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記憶の記録14

定時制の高校で、自宅から通えるのは2校あった。
工業系の熊工と、単位制の湧心館だ。

元々建築物が結構好きだったのと、当時住宅リフォームのテレビ番組「ビフォーアフター」が流行っていたのもあって、熊工の建築科へ入学した。
ほかには電気科と機械科があった。同級生になった女子は中学の時の後輩が1人と、他の中学から来た子が1人、いかにもギャルですみたいな子が2人の、計4人と思っていたより多かった。

定時制高校、というとバラエティに富んだ生徒が魅力の一つだと思う。
いかにもなヤンキー、勉強し直したいという社会人、不登校だったりして”普通”の高校生活がきついという子、経済的理由で定時制に来た子、留年しまくっている謎のお兄さんなど、”普通”から外れた人達が集まってくる。
最初はたしかに怖かったが、慣れて面白がれるようになると、世界が一段広がるので、怖いもの見たさで入学するのもいいかもしれない。笑

私が入った建築科には、中学卒業後そのまま入って来た子から、50歳手前のおじさんまで、実に個性豊かで賑やかな面々が集まっていた。
教諭は他の科より手を焼いたことだろうと思う。曲者ばかりだった。

生徒と同じように、教諭もまたバラエティ豊かで、”普通”から少し外れた人達が集まっていた。
自ら希望して定時制に来たと言う勇気ある人もいれば、ああ飛ばされたんだろうな、としか思えない変わり者の教諭もいた。
比較的ベテランが多く、考え方が古い人がほとんどだったが、長年定時制にいて”やんちゃなガキ共”をたくさん相手にしてきた教諭は話の分かる人もいた。
総白髪の優しいおじいちゃん先生や、たくさんおしゃべりしてくれるシビアな先生は癒しでもあった。
現実的で厳しい言葉もよく投げられたが、全てが事実であったし、それだけ生徒たちと向き合っているんだな、というのがよく分かった。
そんな人生の大先輩達から学んだことも多く、私は当時の教諭陣に出会えて幸せだったなと思う。

1年次、いわゆる熱血漢と言う感じの真面目な男性教諭が担任だったが、自由奔放な生徒たちに振り回されていた。
日に日に蓄積していく疲れが目に見えるようで心配したものである。
結局、翌年別の定時制高校に異動になってしまったのは、あいつらのせいだろうな、としか思えなかったし、ただただ可哀想だったなと思う。

生徒も教諭も、それぞれの人生が垣間見えるのが切なく、面白い場所である。

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