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記憶の記録9

ほとんど思い出せない神奈川での暮らしは、一年で終わりを迎えた。
小学5年生の夏休みに、次は両親の実家がある熊本へ引っ越した。

ちなみに通っていた学校へは、夏休みに入ってから引っ越しを申し出、手続きをした。
もっと早く分かればお別れ会やったのに~、と担任に言われたが、それをやってほしくなかったから夏休みに入ってから言ったのだ。
最後までなにも分からない担任だった。

熊本県熊本市。昔は県内に市は熊本市しかなかったので、ある程度の年代から上の人たちは、熊本市のことを市内と呼ぶ。
家は、父方の祖母宅の隣にあった、その祖母が所有する戸建てを借りることになった。
母方の実家も自転車ですぐ行ける距離にあり、母親としては比較的楽になったのだろうと思う。

また引っ越しか、と当時の私は憂鬱だったに違いない。というのも、やはり思い出せないことが多いのだ。
ただ、自室が少し広くなったことは嬉しかった。

登校初日。学校は各学年3~4クラスずつある規模だった。その全校生徒が集まる始業式で、弟と共に前に立たされ挨拶をさせられた。そこは頑張った。
その後自分のクラスで改めて挨拶をしたが、怖くて涙目になり、声が震えた。クラスメイトには異様な転校生に見えたに違いない。大いに戸惑ったと思う。
それでも、いろんな子が声を掛けてくれた。その中心はやはり今時の子、という感じで、どうしても恐怖心が先に立った。

熊本は公立の小学校でも、まだ制服があるところがある。
その学校も制服があった。しかし着こなし方は様々で、女の子ならサスペンダーでつるタイプのスカートを短くなるよう調整したり、当時流行ったルーズソックス履いていたり、男の子ならシャツのボタンを開けたり、オーバーサイズのベストを着たり、腰パンにしてみたり、といった具合だ。その着こなし方で、今時の子かは大体察しが付く。
トラウマのせいではあるとしても、その子たちを、今時の子だから怖い、と思い込むのは完全な偏見であり、本人達にとっては失礼極まりない話である。私も悪いことをしたなとは思っている。

ただ、その恐怖心は簡単にリセットできるものでもなく、実は今でも少し残っている。

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