第12回「そいつ」12月❹
週一で、同じ映画を見る。ただそれだけ。
観る映画は「遊星からの物体X」、つまり「THE THING」です。
ルール
毎週1回「遊星からの物体X」をみる
毎週1回みて、気づいたことを書く
木曜または金曜の通勤時間で見る
ネタバレとかは気にせず書く
基本は通勤中のiPhone se(3G)。
イヤホンはAppleの有線イヤホン。
ということだったが、最近はもう気にせず休みの日に家で見ることも増えてきた。気にせず楽しみながら観る。
第12回目 12/22
前回からの道のり
(前回の記録からわたし自身の変化)
12/17(日)
「コシュ・バ・コシュ/恋はロープウェイに乗って」を観る。よかった。内戦の経緯どころか、タジキスタンのことを全く知らないので、始まってすぐの銃撃音に驚き、そうかそういう映画か…と理解する。地面にしがみついている事が馬鹿馬鹿しくなる美しさで、最後まで楽しめた。
12/18(月)〜19(火)
レポート提出!
嬉しくてジョンカペの「ボディバッグス」を観る。っかぁぁあ、面白ぃぃいい。ジョンカペとトビーフーパーが脂の乗り切った傑作。なぜ日本版DVDが出ないんだ。
第一話のガスステーションなんか、普通に今見ても怖いし、まったく無駄がない。安全な管理人小屋から、真っ暗な事務所までのたった数十メートルの緊張と面白さが、30年経った今でも通用する。
12/20
めちゃくちゃ疲れていたが、奥さんがペンネでラザニアみたいなモノを作ってくれた、美味しいし泣ける。そのままターミネーター1を見直してみたが、途中で寝た。ホンダのスペイシーこの頃いいなー。
12/21
誕生日だったので休んで岐阜県美術館に行く。「走泥社再考」という展示。
走泥社は1950年代からの前衛陶芸のムーブメントらしく、1970年半ばくらいまでを取り上げている。特定の数人を中心に、20年の変遷を大きな転換点で章にまとめてある。
説明パネルでは、時代的背景にできるだけ絞り、作品や技法はあまり説明されない。日本の前衛陶芸を盛り上げるという気概だけが共通点だからだろう。そのため観客は作品のみから回答をもらう。
一考もしたことない自分には、「再考」といわれても2023年にどう価値付け、再評価できるかを考えるのは難しすぎた。
ただ、陶芸という制約での形、色、模様、技術への挑戦は次第にわかり、モノ自体の存在感で面白くなってきた、山田光、八木が良かった。
八木一夫がある時期から出し始めたちぎり、絡まり、めくれ、という質感が見応えあり
同館では、2000年代初頭の方法主義を取り上げた特別展などがあった。
建物や周りのオブジェなど興味深いものが多いし、アートコミュニケーター「ながラー」という取り組みも面白かった。
帰りに月のひなたで晩御飯。今年1番通った飲食店だった。ご褒美のご飯。
12/22
クタクタ帰宅。飯食って家で遊星からの物体X視聴。
ホトケサン
ここ1ヶ月くらいは、音声やら吹き替えやら白黒やら、視聴方法の変化に頼りがちなところがあったので、素直にテーマに絞って観る練習をしないといけないなと思う。
今回は各キャラクターの死に様をメモして観るかと思う。もはや何回も見て、当たり前に思い込んできているので、ちょうど良い気がする
始まりの死
映画の最初に出てくる死…というとノルウェー人。銃を持ってギャリーに撃たれた…と思いがちだけど、実際はヘリのパイロット。仲間のミスで落とした手榴弾を拾ってるうちに爆死。この映画で唯一の事故死。
このあと彼のことを語(れ)る人間は誰もいない。このあと出てくるどんな人間よりも、映画としての物語のない死。なぜ逃げなかったんだ、その判断ミスを見るたび悲しい気持ちになる。
名前のない遺体たち
銃を持ったヒゲのノルウェー人は発砲したまま突き進む。そのとき窓ガラスを叩き壊したギャリーが銃で撃ち抜き、殺される。
窓ガラスの破れる音の大きさに対して、一発で左目を仕留められた時の音の軽さ。途端に訪れる静寂。仲間の怪我、他人の死、ヘリコプターの炎、南極の残酷な寒さ。
全力疾走して急に止まった時みたいに、段々と身の回りの「最悪さ」が浮かび上がってくる最高な映画の始まり。
その後、ノルウェー基地で出会う3体の死。一体目は椅子の上で凍った遺体。
手にはカミソリを持っているけど。自殺だと思ってるんだけど、椅子までの血痕があるということは、手首を切った後に歩いてったのか。のどパッカーってのも。
恐怖で顔が歪んでるし、単純に自殺とも決めつけられないのかな。
残りは外で2人分の死。ノルウェーツイン。2人がくっついて死んでる。ガソリンで燃やそうとしたらしい。
これらの名前も知らない遺体は、メンバーにとっての受け取られ方はそれぞれだけど、まだ「他人事」でしかないと思う。
とくに最後は「気味の悪い変死体」で、自分もこうなってしまうかもという危機感はまだ湧いてこない。何があったんだ?という疑問だけ。
何があったんだ?は、原因を追究できても、危機管理能力とはまた別物だろう。
どうすりゃこうならなくて済むんだ?は、自分の身と置き換えて初めて生まれる。
他人の死を我が物にできるか
次の死は、犬THINGのシーン。
犬THINGが二匹の犬を襲い捕食する。ソイツらが捕食し取り込む、数少ないシーンかも。液体攻撃については人間にも有効なので積極的に使うべきな気がするけど、ダメなのかな。
犬THING自体は、チャイルズに火炎放射器で殺される。ソイツは、身体の中に何層も身体を持っていて、今まで取り込んだものを奥から出してくる。ここら辺もまた詳しく見ても面白い気がする。
その後、犬THINGは解剖され、擬態能力が明かされる。この際に、汁で溶けてる犬も並べられているし、犬はすべて解剖してたことがわかる。
犬THINGやノルウェーツインは、生物学者のブレアが解剖し、乱射ノルウェー人は医者のコッパーが解剖。実際にノルウェーツインはもともと人間だったのに、コッパーではなくブレアが行う。
銃殺された遺体の解剖する医者と、人間ともわからない遺体を解剖する生物学者。2人の間で、「他人事」という感覚でズレていく。ブレアは遺体、関連した人々全て破壊しようとするが、コッパーは保管しようとする。
このあとはベニングスの死。
物体Xに捕食されたタイミングが彼の臨終。
逃げ出した頃には物体Xとなってる。初めての仲間の死。初めての困惑。
ここには二つの困惑、仲間の死、そして自分の死を考え始める。何があったんだ?なんて考えている暇はない。
死→解剖という流れもここで終わる。5W2Hをとおさず、論理とかではなく、他人の死を我が物と出来るものだろうか。自身の死のチラつきは、物語の大きな転換となる。
殺すと殺されるの境界線を、つたり手元の拳銃をハズミで向けてしまうような緊張が画面を支配しはじめる。
死ぬならせめて選ばせて
フュークスの死は、焼死体とだけで語られる。と言っても、彼の死を物語るものはメガネのみ。
誰にも危害を加えず、生物学者の助手でしかなかった彼は、自殺を選ぶ。物体Xを倒す勇気もなければ、物体Xとなってみんなを殺す未来も選びたくないし、人間としての尊厳を守りたかった。それなのに彼の死は、ひん曲がったメガネだけで語られる。
フュークスやノルウェー人のように自殺を選ぶ人間は、密室でのパラノイアに苛まれたひとつの結果だけど、その死は、そのメガネは、残された人間たちには何も教訓を残さない。
殺意のTPO
次の死はドック、実は腕を食われるシーンだけで、そこから死んでいく時間はほぼ皆無。仲間を助けようとしたドックが、その仲間思いの善意が裏目に出て命を奪われる。
仲間の死の中でも特別なのは、この後のクラークとウインドウスだと思う。
クラークは数少ない、仲間に殺された男だ。
ここまで見てきた通り、事故死、自殺、物体Xに捕食されるなどして殺されてきたが、ここではついに仲間の手で殺される。後ほどの血液テストで判明する通り、彼は人間だった。
チームのリーダーであるマクレディは手違いで殺してしまったことになる。手違いで殺してしまったけど、それをチャイルズに突っ込まれてもマクレディは拳銃を置くことはない。ここら辺から人の死への感覚が変わってきてることがよくわかる。
その決定打はウインドウスの死。パーマーに襲われて、血だらけとなったところを、マクレディに火炎放射器で仕留められる。
悶える姿を見るとまだ生きているかもしれないが、誰もそれを助けろとは言わない。カウチに座る3人は早く焼けと叫ぶ。ドックのように助けようという感覚はない。自分の命の方が大事だから。
ドックの善意からの死→誤殺への無反応→ウインドウスへの仕留め、と並べるだけでも死の感覚が変わってるのがわかる
このあとギャリーが捕食されて、引きずられていくシーン。顔を掴まれて悶える。触手に絡められてどこからギャリーが消えたかもはやわからない。ノールズも闇に吸い込まれていき、その結末はわからない。
肝心な血液テストを超えて、もはや疑心暗鬼のピークも超えたので、この2人はサラッとしてる。
最後、ラスボスに向かってダイナマイトを投げ、ファッキュートゥーとぶち壊す。
完全に仕留めたかは確認はできない。閉じ込められた密室をぶち壊して、チャイルズと2人きりになってこのまま終わる。
気づけば自分の死すらどうでも良くなってる。自殺も選ばない、ただ待つだけ。
ファッキュートゥーに込められたトゥーは自分も含まれてたんだろうか。
来週に向けて
来週は普通に見るか…
音無し鑑賞
光のことをもっと考える
顔、そして視線
マップ使いながら視聴
カメラの位置
BGMの特定
別の言語の字幕/吹替
そろそろ原作読む。
無理だったら普通に楽しむ。好きな映画のいいところは、普通に楽しめるこ