ドイツ逃避行2024 ❼ベルリン4日目
ドイツに行きたしと思えども、ドイツはあまりに遠し。
されど、戯言ならべる暇などない、いざ逃げよ。
10/18(金)ベルリン4日目
朝800時に起床。今日だけは遅刻できない。今日はついに、Wさんのご実家にお邪魔する。
「父はあんまり英語が上手じゃないから大丈夫かな?」と言われたけど、僕はどうせ英語もドイツ語も上手じゃないから大丈夫ですと思っていた。英語が上手じゃないから伝えられなかったけど。
朝ごはんは駅で済ますことにして、今日の支度を進める。
翌日の飛行機のチェックインができることを思い出して、朝の時間使ってwebチェックインを済ます。
座席を見ると、窓際&真ん中の席になっている。トイレのことを考えると通路側にしたいな…と思って、変更しようとするが出来ない。フィンエアーがここ数年で、座席変更を有料化したらしい。なんだかなぁ…
2人の腰痛を考えると、通路側でいつでもトイレ休憩できる方がいいな…と思って、座席変更を実施。こんな旅行ほとんどこないし、贅沢もいいだろ!と座席変更登録した。
いざ支払いとなると、なぜかクレジットカードのエラー。何度やっても出来ない。カードを変えてチャレンジ。エラー。
どうやら海外からやってるせいで、クレカ認証がうまく行かない。しまいにはワンタイムパスをSMSで送られてくるけど、eSIMに変えてるから受け取れない。国際電話覚悟で、試しに主回線復帰させるがワンタイムパスはこない。チーン。
まあ、そんなら座席変更はいいわ、と座席変更キャンセルした。
そしたら、今度はなぜか「座席選択中」という宙ぶらりん状態に。もとの座席すら所有していない表示。チーーーーン。
これ、つまり僕だけ座席がない状態なのか?まずいよぉ〜こりゃまずいよぉ〜。
「未支払いの会計を済ませてください」と表示されて、完璧なキャンセルが全然できない。もうiPhoneをベッドに投げ、うぅぅぅぉぉおおおとなるが、気持ち切り替えて、もう当日に窓口で話す方がいいわい、と諦めた。英語で話せる実績が少ないのに、なぜか割り切ってしまった。
9:40くらいに宿を出たと思う。昨日買った24時間abチケットで移動。
1010とりあえず集合場所であるgesundbrunnen駅へ。
まだ少し時間があるし、朝ごはんを調達。BIOスーパーにて、パン、キッシュ、アップルサイダー、カフェラテを購入。
安めの一般的なスーパーと、オーガニックで安心(そう)なものを取り揃えるコンセプトのBIOスーパーとある。パン屋コーナーに行って買ったけど、美味しかった。キッシュは日本で見るような厚みのあるものではなく、厚揚げくらいの厚みかな。柔らかい感じではないので、手で持って食べれる感じ。これ、日本にも欲しいな。
1030頃、WさんとJさんと合流。
ドイツ鉄道(DB)で向かう。目的地までのチケットを購入しないといけない。abエリアから外れるため、目的地を指定して購入
たしかREの二階建ての列車だった。
今更だけど、ほとんどの電車には犬も自転車も乗れる。こういう二階建ての車両はでかいから自転車用のスペースもしっかり準備されてて、空いてれば徒歩組のみんなもだらっとできる。もちろん自転車がくればすぐに譲る。地下鉄とかもかなり自転車で乗り込んでくる。すごい圧迫されるけど、まあそんなもんでしょという感じ。
Wさんがもうすぐ冬になるので手編みニットの季節になるので楽しみ。と言って、僕たちにもニット帽を編んでくれることになった。みんなで色を選んで、こんな形がいいなー、と話していた。
あとは、僕たちが昔作った音楽CDをJ&Wさんに渡す。ついでにうちに一枚余っていた、たまの「さんだる」をあげた。Jさんが日本好きかつメタラーなので、意外にこういうの興味あるかなと思って持ってきた。
ふと、カーリーさんが朝の飛行機のチケットの件を思い出し、ためしにログインしてもらうと、Webブラウザから見た画面は少し表示が異なって、座席変更を完全にキャンセルできそうなボタンを発見。なんとか僕の座席が戻ってきた。ありがとー!!
そうこうしてると1200頃、wilmersdorf駅に到着。
駅にはWママが迎えにきてくれた。はじめましてーとハグ。嬉しいねぇ。フォードに乗っていた気がする。
発車すると、駅の周りが本当になんにもない。ボーボーな草原が広がっている。フォードはアウトバーンらしき高速道路の高架下をくぐって数台の車のみが走る道路を突き進む。大きな街路樹に挟まれた道路と広大な土地は、お国は違えど、エル・スールで見たような長閑な景色。数分すると少しずつ町らしくなって来てレンガの家が並び始める。
ご自宅に着いたようで、門が開いており、車は屋根付きの駐車スペースに停車した。
車から降りるとまず目に入るのが大きな庭。というか家庭菜園。何を育ててるんだろうか。
振り返るとご自宅の建屋があり、玄関から背の高い男性が嬉しそうに近づいてくる。どうやらお父様、Wパパだ。
ものすごい背が高くて、大きな身振りで歓迎を表してくれる。喜劇王。優しい笑顔で、ここから10時間近くこの笑顔は消えなかった。
熱い握手を交わし、歓迎の言葉を受けると家に上げられ、なんともさっそくWパパはチーズケーキを並べてくれた。歓迎のチーズケーキ。
「Dekoration(デコラツィオン)」と言いながら、粉糖パッパッと振りかけて完成。魔法の言葉だぜぇといってからキメ顔してくれた。
お話を聞くと、どうやら脱サラ後にこの田舎に引っ越して、菜園を世話しながら暮らし、夏季限定でビストロ的なものを開業してるらしい。
そのため、料理の腕は確かなもので、このチーズケーキ美味しすぎて、おかわりしちゃった。一口目でうまーい!とバクバク食ってしまい、おかわり、そして二つ目もバクバク食ってしまった。おかわりは?と迫られたが。うーん腹いっぱいと答えるとWパパは4分の1にするか?とニヤリと笑って、うんそうすると答えると、なぜか2分の1載せてくれた。ギャグだった気もするけど、文化の違いな気もするし、ヘラヘラ笑って結局食べた。腹パンパン。
1330ころ。そのあと1時間半くらいお庭を拝見することに。
庭のそばには養鶏するための鶏小屋が。
かなり広いスペースでもともとは豚とか牛とかも飼っていたらしい。
ニワトリは8羽もいる。でも、みんなおばあちゃんなので、1日2つしか卵を生まないらしい。Wパパは屠殺したくない(気持ち的にできない)らしく、もうただただ餌を与えるだけの対象らしい。しかも昔はその辺に放し飼いして適当に草を食べさせてたから苦労しなかったけど、キツネやらムジナやらが出て来たせいで、鶏小屋にバリケードを作ることになってしまい、わざわざ餌を与えなきゃいけなくなってしまった。そうやって毎日、貴重な卵2つからさっきのチーズケーキを作ってるらしい。
ニワトリには名前をつけてるんですか?とカーリーさんが尋ねると。全く!とのこと。ふと思い出したように、一羽だけ、gluckenと呼んでたね、とWパパは語り出した。
その雌鶏は孵化させようと抱卵していたらしい。そういう時の鳴き声をドイツ語ではgluckenと表すらしい。孵化することない卵を抱えてるのをみて、退かすのも可哀想なので放っておいた。ある時、もう抱卵をしなくなり、gluckenと鳴かなくなったので、もう名前を失った。
鶏小屋から50mほど離れたところに養蜂の巣箱があった。養蜂ですか?と尋ねたら、そうだ!ハチミツあげるよと、Wパパがダッシュして持って来てくれた。なんとまぁ…!自宅で食べたけど、けっこう甘味や苦味や酸味など複雑な味で、パンだけでなくしょっぱい料理にも合う。覚醒するような味だった。
庭を案内されると、ここがとにかく自由な庭だった。基本水をやってほっとくし、あまり雑草も抜かないからボーボーとしてる。生えてる野菜は時期が過ぎちゃった野菜もたくさんで、大きくなりすぎちゃってるものもあった。パパママの2人では、なんだかんだ収穫が大変なのかも。
収穫しても冬の間の食料で取っておかないといけないので、畑の地面には小さな保管場所が準備されてて、中にはジャガイモが入っていた。一つ一つ野菜を紹介されて回る。日本で見たことない野菜だとホースラディッシュ。初めて見た。西洋ワサビってものになるらしい。
とにかく大量のハーブがある。みんなで指で摘み、嗅いで、口に入れて、味わう。あー!
きもちぃぃ。フェンネルの葉の匂いを嗅いだ時、家で使ってる時とはまた違う匂いがした。
ハーブやカリンの木?のそばの小屋には、レンガのようなものが積んである。お話を聞くと、この辺にいる白い羽の小さなハチが珍しいハチらしく、蜜は取れないけど、ハチに巣を提供してるらしい。
1500頃。素敵なお庭を拝見した後、自転車に乗って、探索しませんか?となった。なんと6台もの自転車を準備してもらえた。
僕は日光アレルギーなので完全防備をして出発。
準備してくれた自転車がブレーキが前輪しかなく怖いなと思っていたが、コースターブレーキというものだった。これはペダルを後ろに回すと後輪ブレーキがかかるという代物。途中まで気づかずに、Jさんに教えてもらった。これ初体験だったけど、ものすっごい面白い。なんかゲーム機とか乗ってるようだった。
さて、林の中や湖のそばをガタゴトガタゴトと片道10キロくらいのサイクリング。かなりゆっくりと走って、みんなで景色を眺める。Wパパが、この辺は氷河期に集まった氷によって湖や川ができたんだよ的なことを教えてくれた。
この辺には湖が5つもあるそうだ。20分ほど走ったところで、湖畔に立ち寄った。気持ちのいい景色、鵜が遠くにいるのが見える。
「あれは日本語でなんというの?」と尋ねられ「鵜」と答えると、「u!?」と、日本人同様、母音ひとつでいいの?というリアクションをしてくれた。みんなで笑った。
それにしても湖の近くだからか、大きな木の足元を覗くと結構な割合でキノコに出会える。Wさんがキノコを見る時の注意点を教えてくれる、輪があるかどうかも大事…など教えてくれて、最終的に、とはいえ特定できそうにない奴は触らないことよ!との結論だった。
ほとんど車も通らないので、6人が自転車に乗っても迷惑にならない。さらに30分ほど進むと古くから続く村の教会に辿り着いた。木組とレンガから想像するに相当古い。
建物の中には、教会と村の歴史について幾つも解説があった。床のレンガには猫や犬の足跡が残してある。悪魔の足跡だ、という言い伝えになっていた。
かつて近くにあった橋の模型も展示してあった。ここら辺は十字軍がポーランドと戦ったあたりらしく、湖や川に橋を築くことは戦争においてかなり重要だったらしい。その時の柱の木が展示されており、めちゃくちゃでかかった。
教会の鐘塔に登ることができ、大きな鐘がつられている塔のてっぺんの部屋に上がることができた。真っ暗な埃っぽい部屋の四方にある窓を開けて、景色を眺めることにした。ガチャリと窓をあけると、ちょうど西日が差し込んできて、窓際に集まった皆の顔に暖かなオレンジ色が覆う。眩しいと目を細めるも、窓から見えるどこまで広がる雄大な景色と、氷河期から続くその湖たちを眺め、なにか達成感めいたものを感じる。ドイツにいる、ということを急に思い出した。
塔を降りてホールに戻って気づいたのは、信者が腰掛ける長椅子に対して、説教台が真正面ど真ん中に占めている。プロテスタントの教会の多くは説教台は横脇にある気がする。
Wさんに尋ねると、私もわからないから教会の人に聞こう!と、掃除してたおばさまに尋ねてくれた。ベストを着て掃除道具をもつ彼女は、「もともと壁際にあったんだけど…。祭壇を建て替えることになって、祭壇が席からみて左手の壁に移っちゃって。それで説教台を置くスペースがなくて、ど真ん中になったのよ」的な説明だった。なんか、田舎の使いやすさ重視、という感じで良かった。説明してくれたおばさまはツインピークスに出てきそうな、なんか魅力的な人だった。Wママが、ヨガ友達なのよ、と教えてくれた。
さて、ここまできたけど引き返すかい?と聞かれた。ドイツのこんな所まできて、まだ向こうに面白いものがあるなら見たいなと話した。と、そこから30分のライド。すこし坂道が増えて、ギアが少ない僕は立ち漕ぎでギコギコと。道も舗装されていないので、下り坂は少し怖い。汗を少しかく。
到着したのは、丘の上から5つの湖を見下ろせる場所だった。いままで見た景色でもっと感動した景色はあったのだけど、なんというか上手く言えないけど、ここが自分の折り返し地点のような気が一瞬した。一瞬だけの気まぐれかもしれないけど、そう思った。
Wママがみんなにバナナを配ってくれた。
Wパパは標識の地図を見ながら、氷河期の影響をもう一度教えてくれた。
みんなで集合写真を撮った。この一瞬がまだ忘れられないでいる。
帰り道、みんな少し疲れてしまってゆっくり走った。僕も少し会話に参加していたけど、なんかあの瞬間に意識が止まってしまって、ぼーっと漕いでいるうちに、Wママと僕だけはみんなを置いて走っていて、50mくらい差をつけてしまった。
無口な僕に気を遣ってからか、Wママは僕に積極的に英語で話しかけてくれた。
「仕事は何をしてるの?」と聞かれて、オフィスワーカーだよ、と答えた。どんな業界と聞かれたが、ニッチな業界で英語で言っても伝わらず、ドイツ語の単語もわからなかった。彼女はそっかそっか、と言った感じで、「それで、順調なの?」と僕に尋ねた。僕はハンブルクのVさんとの会話を思い出しながら、正直、好きくないよ、と答えた。すこし恥ずかしくて笑ってしまった。
彼女は少し慈愛をこめた感じでそっかそっかと答えたので、またもやdream jobの話になるのではと身構えてしまった。
彼女の反応は違った。「わたしもオフィスワーカーよ」と言って、口角だけ上げて仕事の話をしてくれた。要約するとだいたいこんな感じ。私は社会福祉に携わる仕事をしていて、あなたと同じように机にずっと座ってカタカタやったり、人と話したり。まあ、嫌になっちゃう時はあるんだけど、なんとなく今の仕事が気に入ってるんだ。
そうやって、そこまで得意じゃないであろう優しい英語で話してもらって、僕は、とても、良いですね、と素直に伝えられた。そのタイミングで家に着いた。
みんなも少しだけ遅れて到着した。自転車を片付けて、家に入る頃にはもう夜の帳が下り始めていた。
1830頃。W家とJさんの4人が忙しなく台所で働いている。僕とカーリーさんはその大きな背中の並びをみながら、賢い犬のようにダイニングテーブルに腰掛けて晩御飯を待っている。
晩御飯は、かぼちゃのポタージュとパンが出た。北海道のスープだよ、と言われてなんのこと?と思ったが、ドイツにはホッカイドウって品種のカボチャが有名らしい。
カボチャのスープには上からクリーム、バジル、スモークサーモン、ナスタチウム(ピリッとする)、そしてカボチャ種オイルをトッピングした。
うんまぁぁぃぃぃぃいい
あまりの美味さに3回だか4回だか、おかわりしてしまった。こんなにポタージュで感動したのは初めてだった。地元の飲食店でこんなの出たら幸せだなぁ…
そういえばパンも、スーパーで買ったという、「半熟パン」を食べた。半熟パンというのは僕たちが勝手につけた名前なんだけど、どうもオーブンを使って、パンを発酵and焼き上げまでするというもの。売ってる時点はまだ完熟ではないらしい。これも美味しかった。これならパンの保管が長持ちするのかな。
そしてWパパが、フライパンに火をつけ始めて、何かを焼き始めた。パンケーキとクレープの間のような料理。なんて名前だったかな…。
あまりに大きいから、ひっくり返すときに膝を最大限に駆使せねばならず、めちゃくちゃ床をドン!ドン!と踏み鳴らしながら焼いてくれた(そして時々失敗していた)。そのおかげで、座ってる僕たちも驚いて会話が止まった。膝、大事にね。
三種ものジャムを準備してくれた。プラムだったと思うけど、酸味があるやつが美味しかった。これは子供にはわからないのよね、とみんなで話した。
リビングに案内され、たくさんWさんの絵や焼き物を見せてもらった。あとは東ドイツ時代の大きなストーブが部屋にあった。陶器でデコってある。
僕たちの生活や音楽の話を聞いてくれた。いつかライブを見てみたいね、とニコニコ聞いてくれた。弟さんのハードコアパンクの話もした、いつか見に行きたいんだけどな、と言っていた。
もう帰る時間だった。時間の流れがもうよくわからなくなっている。
20時頃。みんなとハグをして、Wママの運転で最寄り駅まで送ってもらうことになった。Wパパとはここでお別れ、寂しすぎた。最後まで笑顔は消えず、サービス精神たっぷりだった。
夜の田舎道を走らせ、アウトバーンの下を潜ったあたりで突然、NDW(ノイエ・ドイチェ・ヴィレ)の話になる。Wママが懐かしい!と言って、歌ってくれた。
たぶんこれだったと思う。
嬉しくなった僕とカーリーさんとWママと3人でアンドレアス・ドラウを口ずさんだ。
ドイツの80年代を駆け抜けた女性とドイツの音楽をただただ口ずさむ時間。音楽は偉大だ、とりわけポップミュージックは。
今日は泊まってくWさんとJさんとは、また会おうねと何度もハグと握手をした。
最後にWママは僕にハグをして、そして目を見ながら笑った。
「あなたはまだ若いんだから、何をしても良いの。どんな仕事をしても良いから、幸せになれば良いのよ」と言ってくれた。忘れられない言葉となった。正直泣きそうになった。
やがて電車がやってきたけど、この駅から乗るのは僕たちだけだった。閉まったドアの前でずっと手を振った。フォームに立つ3人もずっと手を振ってくれた気がした。
そうして、ドアガラスは真っ暗な田舎の森と反射する僕たちの顔だけを写した。
2230頃だろうか、そうして駅を乗り換えて、宿に着いた。
宿には誰もおらず、宿主の部屋のドアには大きなタオルがかけてある。
そしてその晩は寝た。
次回、最終回。
劇的なことは起きないが、面白いこともたくさんあった。乞うご期待。