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記憶の記録5

近年は春と秋はどこへ行ったのだろうと恋しく思ってばかりだが、当時はまだ都会でも四季は感じられた。
しかし、丹波山村での四季は比べ物にならないほどはっきりと分かれていたように思う。

春。雪が溶け始め川の水量が増す。緑が芽吹き、村中の桜が咲き、山は鮮やかな彩りを湛えた。日を追うごとに風が温かくなり、陽は優しく、着る服も薄くなっていく。
夏。陽射しは強くなるが、おかげで多様な木々が木陰を作ってくれる。湿った土の匂いと、決して鬱陶しくない蝉の声。汗を流しながら遊びまわり、喉が渇けば湧き水をがぶ飲みする。川へ遊びに行くと、楽しいだけではなく危険なことも教えてくれる。急に深くなる川底に安定を失い、溺れて混乱しているところを引き上げられたのもいい思い出だ。
秋。全てが朱く染まる。朝晩の寒さが手足にしみるようになると、一気に紅葉が進み山々は赤、朱、紅、黄、橙、茶で覆われ、所々に常緑樹の深い緑が顔を出す。冷たくなった風がぶつかる道の角では地面に小さな渦が巻かれ、葉っぱたちが踊らされていた。それを踏んで遊ぶ。
冬。水回りが凍り始めつららが出来、雪が降り始める。雪深い、とまではいかなかったものの、雪合戦ができる程度には毎年積もっていたと思う。肌に刺さる風を頬に受けながら、高齢者の憩いの場所であるゲートボール場に水を撒いて凍らせたスケートリンクで、体育の授業をした。冬眠する野生動物が眠る静かで寂しい山は、雪で眩しかった。
そしてまた春が来る。ウグイスの声が賑やかになり、季節が巡っていく。

山は好きだ。
特に秋、冬の山が恋しい。物悲しいような、侘しいような。
独りになれば、自然の中に抱かれる感覚と、自らの存在の小ささを知ることができた。
死ぬ前にもう一度行きたい。

スケートはそこで覚えた。学校が冬休みの間はリンクは解放されていて、中学生のお兄ちゃんたちがやるアイスホッケーの迫力に目を輝かせていた。
自転車と似たようなものだろうか、一度滑れるようになると体が覚えているらしかった。引っ越した後、多くて年に1~2回しかスケートリンクに行けなかったが、滑り始めて30分もすればするすると滑っていた。
ただ、スケートに慣れていない人たちの、スケート靴の紐のゆるさが気になってどうにも集中できなくなり、ここ数年は行かなくなった。スタッフも注意しない。あれでは捻挫するし、いつまでも滑れるようにはならないし、いいことは無いと思う。
筋力も落ちたし、さすがにもう滑れないかもしれない。残念だ。

本当に、お願いだから、初心者は、紐はぎちぎちに上まで締めて、足首を固定して、しっかり守ってくれ。頼むから。

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