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さようなら、イエローカブ(後編)

 わたしとこどもがバイク屋に着くと、わたしたちに気づいた主人がすぐに出てきた。

「スパークプラグがうまく取り付けられないんです」

と事情を伝えると、主人は苦笑いしながら「斜めに入ってるだけなんじゃないですか?」と言いながらカブの横に回り込んだ。わたしはバイクは乗る専門だからバイクの知識はほとんどない。だから主人の表情から何だかわたしの無知を責められているような気がした。主人は鏡込んで、スパークプラグを取り付ける穴にペンライトの光を当てて中を覗き込んだ。わたしは叱られている犬みたいに主人の様子を見守った。主人の口から「ああ、、、」という声が漏れて苦笑いした顔の皺がより深くなった。嫌な予感がした。

「シリンダーヘッドを交換しなければならないかもしれませんね、、、」

「どういうことです?」

「無理にねじ込みましたか?」

「いえ、ちゃんと本に書いていた通りにやりました。最初は手で締められるとこまで締めて、最後に本締めをしました」

「ここをみてください」と主人が言うので、わたしは主人の横に屈み込んで穴を覗き込んだ。

「ねじ山が潰れています。銀色にキラキラしているのがあるでしょう?」

「たしかにありますね」黒く煤けたねじ山にキラキラと輝く粉がまぶしてあった。

「かなり新しくできたものです。ねじ山は真鍮でできているから簡単につぶれるんですよ」

すぐに思い当たった。ついさっき家の前で作業をしていたときだ。スパークプラグを穴に差し込んで手で締めるときに、自分が思っているよりかなり手前で締められなくなったのだ。そこでやめておけばいいものを、わたしはまあいいかと思い、その段階で工具を使ってギュウギュウに絞めてしまったのだ。たぶんそれでねじ山が潰れたのだ。わたしはそのことを主人に伝えた。

「こういうときはグリスなどを塗って滑りを良くしてからゆっくり慎重に差し込むんです。けっこうやっちゃう人多いんですよね。整備に慣れていない人は、本当だったらこういうのもプロに任した方がいいんです」

「はあ」わたしは濡れた犬みたいにみじめな気持ちになってきた。

こどもは呑気に窓に映る自分の姿を見ながらピョンピョン跳ねている。

「古いプラグ持ってます?」

わたしは一応古い方のスパークプラグを持ってきていた。それをポケットから取り出し主人に手渡した。古いスパークプラグは先端だけでなくねじ山のところまで真っ黒だった。

「ちゃんと絞められていればワッシャーが変形しているはずなんです。でもこのワッシャーはきれいに原型を留めているでしょう?」

「ええ」

ワッシャーはドーナツの形をした薄べったい板で、ねじの緩みを防止したり、気密性を高めてくれる部品だ。古いプラグのワッシャーは新品みたいにきれいだった。わたしは一年ぐらい前にスパークプラグの交換を自分でやった。そのとき、ワッシャーが変形するまでちゃんと絞めなかったから、プラグが点火するたびに生じる煤がねじ山の方にまで広がって、ねじ山の溝に溜まった煤のせいでプラグが奥まで入らなかったのだ。

話はシリンダーヘッドの交換に戻った。わたしが乗っていたカブは古い型だったから純正品を取り寄せることができるかわからないが、細かい部品代と工賃を加えると4、5万ぐらいかかるとのことだった。わたしの気持ちは暗く落ち込んだ。そんな金どこにもなかった。こどもの学費の口座に手をつけるわけにはいかないし、妻にはわたしが払えなくなった半年分の国民年金と国民健康保険を支払ってもらったばかりだった。実を言うと、そろそろ原付を売って、その売却資金で雨ざらしになっているロードバイクを復活させようと考えていた。でもこんなに早くその選択を迫られようとは思ってもいなかった。しかもシリンダーヘッドの交換も必要となると、買い取ってくれるとこともあるか怪しかった。

わたしが実は原付を売ってロードバイクを復活させる計画があった話をこぼすと、主人は哀れに思ったのか、「うちだったら1万円で引き取りますよ」と言ってくれた。

しかし、わたしはすぐに決断できなかった。この主人を信頼していいのかわからなかったし、足元を見られているかもしれないという疑念が拭いきれなかった。こんな状態のバイクでも、もしかしたら他所だったらもう少し値をつけてくれるかもしれないという希望も捨てきれなかった。

結局その日は「2、3日考えさせてください」と言って、バイク屋を後にした。

それからわたしはスマホで相場を調べたりした。しかし、バイクの状態を伝えるとどこも引き取ってくれなかった。

三日後、わたしは原付を一万円で売ることを決意し、バイク屋に主人に電話をかけた。

最後のお別れに、黄色いカブにこどもを乗せて写真だけ撮らせてもらった。こどもはわたしが乗るカブを気に入っていたから。

わたしは一万円を財布に押し込み、こどもといっしょに歩いて家まで帰った。

さようなら、イエローカブ。


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