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ディアフレンズ(2024.3/5 ゲスト:鈴木おさむ)

売れっ子放送作家・鈴木おさむは、なぜ32年間続けてきた仕事を今辞めるのか


ディアフレンズ | TOKYO FM | 2024/03/05/火 11:00-11:30

坂本美雨(以下、坂本)「本日スタジオにお迎えするのは放送作家の鈴木おさむさんです」
鈴木おさむ(以下、鈴木)「よろしくお願いします」
坂本「先日脚本を担当されているドラマ[離婚しない男]に出られている玉田(志織)さんが来てくれました、見逃し配信の再生数が2000万回を突破しました」
鈴木「おかげさまで沢山の人に見ていただいて」
坂本「話題になっています」
鈴木「僕もこれ地上波最後の連ドラになるので、覚悟を持ってやろうと。みんなよくやってくれています」
坂本「今日は『放送作家の』と紹介しましたが、もう最後になるかと思います、3月末をもって放送作家を辞める決断をされました。それに伴って[仕事の辞め方]という本も発売になります、辞めることを決められたのはいつ頃ですか」
鈴木「48歳ぐらい(2020年)ですね、僕は[SMAP×SMAP]という番組をずっと20年間やってきたんですけど、SMAPが解散して番組が終わるんです、その番組の終わり方がみなさんご存じと思いますがハッピーには見えない感じで終わったんですね、自分の中で『やりがいと緊張』があった番組だった、その後も新しい仕事をやってきたけど自分の中でスイッチが入りきらない、前は120%を毎日だったけどそれが出せなくなっていたことにずっとモヤモヤしていた。
ある時に自分が所属しているスマイルカンパニーの山下達郎さんのライブに行って[ラストステップ]という歌を聴いた時、『雷に打たれたような』感覚になり『辞める』ということを思いついたい。会社員じゃないので『辞める』という選択肢すら浮かばない」
坂本「自分の人生そのものですからね」
鈴木「50歳になったら辞めようと思っていたら、『コロナ禍』になってしまい、そんな気持ちがすっ飛んだ。コロナ禍が終わり皆がマスクを外し始めた時、『前やってたことをまた繰り返すのか』って思うと『あー無理かもしれない』って、若い頃のようにガツガツできないだろうって『辞めよう』って思った。自身の年齢のこともあるがテレビがミニマムサイズになって予算も含めて、これからは若い人がやればいいと思った。
秋元康さんが47歳でAKBを始めた、秋元さんはAKBができてから別の人生を生き始めたと思う。
糸井重里さんが[ほぼ日手帳]を作ったのって50歳だったんですよ、50歳でコピーライターを辞めてるんですよ。
秋元さんや糸井さんを見てると『50歳からの生き方』を意識するようになり、それでこのタイミングだって思った。
テレビにはお世話になったし感謝している、だけどこれからテレビで新しいことやってやるぞとかっていうパワーを自分が持てないかもしれないって思ったのが一番デカいかもしれない」
坂本「著書の[仕事の辞め方]の中で『手放すことが大切』って書かれていますね、『人間関係』『お金』『立場』とか」
鈴木「今のこの時代、『立場』×『言葉』=『暴力』になったりする、例えば(自分が)『鈴木おさむ』ってことだけで『ご飯を食べに行こう』って言うことが『パワハラ』になったりとか」
坂本「そっかー」
鈴木「それは僕だけじゃなくて会社の部長さんとか、若い頃にはなかったけど、役職がつくことで立場が自由にさせなくしたりとか、知らないうちに他人を傷つけていたりとか、そういうことが自分にもあった。
立場が自分が思っていた以上に
『自分の言葉』×『立場』が掛け算になっていることに気づかない
それに気づいた時『一旦手放さないと』って思った」
坂本「そういうことが欲しくてやっている人もいるのに、手に入れると不自由になってしまう」
鈴木「不自由になってしまうことと、立場という武器が『凶器』になってしまうことが凄くある」
坂本「でも、それによってやりたいことが開かれる」
鈴木「そうなんですよ、そのおかげで僕はずっと色んなことが出来たんですけど。テレビとか芸能界がこの1年で大きく変化した、これからもっと変わっていくと思うし、『立場』ってこれからの時代にすごく考えないといけないキーワードになっていく。一旦それを捨てていくことでまた別のことで勝負したいみたいな」
坂本「それではこの曲を届けたいと思います、
[SMAP][KANSHAして]

鈴木「TOKYOFMでやってた[ワッツアップスマップ]という木村拓哉さんのラジオ番組の構成をやったことで、僕の人生が大きく変わった。[KANSHAして]は、1995年の番組が始まった時の曲」

坂本「では引き続きよろしくお願いします」
鈴木「辞めると決めて以降の現場に行くと、改めて色んな人に支えられてきたなーって思った。
自分が2011年に書いた本を舞台化した、その時のラストシーンで
『スモークを焚いて桜吹雪を散らしたい』っていう自分の希望があったけど予算的に難しかった。
でも最後のリハーサルで舞台監督さんが『スモークと桜吹雪やるよ』と言われて驚いた」
坂本「あ〜」
鈴木「舞台監督さんが『おさむさんの最後なんで私のポケットマネーで』やってくれたんですよねー」
坂本「泣いちゃいますねー」
鈴木「そんなことがある度に自分が作ってきたとか言ってたけど、たくさんの人に支えられて僕のために頑張ってくれた人がたくさんいるから、ここまでやってこれたんだなってホントにホントに感謝している」
坂本「最後の作品で『何を伝えるか』って意識されましたか」
鈴木「3/31に本を2冊出して辞める。1つは[最後のテレビ論]、もう1つは小説を書いた。そこで伝えたかったのはこれまで自分が一緒に戦ってきた、共に作ってきた仲間がいて。
先日[SMAP×SMAP]のプロデューサーだった黒木彰一さんが54歳でお亡くなりになった。
彼とのエピソードの中で
[マイケル・ジャクソン]と[マドンナ]を番組に連れてきたことがあった。
ラスベガスで[マドンナ]がライブをやるからお礼を言いに行こうって3人で一緒に行った。ロサンゼルスの空港でトラブルがあり乗り継ぎの飛行機に乗れず、数百キロをタクシーを飛ばして会いに行った。マドンナが好きと聞いていたしゃぶしゃぶ用の肉を日本から用意して行ったが、[マドンナ]のマネージャーから『彼女が好きなのは鯛しゃぶ』って聞かされた。
そしてとんぼ返りで帰国して[マイケル・ジャクソン]の来日を知り、なんと4日後に[マイケル・ジャクソン]を番組のスタジオに連れてきた」
坂本「そんなことができるんですね」
鈴木「そんな仲間のことを残したいって思って、人生で初めて自分のこどもに読んで欲しいと思ったんですよ。息子に自分がやってきたこととか仲間がいたってことを伝えたいって思った」

この後は、[仕事の辞め方]以外の話題や告知などがあって番組は終了



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