ドイツ逃避行2024 ❷ ハンブルク前編
ドイツに行きたしと思えども、ドイツはあまりに遠し。
されど、戯言ならべる暇などない、いざ逃げよ。
10/12(土)ハンブルク1日目
日本21時 英国13時(-8h) ドイツ14時(-7h)頃
ハンブルク、名古屋からおよそ24時間で遂に到着。
まだ実感が湧かない…。しかし、入国審査のことを思い出したらドキドキしはじめる。久しぶりに英語で会話するのか…と脳内で必死にイメトレ。頑張れ、頑張れ…と脳内でアワアワしていた。
審査官にハローと話しかける、もシカト。ずっとなんかみてる。おやおや。
隣の審査官とカーリーさんは何やら入国審査のよく聞くフレーズを交わして、エイトゥデイズと答えると、ドン!スタンプ押されて終了。ほえー、と思ってる間も僕の審査官の方は、黙々とデスクワーク、突然ドンっ。
ノー中学英会話。審査官は何も言わずに、僕はセンキューとだけ言って廊下に出た。
なんか拍子抜け。謎にいきり立っていた脳内の外語ペルソナが萎み切り、もうこの旅では外国語喋る勇気ないかも…と思い始める。
途中、空港内のトイレに行くと、男性小便器の中央下らへんにハエのマーク。
日本だと、的(まと)とかのマークで、「真ん中に当てたいー」と思わせる、ある種ポジティブな動機づけというか、ナッジ理論で有名なアレだけど。
ハエなんだ…。ションベンかけたら飛びそうで嫌だけどな。みんなで汚したションベンまみれのハエ飛んできたらヤだな。
15:00頃。荷物をなんとか回収。めちゃくちゃ遅かったけど、JALのエキスプレスマークなんだったんだろうか。遅くなるの覚悟してたからいいけど。
出口に向かうとカーリーさんのドイツ人の友人Vさん合流。なんと車で、僕たちの宿まで送ってくれるとのこと。休みの日にこんなことまで…優しすぎる。
あれほど練習したドイツ語だったけど(550日duolingo)、初めての実践は名乗ることしかできなかった。
会えて嬉しいよ〜とドイツ語で言ってくれたのに、アワアワとなってしまった。なんなら英語でme tooと言えば良かったことに後で気づいた。
ハンブルクの街中は車の運転がめちゃ大変…渋滞もあるけど、古い道が残っているからか、車線が複雑。三車線、四車線が多いものの、突然そのうちの半分が右折専用に変わったり。
道路や車両の感覚に慣れるの大変で、Vさんも「市街地にはあんまり車で行かないな」と言ってた理由がよくわかった。これは大変だわ。わけわからん車線変更でクラクションが鳴り響き、Vさんも「welcome to Germany」と冗談。
地図を見ていて思ったのは、ハンブルクはハンザ同盟の主要都市、つまり船の貿易の街だけあって、その中心部は海から流れ込む複雑な水路と湖が広がっている。それらが陸路を何度も阻むため、道はウネウネとするし、橋のある中央道路に車が集まってくる(気がする)。
それに加えて、教会・広場から放射線状に広がるヨーロッパ都市の構造と加わってるのもある(気がする)。全て推測ですので信用しないでください。
車は路上に縦列駐車が通常で、早い者勝ち。ベンツの2人乗りスマートをかなり見かけたけど、買う理由がよくわかる。頭から突っ込めるもん。こんなに駐車に困って、もはやピエール・エテックスの駐車ギャグ状態。
なかなか止めるところがなくグルグル回っている。Vさんも僕たちに街を紹介しながら駐車スペース探すので、めっちゃ大変だったと思う。
駐車してキャリーバッグを運ぶが、キャスター半壊状態では石畳の上を転がすのはほぼ無理で、手持ちとなる。おもー。
16:00、なんとか予約した民泊に到着。
アルスター湖の近くで、市街の少し東側。
AIRbnbで予約した部屋で、4人くらいがルームシェアしてるらしいのだけど、チャットによると今日は宿主が1人もいないとのこと。4人くらいのホストがいて、1人もいないことあるのか
チャットには鍵の保管位置を書いてあり、「セルフチェックインしてくれ」とのこと。ホストいないと、何かあった時心配だけどな。鍵をとって、階段を登り、部屋の前までなんとか漕ぎ着けた。
と、鍵を何回回しても全然開かない。左に回し続けると2回ガチャと音が鳴るものの…
カーリーさんと交代して、チャレンジ。
Vさんに後ろから応援されながら、5分くらいチャレンジ。左に回したり右に回したり、、、ガチャガチャいうが、ドアを押しても開かない。何度もAIRbnbのチャットの説明を読む。いや、部屋も合ってる。ダメ元で呼び鈴を鳴らす。ドアは開かない…つんだ…
と思ったら、内側からガチャっと開く。え?
中から高身長イケメン優男が。
hey?大丈夫?とのこと。
おるんかい!
後で教えてもらったが、
①鍵は右に2回ガチャと鳴るまで回す
②さらに少し手前に引きながらもう一度右にまわすと鍵が完全に開く。
③この右に回した状態のまんま押し出す
という手順。鍵、古くない?
Vさんとは一時お別れ。感激のハグ。
まじで空港↔︎宿間の移動を助けてくれるために来てくれた優しすぎる人。明日、一緒に観光してくれる約束になっている。
今日も暇ならご飯どう?と誘うと、「明日うちで2人にご馳走する準備をするから、家で料理しないと。」
まさかご飯お呼ばれするとは思っていなかったので、僕たちは歓喜の叫びをあげる。ちょっとちょっとちょっと!優しすぎると人間をダメにするぞ!だいしゅき!
その後、優男のBJさんに部屋を案内された。ホテルのように清潔なわけではないが快適。テレビもついていた。
長い廊下の天井には、キャンプで使うような太いロープが張られて、そこにみんなの洗濯物が干されていた。トイレにはハンブルク映画祭のパンフ、ドイツの売れてるZINE?「REPORTAGEN」がある。面白そうだが、むず過ぎて読めない。
4人でシェアしているアパート(いわゆるWG)で、5室+キッチン等。そのうちの空室をこうやって民泊に使ってるっぽい。
部屋を案内した後、最近いろいろ試して完成したトマトスープをご馳走してもらえた。美味い。みんな優しい。
ルームメイトの女性とも少しお話して、お土産の歌舞伎揚をあげた。
天井が高くて快適だね、と言うと、そうなんよ、ドイツによくある古い建物は天井が高いとのこと。後で調べたら、19c半ばからWW2前までのネオクラシックな建物を総称して「アルトバウ」といって、天井が高いのが特徴らしい。そういえば、ライプツィヒにある「日本の家」活動の本で、そんなことを読んだような。
部屋に戻ると、しかしまあ地味にフライトの疲れが出てたらしく、布団にバタンキュー。
グースカ寝ていると夜になってしまった。
この日は、カーリーさんのドイツの知り合いSくん(20代ドイツ人)とその友達と、僕らとで4人で酒を飲むのだったが、なんか、疲れてしまって人に会えなさそうだったのでキャンセルしてしまった。ごめんなさい。
19時頃、2人で近所を散歩することに。晩飯のいい店を探す。しかし、クソ寒い。上着やヒートテックに着替え、2時間くらい近所を散歩した。
宿の周りからハンブルク中央駅までは明るくて割と歩きやすかったんだけど、裏の道に一本出るとトルコ系の人たちの通りに変わった。
さっきまでは駅前のキザなレストランが並び観光客がチラホラしていたけど、こっちは寒いのにみんな路上でタバコ吸いながら駄弁っている。果物や野菜を売る移民的背景をもつ系の方々。いい感じだな、と思ってたら、途中でものすごい全力疾走する人がストリートを通り抜け、みんな珍しそうに振り返る。なにかに追われてるとしか思えないスピード。怖(core)。
夜中だし、こちとらモロ観光客なので、家の前のストリートに戻ることに。
21時ごろ、宿近くにあった半地下のポルトガル家庭料理の店に入った。
ここはかなり当たりでした。
酢とオリーブで味つけたタコのサラダ、チーズとほうれん草のエンパナーダ、キノコたっぷりのキッシュ。
そしてなにより、pasteis de bacalhauなるもの。激ウマ!!
どうやら干し鱈が混ざってるコロッケらしいんだけど、薩摩揚げとコロッケの中間というか…こんなの近所にあったら買い食いしてしまう。
全体的に塩味の濃いものばかりだったので、少々食べ疲れたところはあるけど、しかし美味しかった…。ビールを一本買ったが、レモンが入ってるやつだった。
料理をしてるのがどうやらポルトガルのママ、切り盛りしてるのが娘さんっぽい。愛想も良く、やること終わるとすぐ外でタバコを吸ってた。
22時頃、宿に戻ってシャワー。お湯と水の配分がむずすぎる。
体があったかいうちに寝る。
ガイドしてくれるVさんから、明日は嵐になるかも…という連絡が来る。
10/13 (日) ハンブルク2日目
6時起床。日の出を見に行こうというVさんのお誘いにワクワクして、頑張って早起きする。
身支度を済ますと、集合時間にすこしギリギリの時間だった。やばい。
小雨の中、走って最寄りのバス停へ。一日乗車券をバス停横の券売機で購入。ベルリン同様、一日乗車券があった。
やってきたバスの運転手さんに「これ市役所いく?」と聞くと、向かいのバス停を指差し、反対車線のバス停だよ!と言われる。
あー、左ハンドルという設定を忘れていた。ダンケ支援と感謝し、反対車線のバス停ベンチに2人座る。
リュックを背負った老夫婦もやってきた。同じ車線らしい。4人でぼーっと待つ…
時間になっても来ない。
日本みたいに時間に正確ではないからだろうなー…(アルゼンチンの地獄のようなバスを思い出す)
あ!とカーリーさんが電光掲示板に流れるドイツ語をみて、驚き。よくわからんが1ヶ月間こっちのバス停は使わなくて、別のバス停にルートを変えてるらしい。Googleマップをみると、「停留所の移転」のアラートという黄文字が出てるけど…。
老夫婦に尋ねると、彼らはカナダからの観光客だったらしく、ドイツ語は読めないとのこと。カーリーさんが自体を英語で説明。
4人でマジかよ〜とトボトボ、電車の駅に向かう。バスの運転手、なんでバス停使われてないこと教えてくんねぇんだよ。
カナダのお爺さんに「君らはどっからきたの?」と尋ねられ、日本だよーと答えると、あー長崎には1991年に行ったよと言われた。おばあさんはガンガン1人で歩いて行く。爺さんは足が痛い。
そしてハンブルク中央駅に着いた。
僕たちは電車で行くことにしたけど、カナダのお婆様は必死に次のバス停を探していた。「タクシーを使ったほうがいいんじゃないか…?」と爺さんがゴネてる。
カーリーさんが「Googleマップみるかぎりバス停多分あっちの方だけど、これも移転してるかもしれないし…あんがいタクシーでも…」お爺さんは、味方を得たりって感じで、なっ!なっ!と、説き伏せていた。
0720頃
電車で集合場所の市役所に向かい、Vさんに激謝罪、雨の中20分ちかく待たせてしまった。
3人で電車に乗って、ハンブルクの港の前を通る。うーん、いいねーと言ったけど、雨雲から若干の日の出が見える程度だったので、Vさんは、hmmm...と言った感じでさっと、次の目的地へ。バスに乗って、連れてきたいところがあるとのこと。道ゆく人は誰も傘をささない。
0750ころ。
フィッシャーマルクト(魚市場)に向かう。ハンブルクの観光地で有名。
「ここにくることある?」と聞くと、「行かないねー。観光客、あとは土曜にレーパーバーン(有名な風俗街)行った酔っぱらいの朝帰りくらいじゃないかな?」とのこと。
レオノール・ブーランジェのアルバムでいちじく売りの声が収録されてるけど、そんな感じで果物を叩き売りするトルコ系のおじちゃんの宣伝ソングを聞けた。歌うまくてすばらしい。録音したかった。
謎のサーモンサンドを買って半分ずつ食べる。「あたし、あんま魚好きくなくて…」というVさんの前で、2人でバクバク。観光地のぼったくり系メシだが、十分美味い。
フィッシャーマルクトの倉庫内でオクトーバーフェストがやっていたので見にいく。
Vさん曰く、ドイツ人は二つのタイプに分かれる。オクトーバーフェストを待ち望んでる人間、そしてもう一つは騒がしくてめんどくさいと思う人間。あたしはあんま好きくなくて、とのこと。
朝8時くらいからみんな飲んでいる。中央ではクリフ・リチャード的なクラシカルな歌ものが演奏されている。チラチラと見て、すぐ外に出た。
それにしても街を数分歩くだけでも、面白い建物が多い。連なった建物はどれもこれも時代がバラバラで、そのレンガもよく見ると色が異なる。修復しながら歴史を重ねてるっぽい。歩いている途中でライブハウスHAFENKLANG発見。ライブのポスターがいっぱい貼ってあってドイツのNW/ポストパンクレーベルMANGELのバンドのポスターを発見。写真を撮っておいた。
海沿いに歩き続ける、またもやすこし小雨が降ってきた。そして、ついにVさんオススメの建築Das Dockland へ。コレがマジかっこいい。
どうやらHadi Teheraniというイラン系の建築設計者が建てたものらしい。
あとで、Tanzende Türmeというビルも教えてもらったけど、これも激クール。dancing towerという意味らしい。
0830頃
そこから旧エルベトンネルに向かって、クルーズ。どうやら船も同じ交通機関が運営してるので、朝買った一日乗車券が使えた。
向かう途中、僕とVさんとが2人になるタイミングができる。日本と違って、街が碁盤になってなくて面白い、古い建物も入り混じってて面白いねと話す。突如、僕の仕事の話を聞かれた。辿々しい英語で説明して、全然好きくない。と伝えると、「ほなら、DREAM JOBなんなん?」と聞かれる。グッ、と詰まり、アワアワとなる。やりたい仕事見つけたことないので十何年も死んだ目で金を稼ぎ、数年に一度海外に来ているような状態。
回答に困り過ぎて、映画見たりするの好きだし何かそういう…とか言いそうになったら、いやそれは趣味っしょ、と一蹴された。
ドイツだと10歳くらいには、どんな学校に通うか方向性を迫られる。(もちろん勉強が出来るかというのが重要だけど)大学に行って勉強して得たスキルで働くか、マイスターや事務職になるための学校に通うか…、自分がどんなふうになりたいか(なれるか)を突きつけられてる。
大学を出たところで就職できるとは限らず、日本とは違って新卒よりもキャリアを尊ぶ。だから新卒はインターンで働いて、マッチする会社を探す。
もちろんVさんは大学出なのでエリートさんで意識高い側の人だと思う。(みんながみんな努力だけではそうなれない社会的問題があるのではないかと個人的には思うが、それはおいておき、)しかし大学を出るまでの並々ならない努力を重ね、自分なりに夢をもって、いまの職場で奥歯噛み締めて働いてるっぽい。運だけで生きてきてる自分が恥ずかしい気持ちになる(話すとめんどくさいので割愛するが、ぼくの運だけで生きてきたレベルも並々ならない)。
神は、私めに与えた渡独旅行をただの慰安にさせたくないらしい。アワアワも恥ずかしさもおさまり、一生懸命説明してくれる彼女のDREAMJOBを聞いて、僕は結局のところ単純な人間なので、恥ずかしさよりも彼女を応援したい気持ちになっていた。建設に関わる彼女は、とてとイキイキとハンブルクの奇妙な建設を魅力的に語る。
0900頃
旧エルベトンネルを歩く。海から流れ込むエルベ川によって、市街地は陸路を遮られる。人々を南北に渡れるように1911年に建てられた最高の場所。エレベーターには自転車もどんどん乗ってくる。どうやら昔は自動車で渡る人もいたらしい。
トンネルの真ん中で謎の少年コーラス団体が並んで歌い始め、トンネル中に響き渡る。キレイやねー。みんな拍手。コーラス隊は歌い終わると何事もなかったように解散した。どういう情緒?
1000頃、近くにカフェを見つけて入って、遅めの朝飯を食うことに。Vさんが店員さんとなにやら話してる。「モーニングメニューがなくて、ブランチだけみたいなの…ケーキもないし。それが嫌ならドリンクだけだって…」
わからんけど、サーモンサンドを半分ずつしか食ってなくて腹ペコだし、そのブランチでええよー、と答えると、本当に…?と心配された。あたしは、ホットチョコのビッグサイズだけでええわ、とVさん。
僕らは、心配されたその「ブランチ」を頼むと、どうやらビュッフェだった。一階に座ったので分からんかったけど、お店の2階に上がると広がるビュッフェゾーン、パン、シリアル、サラダ、ハム、ソーセージ。
正味、朝飯には高かった、メニュー表に載ってないからわからなかった。
楽しむしかないよな、ということで、野菜やらハムやらパンやら載せまくる。両手塞がった状態で、カーリーさんと協力しながらドアを開けて階段を降りる。どういう了見?この店。ビュッフェ前提のくせに、階段にドア2つも設置って。
席に戻ると、Vさんの両手にはクソでかいココア。800mlくらいないか?
われわれのビュッフェもどうかと思うけど、朝飯、それ…?ワテの中のオカン・ペルソナが、ドイツの娘さんの体を心配しています。
店内には犬がたくさん入ってきて嬉しい。ニコニコ。
1100頃。
ご飯を食べて、小雨の中歩いてエルプフィルハーモニー・ハンブルクへと向かう。ここはハンブルクのオーケストラホール。とにかくめっちゃやべー形。全てのガラスが異なる形をしてる。レンガの色が真ん中あたりから大きく違うのでVさんに尋ねると、もともとあった建物を増築したっぽいことを教えてくれた。無料で中を見学できる。
12:00頃。
そこからVさんが仕事で建設に少し携わったというアパートメントを近くで眺める。こちらもカッコいい不思議なデザインだった。面白い形だねと言うと、ニコニコ笑っていた。
そのまま、近辺にあるユネスコ文化遺産として登録されたSchpeicher Stadtを散策。
ここは、エルベ川の中州に並ぶ倉庫街。赤れんが倉庫、的な建物は小樽市をはじめ、日本にもあるけど、ここまで古いのはどうなんだろうか。水路伝いに立ち並ぶ建物はどれも上層部にクレーンのようなものがついている。水路に付けた船から荷物を持ち上げるためにクレーンが必要だったらしい。
13:00頃。
同じくユネスコ文化遺産のチリハウスに到着。ゴツゴツとしてて、でも荘厳と言うよりかニセモノ感がある。好きな雰囲気。
説明書きに近寄る、expressionismという文字。翻訳するとドイツ表現主義のことだったらしい。表現主義って建築の世界にもあったのだな。たしかに一貫性を感じる。
というか英語にして気づいたけど、印象派impressionismの対義語として、表現派でもあったわけだなー。1920〜1930年と言う感じで、映画で見た世界のよう。
二つほど街の主要な教会に立ち寄る。
St.James教会、St.Ptri教会。いずれも古めかしい教会だが、前者は空襲で半壊し、修復したモダンな部分と昔のクラシックな部分とが分かれている感じ。後者は落ち着いたゴシックな感じであった。こちらの教会としては写真撮って欲しくなさそうだったので、撮ってません。
14時頃、ハンブルク市庁舎へ。ネオルネサンス式の剛健かつ豪奢な造り。神殿のような柱、教会のような天井。中庭には神々や聖人、などの装飾が施される。
このあたりで僕は日光アレルギーが酷くなってきたので日傘を差した。
近くには帝国銀行を居抜きしたUNIQLOがあった。しゅごいね、UNIQLO。
1430頃。
植物がテーマのでかい公園Planten un Blumen。歩き回るだけでも楽しい。Vさんが好きな日本庭園に連れて行ってくれた。とても良かった。本場の茶室とは違う?と聞かれて、うーん、違うかもと答えた。どこが違うか、うまく説明できないが、岩の位置がかなりランダムすぎてると思うと伝えた。気づくと周りにはドイツのコスプレイヤーたちが思い思いのポーズを取り撮影をしていた。
Vさんが、この辺に日本のクレープ屋さんがあるらしくて〜、との提案。いいよ!いいけど、あんさん、ホットチョコにクレープって、大丈夫なんか…とオカンが顔を出すも、みんなでテクテク歩いてく。
店の前に着くと、閉店?もしくは開店準備中?なんにせよ、シャッターが閉まっている。OMG!って感じですね。
甘いものが食えないので、最寄り駅中のダンキンドーナツを買って、Vさんちに電車で向かった。
1530-1630。1時間ほど電車で移動。
1630頃。ハンブルクの北側、わりと田舎。お家に案内されると、キレイな部屋。書道と日本刀レプリカが飾られ、アニメ、そして東野圭吾、谷崎潤一郎、太宰治、中原中也などなどドイツ語で並ぶ。日本めちゃ好きなんだな。
ダンキンドーナツ食いながら談笑。水槽の魚を眺める。魚に餌をあげるところを見る。
最近好きなアニメは?と聞くと、「最近アニメ見ないから、モダン(最新)なのは分からないなぁ…クラシックな奴だとブリーチかなぁ」
CLASSIC…。これを聞いて、メダロットの話はしませんでした。
僕たちからは日本の建築の本をプレゼント。wow〜って感じでペラペラ見て、Google翻訳で読めそーとのこと。よかったよかった。
そしてVさんは料理をしてくれた。
トマトスパ、ブルスケッタ、そしてティラミス。うめー!うめーよ!昨日から準備してくれてたなんてマジで泣ける。
うめーと美味しいの違いを教えてあげた。
「多分、私は美味しいだけ覚えればよさそうね」と理解してくれた。正解。
日本の流行の話になって、「ジャパンディ」の話になった。僕たちはまったくそんな言葉を知らなかったので驚いた。
日本(ジャパン)と北欧(スカンディ)のミックスのことらしい。
また来月、日本に来てカーリーさんと会えることになってるので、みんなでニコニコとしながら別れた。
作りすぎたティラミスをタッパーに入れて持たせてくれた。
21時頃、電車に乗って、
22時頃、宿に戻った。
僕たちは夜中のキッチンでひっそりとティラミスを半分だけ食べた。シャワー浴びて、寝た。日光アレルギーで顔が荒れていたが、薬を塗ったら割とひいた。
次回、ハンブルク編 後半のつもり。
ピーターフォークの活動にも大きな影響を及ぼす!