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記憶の記録10

熊本に来てからの学校生活はろくな思い出が無い。
小学5年生~中学2年生の6月まで、思い出したくなくても思い出してしまうトラウマだらけの時期になる。
ここに書かずとも忘れそうにないし、文字にすることで新たな傷をわざわざ増やしたくもない。
10年後あたりに再チャレンジできるかもしれないが、今は書き飛ばす。

中学2年生の6月。当時はまだ土曜日も半日だけ授業があった。
その土曜日の朝、制服に着替えてあとは靴を履くだけ、というところまできて涙がこらえられなくなり、もう学校へは行かないと決めた。
その意思表明をすると、母親は軽くパニックにでもなったのか泣き出し、ちからづくで私を立たせようとした。学校へ行きなさい、とその言葉だけを繰り返した。
私は若干引きずられはしたが立つことは無く、全力で抵抗した。

この時私は思った。
この人は”普通”から外れるのが怖いんだ。
私の気持ちはどうでもいいんだ。
私を認めず、否定した。

真偽はどうあれ、認識が歪んだことも否めないが、そう感じてしまったのだ。
母親へ対する信頼はゼロになった。大嫌いになった。

きっぱりと学校へ行かなくなり、考えることと悩むことを一時的にやめた。
たまに、ほかの生徒からも嫌われていた担任が家まで来て、玄関口で説教を垂れていったが、正論ばかりで私の気持ちに寄り添ってくれることは無く、泣かされるだけの無益な時間でしかなかった。
母親とは業務連絡並みの言葉しか交わさなくなり、自分の世界に閉じこもった。
しばらく何も考えたくなかった。

今思い返すと、現実逃避と言われればそうかもしれないが、疲れ切っていた私には必要な時間だった。
まず休んで、現実に向き合う為の元気を取り戻す必要があった。
それが思ったより長引いてしまい、その後要らぬ脇道に転がっていってしまったのは反省点だ。

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