[#17]命が尽きるまで生きる。
みなさま、こんにちは。カンボジアシアヌークビル在住のそくあんです。
前回のあらすじはこちらです。
お水を一切飲まなくなって
病気が進行し身体が衰弱していく母親はお水を飲むことも拒むようになりまして、一口も飲むことはなくなりました。
体内の水分が失われていくのが皮膚の乾燥でわかります。
もう先が長くないのかも。そう思ったらバチが当たるとはいえ、看護師さんや主治医の会話が聞こえる。
一刻を争う何かが起きて、緊張感ある現場だというのがわかる。
ベッドに横たわり人口呼吸器をつけている母親はもう自分の力では歯磨きも着替えも何もかも、できなくなっていきます。でも意識は確かにあります。
肌を優しくマッサージして
乾燥した肌に軟膏クリームを塗りながら優しくマッサージをします。
母親の肌に触れるのは小学生の低学年以来のことでしょうか。
なんだか気恥ずかしさもあって、はじめは先っちょだけを。
軟膏クリームを自分の手のひらに乗せて、母親の腕にそっと優しく塗ってあげます。
上腕筋のあたりに少しだけクリームをのせてみようかな、そして薄く伸ばしてみよう。
白く乾燥したカサカサ肌が潤うのがわかります。
手の甲、平、親指、人差し指、薬指と一本づつ愛おしむように塗ります。
2人だけの世界は無音でした。
左腕を塗り終えたら、次は右腕です。
もうダメ、泣きそう
10分、20分と時間が経過していく途中で、
母親とのこれまでの思い出を回想していく「私は愛されていた記憶」が蘇ります。ちゃんと温もりがあったんだ。好きだったんだ。この人からの愛を一番に欲しくて、一番に認めてもらいたくて、愛を確かめたかったけどうまくいかなかったんだよね。
で勝手に、「私は母に愛されていなかった」と心がぽっかり空いていたこと。
もう泣きそう。いや、泣いていたのかもしれない。
その時の気持ちを早くnoteに記録しておけばよかった、
親に涙を見せるのが恥ずかしく、私は下を向き鼻を啜ります。
仰向けになっている母の目はあいているし、意識もしっかりしているが私の表情は見えず、音も聞こえません。良かった。
鼻を啜る音が響くも、私は手を止めることなくクリームをゆっくりと塗り続けます。
もしかして最初からこうなる運命だったのか。
どのくらい時間が経過したのだろうか、腕を塗り終えたら次は足です。
難病診断の前は足がむくんでいたのが今は骨が浮出て、皮だら。
真冬の季節。
かかとの乾燥が一番ひどい。
確か、足のサイズはとても小さく22.5cmだった気がする。
なにかにつけて足が小さいことを周囲に自慢していたっけな。
そう、娘の私は26.5cmで母親とはずいぶん違っていたの、
これは完全なる父親の遺伝ですね。
赤ちゃんのような小さな、小さな、足の指を一本一本、塗ります。
なんか、恥ずかしいな。照れくさいな
足のカサカサした粉は一瞬で消え潤いがでてきたのです。
最後のお誕生日
2019年2月8日。
自発呼吸が困難で人工呼吸器をつけている母親。
呼吸は確かに苦しいのですが、不思議なことに字を書くことも読むことも、できるくらいに意識はしっかりしています。
ほらっ。
手をあげる事だってできる。
この日は母親のお誕生日です。
サプライズで写真のデコレーションをしてくれました☺
まさか、これが最後のお誕生日だとは母親も私たちも知らず。
まして母親は自分の病気が必ず治ると最後まで信じていましたし、
私たちも余命があることを告げませんでした。
そしてこの日を境に母親の容態が一気に悪化していきます。
さっきまでの元気な姿は消え血中酸素濃度も低下していきます。
回復見込みはもうないのでしょうか、
主治医も看護師さんの動きが慌ただしい。
どこかに電話しているようだ、看護師さんたちも一刻を争う何かがあるようだ、
その時、私たちは何も知らなかった。
白い光の向こう側に楽園が待っていることを。
もう痛みから解放され苦しみもなくなる、それでいいのかもしれない。
こっちの楽園においで。
そう、誰かが囁き手招きしているかのようだ。
今日はここまでにしますね。
最後までお読みいただきありがとうございます。
次章で勇敢な母親の物語は最後となります。
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SOKOEUN