏の雑木林を分け行っていく。
自分が分け入ってく先で眠る小さな虫、草花は時に鬱陶しくて、小さくて貧弱で、だけど巨大で強かで、そして何にも増して美しい。スケールを変えられた虫たちを前に、僕たちはどんどん小さくなっていく。
この美しさと立ち向かわないといけない罪深い測量士である自分を、まるでゲームのヒーローに見立てたのが「開拓者」シリーズ。
自分を鼓舞してるようにも見えるし、帽子のツバで顔には少し影がかかり何か思うところがあるようにも見える。

絵の個展とかの感想書き慣れてないからバラバラになってしまったが…
これらの作品群の3分の1くらいは、捨てる予定だったチラシを貼り合わせて、その裏に書き残しされていて「それでも描くんだよ」と、こっちに突きつけられた気持ち。それでも描くんだよな…。

「キジ」「ヨウシュヤマゴボウ」については、みすゞ書房とかの本の表紙になってほしい。
清須市はるひ美術館の空間も良かったし、ぜひみなさん行ってくれ!!!

余談。
清須市は初めて降りたが、駅周りはかなり寂れていて、コンビニもあまりない。ただし昔の街道をそのまま使ってるのだろうか、道がクネクネとしていて楽しかった。水路の形と見比べながら、どの道路があとからできてのかなと想像してた。その途中、住居と住居の合間の、1人くらいしか歩けない狭い小路で立ちションをする爺さんをみた。爺さんは壁に向かってするのではなく、道の真ん中に向かってしていた。自分にとって、立ちションは壁にするものという固定観念に気付かされた。

寄り道したかったけど、家で勉強して、遊星からの物体Xを観ることにした。


3時間あったら、3時間の映画を観るべき

今回は自宅でU-NEXT。
理由は簡単、0.6倍速で観るため。うちのDVDプレイヤーでは、音を聴きながらスロー再生できるものがなかった。
U-NEXTなら0.6倍速まで遅くできる。前回書いた通り、友人から0.5倍速の話をしたので、さっさとこれは試してみたいと思ったので実行。

108分の映画を0.6倍速ということは、
180分か…。ちょうど3時間。
夕方1730に家についたし、ちょうどいいよな…ということで再生。

冒頭のシンセ音、ボンボン…がピッチが低くなっている。全然オープニングが終わらないので、ずっと画面越したが黒い。
やっと雪山に変わる。
心なしかプツプツとした音が聞こえる。どうやら風の音やプロペラの音たちやら。または音と音の間の繋ぎ部分が、たぶん解像度が低すぎて、ノイズとなってるらしい。
こういうのを聴き逃したらやる意味がないので急遽ヘッドフォンに変更。いやーな雑音。
細かい、そして要らない雑音がよくわかる。

観はじめて20分、酒を飲まないとやってられないほど退屈。当たり前だよ…。
3時間あったら、3時間の映画を観るべき。いま自分はここ数ヶ月やってきた背徳(音だけ視聴、白黒再生なと)の全ての罰を受けている。そう思いながら観る。寝てしまいそうになると、巻き戻して観る。
バスターキートンを0.6倍速で見た時はこんなことなかったのにな。
焦らされても、その先に待たされてない快楽。悪いのはおれ、おれが遅くしただけだから。

脳みそに隠れた白点

U-NEXTの配信データがどの映像かわからないけど、2018年のDVDに割と近い質感を感じる。4KUHDに比べるとどうしても画質の悪さに気付かされる。
ここで問題になってくるのは、本当に画質が悪いのか、低速再生のために、再生アプリに負担をかけて画質が悪くなってるのか、という問題。
ここは本当に調べようがない。ただし、低速再生をすると見つけられるものもある。
小さな小さな白点。もしかしてチェンジマークの名残なんかな。

それを消しきれないっていうのはどういうことなんだろうか。DVDで同じシーンをゆっくり再生したけど、映らなかった。

こういうものを全く気付かずに観てるんだよなーとか思う。
コレって普段から脳みそが上手に塗り替えてくれてて、そういうノイズを脳内でキャンセルandコンプレッサーし続けてる。
で、スローになった途端にノイズかどうか脳みそが判断できずに認識し始める。
いや、こういうことなんですよ、と思う。
何がかというと、私たちは意味を理解するテンポがあって、そのリズムにのらない不要なノイズを常に篩をかけてるんじゃないかと思う。

このフルイが、目に入る物たちを簡単に必要、不要と切り分ける危なっかしさがついてくると同時に、もしもそれをしなけりゃ割りきれない循環小数の渦に迷い込んでしまうわけで。
循環小数をどこまで追いかけるか…ということは、認識の解像度をどこまで高くするかという問題にイコールする。
これらの、意味にならない粒の世界を汲み取ろうとしすぎては、人間の意識はついていかない。逆に、解像度を削っていけばコンプしすぎた退屈なプロットだけが残される。
動物は身体のサイズによって心拍数のBPMが異なり、そうして寿命が異なるそうだ。結局は、そういう身体に寄り添ったテンポでもって、意味を伝えて汲み取ってるわけで。(もちろんそのテンポは人それぞれで、それ故に汲み取れない意味のズレが難しいんだけど。)
でもスロー再生というのは、伝わるはずだったものすら繋がらなくなる。
眠い瞼を擦りながら、制作者と観客を繋ぐ映画のテンポの重要性に気づく。

(チェンジマークの参考↑)

予測はたった0.1秒で変わる

ゆっくり観ていると、気づくのは暗いシーンの画質の悪さ。
最初に気づくのは、アメリカ基地の看板のシーン。看板の色も影の位置も変わっていないのに、スロー再生の世界では、途中でガビガビと色を変えつづける。
メール送信時に低画質を選び慣れた一般市民にはお馴染みの光景かもしれない。
同系色ほど画質の悪さは際立ってしまう。

事務所のスキャナーで一番画質を低くしたら、紙面の真っ白な箇所で白とグレーとピンクの中間色のなかで、何色にしようか決めあぐねている。
これがどうやら1フレームごと起きている。そのせいでスロー再生すると、決めあぐねた色が、ガビガビの画質として看板の白の上で動き回る。僕たち人間なら数秒間にこのくらいの白と決めて、脳内補正しながら、白と判断してら許された解像度と通信量で認識し続けてる。
これはサブスク時代の情報量の限界に気付かされる。みんなの手元に大量の映画を送るためには、画質は下げないといけない。
僕たちが普段気づいてないとはいえ、その一コマ一コマには、ホンモノのフィルムが持ちえた情報が粗い粗い篩から零れ落ちている。
PDFにしろ、こういうデジタルデータは、解像度をここまでときめたら、載せれる情報量は狭まる。
英語圏の人間にとって「Q」がきたら「U」というアルファベット以外こないように、半導体たちは二進法のスピードを超えるべく、パターン化による効率化で情報を咀嚼し僕たちに伝えてくれる。咀嚼が難しいのは違いがわかりにくいもの、つまり同系色だろう。
似て非なるものをどこまで噛み砕けるか、という臼歯の荒さを決める解像度。
機械のスピードや解像度を変えるだけでなく、僕の脳みその解像度を上げれるのか…
果たして映画を楽しむということは解像度を上げることなのか…?
いや、そういうことではない気がするのだが…

音声の解像度

しかし、スロー再生にするとわかるのは、喋る声の周波数やテンポがかわると、人間の集中力は途端に変わる。
モーツァルトの気持ちいい周波数みたいな話にも近いけど、映画見る時のちょうどいい周波数があるのかもしれない。というかその周波数に飼い慣らされてるのだと思う。
英語が喋れない僕が、英語音声で普段はここまで集中出来てたのに、スロー再生にした途端に眠くなる理由はそうとしか思えない。
実際、ツインピークスの赤い部屋に行くとき、(あれはスロー再生ではないけど、)みんな眠くなりませんか?

0.5倍速で、一オクターブあたり下がるらしい。一オクターブというと、ヘルツが半分くらい下がる。男性の話し声は500Hz、女性であれば1000Hzくらいの高さとかいうらしいが、その半分。
こういう編集ハウツーサイトを見ていると240hzくらいから声と風の音が区切れるらしい。本作の場合、風やプロペラの音まで入ってるから、声なんかよりもっと低い音が2倍近く低くなってる。
そんなの真面目に聞いてたら眠くなる。
バスターキートンの場合はセリフがないから、ラグタイムのピアノがホンキートンクさを増すだけで、全然眠くならなかった。やっぱ声かな。

それに前述にある通り、プロペラの音と音の間のぷつぷつ音が目立ってくる。
ここも結局、音を何分の何まで咀嚼するか…という設定によって、プツプツとしたノイズになるのか、滑らかな音になるのか変化してしまうわけで。
音も画面も、点々の細部を見たいわけでなく、僕たちは、その点から生まれる面を体験したいのだと思う。

点と液体と固体

こういう解像度のことを考えると、私たちはそこまで完璧な解像度を求めていないように感じ始める。
というか僕たちの感覚はとんでもない解像度を、肌や目は耳で感じ取っているのに、それを脳みそが都合よく噛み砕いていると思うのです。
デジタルデータでは、決められたフレーム数の中で決められた解像度で0と1の情報に納め込められてる。
僕たちの世界も身体も0と1の間の"繋ぎ"みたいな情報を読み取ってるのに。
でも本当に目が良すぎて、解像度の高すぎる点を見る必要ってあるか?
実はそんなことなくて、解像度の低い塊の方が強いことはよくある。
この記録10数回のうち、みなさんはこんなことを思っただろうか?
「液体で生きていられるなら、液体で人間を襲ったほうが良くない?」と。
物体Xはリキッドを選ばない、もちろん液体の方が情報の細かな点の中で動き、気づき、そして侵食できる。
でも、南極の人間が住む基地には、季節の変化や、雪嵐、人間との対峙という問題がのこっており、それらに対して、液体のミクロなテンポでは解決ができない。
僕たちは、体を固め、大きくして、ミクロな点を見えないように解像度を下げて、生き物を呑み込む。そして、自分よりも大きな存在、例えばそれは雪嵐のような天候たちに適応しようと解像度を下げ、適応する。

めちゃくちゃな理論展開とは承知だが、結局は大きいものに合わせるというのは、テンポを遅らせ、解像度をおおまかにして飲み込んでしまうことも重要に思えてくる。
物体Xがなぜ液体ではなく、個体を選ぶのか。それは大きなものに飲み込まれないためには、固まり、動的平衡を保ち続けなければならないからか。
動きすぎてはいけない、と賢い人が本を出していたが、もしかすると物体Xもそれを分かってるのかもしれない。

デューク今更家

しかしゆっくり見てると気づけることもたくさんある。
めちゃマヌケだが、なんでマクレディの荷物をそんなに動かさなきゃいけないか、ずっと分かってなかった。だって倉庫あんなに広いのに、リュック動かす必要ないじゃん…とか思っていた。
いや、いまさら気づきました。鍵閉めるからですね…、そりゃリュック取りにいけなくなるもんね…
こういうアホみたいな発見、まだまだありそう。

来週に向けて


来週は普通に見るか…

  • 音無し鑑賞

  • 光のことをもっと考える

  • 顔、そして視線

  • マップ使いながら視聴

  • カメラの位置

  • BGMの特定

  • それぞれのヤられ方

  • 別の言語の字幕/吹替

  • そろそろ原作読む。

無理だったら普通に楽しむ。好きな映画のいいところは、普通に楽しめるこ

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