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記憶の記録 脇道1

昨日の午後、ふと何の気なしにテレビをつけてみた。
聞こえてきた音声が「メロディー橋」という単語を形成する。えっ丹波(たば。私はそう呼んでいる)の!?と思いつつ、いやそんなまさかメロディー橋なんて全国にあるし……あっ橋の下のあの川の造り釣り堀じゃん!完全に丹波じゃん!!声にするのは耐えつつも情報を追う。
3秒後、私は叫んだ。なんと本当に丹波山村だったのだ。

ひなびたび、という番組だった。ひなびた村を自転車で、という内容だったようだ。ちなみに初見。あの山奥の、ほとんどが坂道の村を自転車で、というのは大変そうだった。
最近、丹波山村のことをよく思い出しているのもあるし、なにか引き合うようなものがあったのかもしれないと思うと、少し不思議で面白い。そういう目に見えないけれど感じるもの、は否定せず面白がるタイプだ。

メロディー橋に始まり、河原、道の駅、ローラー滑り台、野生の猿、小学校、温泉……建造物や道路などは綺麗になっていたし、温泉施設がしっかり作られ、道の駅は結構充実しているようだった。キャンプや観光のほか、ジビエなどにも力を入れているとのことで、それなりに賑わっている様子。

私が住んでいたのは約30年前のことなので、変わっているところがほとんどだと思う。
それでも、山々の景色や道路脇の木々、落石止めのフェンス、小学校へ登っていく坂道や石垣など、ぼんやりと記憶に残っている”風景”はそのままだった。きっと観光の為に開発など進んでいるのだろうが、雰囲気というか、村の空気はそのままだったように見えた。

どうにも涙無しでは見られなくなった。懐かしさと、そこへ戻りたいという気持ちが溢れてきて堪える。つらくなってくる。結局、妙にメディア慣れしてそうな芝居がかったおばさんが出てきたのをきっかけにテレビを消した。
録画しとけばよかったな、とあとになって気付いたが、時すでに遅し。

丹波山村は、私にとって一番”綺麗”な場所だ。
自然や環境はもちろんのこと、人間として生きやすく楽しい思い出ばかりができた。もう少しそこで成長していたら閉鎖的な人間関係に巻き込まれていたかもしれないが、その前に引っ越してしまったので、楽しかった記憶しか残っていない。
その場所に、その時に、戻りたくて仕方がない。
時は戻らないと分かっているし、現実的に考えればもう住めないとは思う。ただ、死ぬまでにもう一度訪れたい。

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