#6

課題で書いた文章、なんか何回読んでも腹が立つから、パソコンから消すためここに置いておこうと思う。文体は課題だから仕方ないんだけど、ほんとうに腹が立つ。私、腹立たしい文章を書く職業になら就けるかな。


1. はじめに

何故、人は写真を撮るのだろうか。最近は、誰でも手軽にスマートフォンなどで写真を撮影出来る時代になった。私自身がその世代なのでこれはあくまでも予想なのだが、たった20年ほど遡るだけで写真を撮るという行為は、少し重みのあることだったのではないかと思う。手軽に写真を撮れるようになったことにより、写真という媒体は私たちにとってどんな影響を及ぼしたのであろうか。

2.

写真といえばデジタルで、撮影した後すぐに確認できる。というのがここ最近の“当たり前”だ。気に入らなければその場で削除出来るし、色味やトリミングですらすぐに変更が可能である。だが、それがフィルムだとどうだろうか。フィルムは撮ったその場では写真を確認できない。フィルムを現像し、プリントするなり、専用のスキャナーを使わないと見ることは出来ない。現像にはだいたい600〜800円くらいかかるし、自分の家に暗室があり現像技術があるという人もそう居ないはずだ。そしてプリントするとなれば現像代とは別にプリント代も必要となる。そしてカメラによっては、自分で様々な数値を設定し調節を行わなければならなかったので、ちょっとした勉強も必要であった。つまりは、お手軽な媒体ではなかったのだ。もちろん、フィルムカメラによってはオート機能という全ての数値をカメラが設定してくれる機能はあるが、それでも現像やプリントの壁は少なからずある。私の予想だが、きっと写真を撮るという行為は今ほど軽くなく、シャッターを切るその瞬間までに色々な工程があったはずだ。

3.

ところが今主流のデジタルはどうだろうか。何もせずともボタンを半押しすればピントがあうし、数値も勝手に設定してくれる。そしてすぐ確認、その場で編集が可能である。フィルムのように一度撮れば削除が出来ない訳ではないので、データの空き容量が許す限りは撮り放題である。特に意味もなく写真を撮る人も多いのではないだろうか。

それによってもたらされたプラスの点は、簡単に残したいものを残せるようになったという点だと思う。誰もが難しいことを考えずに、目の前のものを残すことができる。その場に居ない人にその時の光景を見せることが出来る。一緒に写真を撮って、思い出に残すこともできる。では、マイナスの点はなんだろうか?

私が思うに(これは自分自身にも言えることなのだが)一枚一枚を大切にしなくなったのではないだろうか。カメラロールにある写真を、人々はどれだけ見返すのだろう。特に意味もなく、と言っては失礼かもしれないが、大量に写真を撮り、見返すこともなくデータを食わす。果たしてそれらの写真の意味とは、存在意義とはなんなのだろうか。

4.

写真、と検索をかけて調べると、Wikipediaでは真っ先に写真の原理を説明した文が出てくる。約20個の項目の中ほとんどは原理など技術的な部分の説明だが、一番下に「写真と芸術」という項目があった。その中に『写真はしばしば「ただの記録技術であり、芸術ではない」という攻撃を受けてきた』という記述があった。そして、『「すべての写真が絵画や彫刻のような芸術である」ということは記録手段伝達手段としての価値が他の表現手段よりもある(報道写真・Wikipedia向きの写真など)以上、あり得ない。それは「法律や取扱説明書が文芸・文学ではない」ということと同じでありということと同じであり、写真がある程度「中立性」「検証可能性」に耐えられる媒体であるからである。言い換えれば、「写真は芸術に留まらない存在である」ということである。』とも。写真は珍しい媒体だと思う。ただの記録にも、芸術にもなれるのだから。大量に無作為に撮られた写真たちは、捉えようによってはただの無意味なものにも、何かを残す記録写真にも、芸術作品にもなれるのだ。

5.

私は昔から写真に写るのが嫌いだった(と言っても記憶に残っていない頃の写真を見返すと、かなりノリノリであることから本当は嫌じゃないのかもしれないが)。どこかへ出かける機会が多かった子供の頃、父親のF4の標的になるのが嫌だと感じ始め、私が持っていれば私は写らないという理由で父親からカメラを奪ったのが私のカメラ人生の始まりで、正直あまりちゃんと写真に向き合ったことはなかった。この文章の中で出てくる、「特に意味もなく大量に写真を撮りデータを食わす」のは私自身である。写真を仕事にしようと思った高校生の頃の自分はとても浅はかだった。幸い大学に入り、写真という媒体がどのようなものであるか学んでからも、まだ私は写真を仕事にしようと思えている。私は、写真で自分の好きな人たちの役に立ちたいから写真を撮っている。

人は何故写真を撮るのか。それは人によって、撮りたいものによって、様々な理由がある。他の何よりも手軽で、誰でも始められる。誰もが身近に手軽に表現したいものを表現できるから、人は写真を撮り始めるのではないだろうか。初めは目の前にあるものをどう活かすかなので才能云々は最も関係ないと、私は思う。これだからみんな、スマートフォンについているカメラで色んなものを撮ってしまうのではないだろうか。

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