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「#07」死を予感した午前は意外と静かに


みなさま、こんにちは。カンボジアシヌークビル在住のそくあんです。
前回のあらすじはこちら。



絶望の極致に置かれた父の未来に希望はない。もう、死んでしまうのだから。午前中のある日、新しい幹部が父の家に訪ねて大きなトラックが迎えにきます。そこには4人の成人男性。父を含めて5人です。
だれもが死を覚悟した瞬間です。

「死の恐怖」



思わぬエンジントラブルで不穏な予感


ポル・ポト内戦時代の死の恐怖は、人々の間に広まった極度の不安と恐怖を引き起こしました。人々は、自身やその家族がいつ命を奪われるかわからない恐怖にさらされていました。自分の考えや感情を隠したり、他人との信頼関係を避けることが必要でした。

幹部が家まで迎えに来て大きなトラックに乗せた。しかし、その車はエンジントラブルで発車することができなかったという。
困り果てた幹部は時間が経つにつれてエンジンがかからないことに困惑な表情です。やがて、日中が過ぎてもエンジンはぴったりと音を立てずに沈黙し続けた。父親は辛い時間を過ごしながら、予定通りに進むことができないことを祈ります。夕暮れが迫ってくる中、日が沈み始めた。

結局、エンジントラブルのせいで幹部の予定は完全に狂ってしまった。どうやら苛立ってる様子です。
高床式の幹部の家で泊まることになったがその晩、一睡もできずに朝を迎えたそうです。明けることのない闇が父親を包み込み、絶望の中で奇跡を信じ、朝を迎えました

「もう殺される」そう覚悟をしたそうです。

幹部による食事担当の選定


翌日、 幹部たちはトラックに乗せた5人に料理のできる人物がいるか尋ねる。真実を伝えれば殺されるかもしれない。しかし父親は挙手しました。
身体の震えが止まらなかったそうです。
他の4人は別の場所に連行されその後、戻ってくることはなかった。
それらが何を意味しているか父親はすぐに理解した。
父親は幹部の食事担当に任命され、自らアヒルや鶏を捕まえ調理します。

以前、飲食店で働いた経験が役に立ちました。
それからは漁港や農業に従事することなく、一日の大部分を幹部の台所で過ごし就寝場所は台所でした。また、近くにため池もあったので、入浴することはできましたが、歯ブラシがなかったため、時々、調理に使った炭で歯磨きをしていたそうです。

「命が助かってよかった」

過酷な労働者への虐殺会議


1978年春頃から、父親によるとポル・ポト派の会議が行われていたという記憶があります。この会議の目的は、ベトナム領内の農村で大量虐殺を計画することでした。
また、労働力とならない人々の名前を一覧にして、彼らを連行し尋問し、そして虐殺する予定だったようです。

当時、クメール・ルージュの兵士たちも食料が不足しており、特にお米の確保が急務とされていました。幹部からも食料の確保が指示されました。
この時はすでに交通機関が完全に破壊されていたため、兵士たちや幹部たちは徒歩で目的地まで移動するしかありませんでした。



次章-ポル・ポト派の敗北 -


父親の実話に基づいて書いてます。

なぜ私が日本を離れてカンボジアのシアヌークビルに移住したのかに興味を持ってくれる方、将来の海外移住を考えている方や子供の教育について考えている方、またはカンボジア全般に興味がある方は、ぜひ私のnoteをフォローしてくださいね。

最後まで読んでくれてありがとうございます☺

SOKOEUN

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そくあん
カンボジア、時に日本。 知らない世界を学ぶのが好き。カンボジア南部海辺街のシアヌークビルで暮らしてます。 皆様の暖かいサポートをお待ちしております。