第10回「そいつ」12月❷
週一で、同じ映画を見る。ただそれだけ。
観る映画は「遊星からの物体X」、つまり「THE THING」です。
ルール
毎週1回「遊星からの物体X」をみる
毎週1回みて、気づいたことを書く
木曜または金曜の通勤時間で見る
ネタバレとかは気にせず書く
基本は通勤中のiPhone se(3G)。
イヤホンはAppleの有線イヤホン。
ということだったが、最近はもう気にせず休みの日に家で見ることも増えてきた。気にせず楽しみながら観る。
第10回目 12/10自宅
前回からの道のり
(前回の記録からわたし自身の変化)
12/2(土)
ライブ、そこんとこグレイト。一人で楽器を弾いたりするだけでもヒヤヒヤ。長兄のc級ホラーの興味の始まり、次兄の角川話が聞けたのが面白かった。
12/3(日)
体調が悪いが、とてもお世話になったちくさ正文館の最後のイベントに行く。古本出店ももあり、そのうちに何冊か購入。キアロスタミの本を見つけて買った。
12/4(月)
勉強が捗る。
12/5(火)
届いたDVD「遊星よりの物体X」を観る。ジョンカペ版を見てしまってるので、ニュートラルに観るのが難しい。面白い部分をみつけつつも当時のハラハラさを感じ取るまではいけず。もう一度見てみることにした。
12/6(水)
帰宅後、2日連続の「遊星よりの物体X」。疲れて寝ては巻き戻す。
好きなシーンはみんなで円盤に気づくシーン。
12/7(木)
ピーターフォークでライブ。共演の方々がとにかく素晴らしい。
風の又サニー、気高さを感じてクラクラするほどかっこいい。ライオンの曲、みんな聴くべき。宮原さん古池さんデュオもクール、穴の音楽と思った、たぶんトロンボーンの口と、ギターのホールを見ていたからだと思う。穴に吸い込まれたり吐き出されたりした。実際、時間の穴に落ちるような音楽だった。
友人の片岡さんから「遊星からの物体X」の当時のパンフレットをいただく。大事に何回も読み返します、感謝!
片岡さんから「いつか0.5倍速の回、楽しみにしてます」と当ブログをしっかり読まれてることに驚き、「4時間行ける日に…がんばります…」と私は日和っていた。
12/8(金)
クタクタ…
12/9(土)
友人の堀嵜さんのトークショーに行く。すごい音楽を作り続けていて泣ける。cafe&bar drawingでの久しぶりのカキ氷、うまい。
前日の疲れが取れず、帰宅して寝て、その後「マイ・ラブリー・フィアンセ」を観る。
ジャンレノ主演のタイムスリップコメディ「おかしなおかしな訪問者」シリーズ3作目。今回のは1にも増して好みの作品。何か得るものがないが、嫌いになる要素が無い。魔法などのワクワクするシーン、こういうの好きだな。
12/10
遊星よりの物体Xの3回目視聴。ストーリーや、画面の構図とかをメモしていく。これだけ観れば、ジョンカペ版との比較もしやすくなってくる。
勢いでジョンカペ版、つまり遊星からの物体Xを観ることに。
1978年のカウチ
今回は自宅の2021年に出た4KUHD。(ただし、同封ブルーレイで視聴)。
ちなみに遊星よりの物体X(以下ヨリブツ)は2018年のDVDで視聴。
ヨリブツを3回見て、こんな古い映画を新鮮な気持ちで見るのは無理と確信。いや、面白いんだけど、カラブツ(ジョンカペ版)に比べると、ヨリブツは眠たい!正直ジョンカペが幼少時に観たときの興奮が全然わからない。
1978年公開の「ハロウィン」では子供達がテレビで放送されたヨリブツに食い入るように観入ってる。1978年のカウチですら僕の席は用意されていない。
まあ、ここは無難に2023年のカウチから、ヨリブツvsカラブツを比較して見てみたいと思う。
もちろん新旧比較というテーマは普段であれば陳腐で退屈と切り捨ててしまうけど、初ヨリブツを経た以上、この課題は避けては通れないと思う。
どうやっても、私は既にヨリブツを見てしまった人間であり、その経験からは逃れられない。体の中にヨリブツは棲み始めてるのだ。
ヨリブツ後のカラブツ体験を整理しておき、次回以降、ヨリブツの経験を客観的に分けながら観ることができるかもしれない
50年代のSF映画
原作未読のため、あまり深いストーリー比較をする資格はない。コレは原作を読んでからしたいと思ってる。
(ヨリブツが原作と異なることは知られており、ジョンカペ自身も原作を読んで驚いたと語っていた。)
ヨリブツの概要程度は整理した方がいいかもしれない。
1950年代のSF映画を語る上では、マッカーシズムを取り扱う批評が多い。そういう批評があるので、知識が乏しい僕はさらっと触れておく程度にしたい。
楽なのでwikiより。
とはいえ、言葉の定義やアメリカの歴史を新書2.3冊読んだ程度の自分からすると、アメリカ全体の雰囲気というか、一般市民たちに反共がどの程度根付いてるのかとか全然イメージは湧かない。
しかし、当時のSF映画にありがちな、空からの脅威、異生物への共感する堕落者などなどの要素を、反共産主義と重ねて観る遊びで面白がれる気持ちはなんとなくわかる。
本作に関しても、いくらか挙げるとすれば…
・米ソが向かい合う北極圏という舞台
・空から降ってきた異星人、最後の警告(ミサイル、宇宙レース前夜から考えてソ連からの攻撃)
・研究者(過度な科学信奉、スパイ活動)
・空軍(人命、感情を優先してラブロマンスとしてのハッピーエンドを選ぶ)
コレだけでも割と
善:悪=アメリカ空軍:宇宙人側=自由:共産主義
という二項に分けれなくは無い。
いや、映画とかって別にそんな単純なものでは無いと思う。なんでも簡単な構造に押し込んで、パズルみたいにストーリーを追うのは退屈だと思う。
でもま、今回くらいこういう見方を抑えた上で、30年の歳月がアメリカの娯楽映画をどう変えたか観る足がかりになるかもしれない。
責任と無責任とコーヒー
ヨリブツを観ていて気づくのは、不謹慎なほどの空軍の無責任さ。終始、自分たちのヘマをヘラヘラと笑い、少しでも不安になればあったかいコーヒーをどうぞと渡す。
そんな軍人たちに、研究者チームは上官に確認しろと懇願し、新聞記者はそれが空軍のやり方か!と訴える。しかたないから空軍チームは、無線の先に上官に確認を取ろうとする。返事は来ない。ならばそれまで確認が取れない間は、勝手な判断を繰り返す。
ここにはいないが、責任者はずっと向こうにいる。彼の意思を理解してる俺たちは、彼がいればこうするはずだ!と強気なのだ。
一度だけ上官の指示と違うことをして苦い顔をしたが、その程度で彼らはへこたれない、すぐに元通り。きっと状況を理解してないんだ、と好き勝手やる。
最後は宇宙人退治に成功し、UFO破壊も結果オーライだったと受け入れられる。まるで今までのことは何もなかったように、ほらなとヘラヘラ笑う。俺たちの判断のおかげさ、と無線に向かって吹聴する。
でも、もしも違う結果になっていたら…?
実は宇宙人も付き合い方を変えれば共存できたなら?実はUFOがアメリカに素晴らしい科学を与えたら?
それでも多分彼らはヘラヘラと笑い続け、コーヒーを飲み、ラブロマンスに浸るのだろう。彼らにとって上下関係は重要だが、責任とかは無縁らしい。
これはカラブツとは全く異なる。
カラブツは無線の先に答えをくれる存在などいない。
答えをくれる存在どころか、答えを知る人間なんて基地にはひとりもいない。
仕方がないから、だれかがその場しのぎの判断を下す。
責任感に耐えられる人間だけが火器を握るし、少しでも疑われればギャリーのように主導者から辞退する。ギャリーは責任感に苛まれて自分から銃を下ろすのだ。
つまりここには、責任に耐えられるような絶対的な主導者なんて1人もいない。
または責任感に無関心でいられる人間なんて1人もいない。
ニクソンを経験したアメリカにとって、絶対的でいつも答えを知ってる主導者なんて見つけられないのかもしれない。
判断なんかせずにジッとその結末を見るだけには酒を飲むだけなのか。
逃したナラティブ投げ捨て
ヨリブツは、監督のクリスチャン・ナイビーがどこまで指揮をこなせたのか、実は製作であるホークスがかなり指揮してたのではないかと問題になるらしい。
そう思わせる点はいくつかあるが、やはりクローズアップの少なさもその一つだと思う。
ヨリブツでは基本的にロングショットが多く、会話に参加する人間は画面内に映される。
誰が誰に話しかけたかは明瞭で、もちろん画面外に話しかけることはほとんどない。
宇宙人の手を解剖するシーンでは、登場人物がぐるりと円を囲み、発言権を持たない人間まで、発言者の方に顔を向ける。
画面は誰かが支配することもなく、誰か1人の感情が物語を支配することもない。だから誰かが怒っていても、喋らないくせにヘラヘラ笑い続ける人間がいても許される。
それに比べて、ジョンカペはクローズアップを撮りまくる。そして画面外の人間が話しかけまくる。画面に映された人間は何を感じているか、それを説明する責任を突きつけられる。
クローズアップはひとりぼっちのシーンだけでなく、物体Xの解剖シーンでは順々にその驚きの顔を映す。望遠で近くのものを撮ってるのかか、後ろはボヤけている。
膝くらいの高さから見上げるショット、障害物越しのショットなど、カラブツで観ても、ヨリブツではほとんど無い。ヒロインの女性を1人撮る時ですら、膝まで映している。
ジョンカペの面白さというと、動くものなどない風景を遠くから撮るだけで、その「何か」を語ってしまう瞬間だと思う。
一方で、ヨリブツは風景だけ映す事もほとんどない。強いていうなら、飛行機から地上を撮る時くらいだが、結局それも登場人物の視点から撮っている。
ジョンカペのカメラは、誰が見ているとかでもない風景を何度も挟む。スティービーワンダーの音楽をかけたまま、娯楽室、医務室と撮り続けるその時間。登場人物のだれも、それらのシーンの責任をとってくれる人間が現れずに、観客は画面から目を離せずにいる。黙って見てろと正座させられた私たちは、次の一手に震えて待つだけだ。
まあ、機材の進歩というのはかなり大きいだろうし、映画技法の進歩もあるから単純比較は出来ないのだが…とはいえ、ジョンカペの密室サスペンスの恐怖を出すための撮り方が面白いのは確か。
30年でサスペンスの見せ方が変化したのだと思うと面白い。
ホラーと志村の間で
80sホラーとかを見るようになったのはかなり最近で、B級C級をみると表情筋が崩壊しそうになることがある。
ヨリブツも、まさに宇宙人が顔を見せたシーンで大爆笑してしまった。これでは製作者に対して失礼だし、1978年のカウチの子供たちからもブーイングをもらいそうだ。
何故笑ったか、宇宙人のビジュアルがいま見ると安っぽいからということではない。そうではなくて、それまでの緊張感と、ヌルっとした登場シーンとのギャップだと思う。
前項で見た通り、ヨリブツでは登場人物が画面外に干渉することはほぼない。その数少ない一例が、宇宙人を目覚めさせてしまった空軍の若手軍人。彼は居眠りから目覚め、その宇宙人(画面外)の姿に慌て、画面外に向かって銃をぶっ放して逃げる。観客は宇宙人の姿を知ることもできないまま、その恐ろしい姿を想像する。
しかし、その答えも後ほど確認できるだろう。ヘンドリー大尉が先頭に立ち、この向こうに奴がいるはずだ…!
決戦の時…とドアを開けたら、そう、まさに開けたら、ドアの真ん前にデーン!
いや、ずっとドアの前におったんかい!
あまりにも、あまりにも、やり口が志村。
なんなら宇宙人も突然ドアが開いたのを驚いたのか、焦って裏拳を放つ。親近感すら湧く。緊張と緩和が、志村の笑いと変わらない。
これほどまでホラーの煽り方が違うんだなと思う。というか、製作者の意図と異なり、志村と感じてしまうのは、こっちが大志村帝国に生まれてしまっただけの話なので大丈夫だぁとしよう。
しかし、ジョンカペのカラブツでは異形をこんな扱いはしない。ノルウェーから持ち帰ったTHINGは舐め回すようにゆっくり映した後、真っ暗闇の中で変身する犬THINGを見せる。
(このあとは腹が開いたりとビックリ系が多くなるが、)
観客に「何が起こるか想像させやすいようにアシスト」を出し続けてる。
事実、ジョンカペは怪物が出てくる時よりも、出るまでの時間にこそ不安を煽ってる。
音楽にしても、過去記録にある通り、カラブツでは不安を煽るサスペンス部分にこそ音楽を鳴らしている。
一方でヨリブツは、無音の中でドアを開け、宇宙人が顔を出した瞬間に音楽を掻き鳴らす。音楽をビックリ要素として使用している。
縦スクロールなら加勢するぜ
光の扱いにしても同様だ。
カラブツでは暗闇は襲われる恐怖であり、同時に観客に向けてTHINGを見せ過ぎずに想像させるための機能だ。
ヨリブツでは、宇宙人にとって暗闇は何らメリットはない。
むしろ戦闘時に明かりを消すのは空軍、人間たちだ。明かりを自由に扱い、そして明るみの下で宇宙人に果敢に向き合うシーンは、観客にとっては恐怖よりも隊員たちの頼もしさを感じる。
最初の宇宙人退治で、部屋中に火をつけるシーンがあるが、それまでずっと横移動の人間ばかりだったのに、奥から現れた宇宙人に対して縦のフォーメーションを組んで立ち向かうシーンに変わる。
画面奥へと火を投げ込む気持ちよさから、魂斗羅のボス戦でもやるかのように、観客は戦いに参加したような気持ちになる。悪者は目に見えててもいい、むしろ目に見えるからこそ観客は一緒に加勢できる。
色褪せたもの、もっと色褪せたもの
古いものと比較して、カラブツが素晴らしいと絶賛をしてもしょうもないことで、ヨリブツを見るということでカラブツの特徴を見つける足掛かりにする程度が妥当だろう。
実は82年のカラブツを何度見ても、どことなく古臭さを感じるシーンはある。
例えば、カラブツでUFOを見つけたシーン。
円盤跡の巨大な穴を見下ろそうとするマック達を、足元から撮るショット。なんというか、いまこういうシーンってあまり見ない気がする。
どういうふうにしたら現代的なのか…というと全然わからないんだけど。ヨリブツと比較してみるとどうだろう。
ヨリブツの前半の研究所のシーンで似たような感情を覚えた。
研究者たちと大尉が、画面手前側に有るモニターを覗き込んでいるシーン。このシーンとかと感覚が似ている。
奥行き=画面の上下という感じで抑え込められてしまう感じがするのかな。
ヨリブツは画面の真ん中にいる人間を中心に、手前・中心・ 奥という三層を、画面の上中下と重ねて撮るようにしてる。ピントとかで奥行きを感じるとかはほぼない。
何が言いたいかというとジョンカペは80年に入っても、かなり昔の映画マナーに則ってるのじゃないかということ。
来週に向けて
0.5倍
音無し鑑賞
光のことをもっと考える
顔、そして視線
マップ使いながら視聴
カメラの位置
BGMの特定
それぞれのヤられ方
別の言語の字幕/吹替
そろそろ原作読む。
無理だったら普通に楽しむ。好きな映画のいいところは、普通に楽しめること。