ページの向こうにあるもの
読んだ本の感想をnoteに書いてみませんか?
なぜ私は本を読むのでしょうか。
賢くなりたい。賢いと思われたい。そう思う自分に、時々違和感を覚えます。そんな欲望が、なぜ心の中に芽生えるのでしょう。それを、私はいつも言葉にできないままでいました。誰に、いったい何を証明したいのでしょう? それとも、単に他者の目を恐れているだけなのでしょうか?
いや、違う。根本的に違う気がします。もしかしたら、私はただ、助けを求めているだけなのかもしれません。どこかで、自分の手が届かない、得体の知れない「ナニカ」に押しつぶされそうになる。それが恐怖であり、焦燥であり、漠然とした不安なのだと思います。その恐ろしさから解放される手立てを、私は探しているのだろうと感じます。
本を読むこと。それが、私の唯一の手段かもしれません。心のどこかで、知恵や経験が、私の孤独と不安を少しでも和らげてくれることを信じているのです。ページをめくるたびに、私はその「ナニカ」に対抗する武器を見つけられるのではないかという希望を抱いています。人々が積み重ねてきた思考や感情、その結晶が、私に何かを教えてくれるはずだと信じているのです。「正解」が、どこかにあると信じて。
「正解」は本当に存在するのでしょうか? 本当に、私が求めている「答え」など、この世界にあるのでしょうか? 生きることに正解など、果たしてあるのでしょうか? それがわからなくなったとき、私は再び本のページに手を伸ばします。少なくとも、それが私を慰め、少しだけでも心の重荷を軽くしてくれるからです。
誰もが「自由に生きろ」と言います。けれど、自由を手に入れるためには、何かを捨てる必要があることに、私は気づいています。自由とは、実は苦しみを伴うものだと。私はその苦しみから逃れようとして、また新たな苦しみを抱え込んでしまうのです。私は、あの「自由」を手に入れることができないのです。それに気づくたび、心はますます重くなります。
それでも私は生きています。そして、こんなにも多くの人々が同じように悩み、苦しみながら生きています。だからこそ、もしかしたら、私も「精一杯生きている」と言えるのかもしれません。何かを成し遂げるためではないのです。大切なのは、ただその瞬間を生き抜くこと。答えのない問いに耐え、正解など無いのだと知りながら、それでも歩き続けることなのだろうと思います。
でも、それにしても、私はどうしてこんなに悩むのでしょうか。この無限の迷宮から抜け出したい。そのために、本を読むのか。それとも、ただ、迷っているだけなのか。どこに向かっているのかさえ、わからないのです。