Mrs. GREEN APPLE「TWELVE」の感想文

*この文章は書くのに2016年初頭から、2017年春まで長時間かかったので若干縒れた文章になっています。ご了承下さい。

個人の見解、感想文ですので、ネット上に落ちまくっているかっこいいレビューとかなんかとは違います。「なんだこれ!」なんて文句は受け付けません。見て胸糞悪くなったなら直接連絡ください、それならあなたの考えを聞かせて欲しいです。お話しましょう。

全部私の勝手な見解です。だから、だからどうか鵜呑みにはせず、考えるきっかけくらいに思ってもらいたいです。



2016年1月13日。Mrs. GREEN APPLEの1st フルアルバム「TWELVE」の発売日。

世の中には「フラゲ日」と呼ばれる謎の日があって、何故か発売日と銘打つ日の前の日にはいつも店頭にCDが並んでる。

毎度毎度このフラゲ日てなんやねん って思うけど、まあ気にしないことにしよう。揃えるのはオリコンの関係だとか聞きました。

さて本題!大好きなMrs. GREEN APPLEが、フルアルバムを出してくれるっていう発表があったときは、まあ本当に驚きました。あんまりこのタイミングだとは予想してなかった。
直前にSpeakingを出してたし?お財布事情的にはすごい厳しい話でしたよね。
でも、フルアルバムってことは、10曲以上曲が収録されるっていうことなんですね!
つまりはわかりますか?作り手がやりたいことがもっともっと出来るってことなんですよ。
正直Mrs. GREEN APPLEっていうバンドがどんなコンセプトでどんな風にどんな曲たちを連れてきてくれるのか楽しみすぎて財布がどうこうは本当にどうでも良くなりました。
ここからは盛大なるネタバレ(?)を含むしお願いですので一度アルバムを聴いてから読んで頂きたいです。聞いてないって奴は買え、借りろ。んで聞け。あーでも、これをとっかかりにしてくれるのなら本望かも。


まずタイトルの「TWELVE」。言わずもがな"12"です。 どうやらこの12には沢山の意味合いがあるらしく。ジャケットに描かれている動物も12匹!
いやでもその意味の中でもみんなが一番注目したのは絶対「大森元貴が音楽を始めた年齢」っていうところに驚いたと思うんですよね!
12ですよ。つまりは中学1年。その年齢の子が作曲ですよ。その頃に出来てたものはどんなものなんでしょうね。一番古い曲とかどんなのなんだろう。

さて、ここからは楽曲に入っていこうと思います。

まずは一曲目、「愛情と矛先」!

この曲は既にライブでは定番ナンバーで、過去にYouTubeにライブ映像があがってたりとか!(もう無いけど!)待望の音源化だと思う。
私が初めてミセスを見た2015年の2月のライブでもやってた記憶が。
この曲は何と言っても、イントロの昂ぶる感じが凄いと思う……!ぐいぐい引っ張られて、曲のどこをとっても楽しい。
でも今回音源になって、歌詞カードを見ながらじっくり聞いて思ったのは、この曲こそ表立ってMrs. GREEN APPLEらしさを知らない人に説明出来るんじゃないか?と。陰湿な部分はあんまり見せられないかもしれないけども!!
これだけPOPで楽しげな音楽に乗せられてるけど、歌詞を読むと、深い。この曲の歌詞は、私たち聞き手のことを救いに来てくれてる気がした。
「大丈夫だよ。安心して。」っていう、普段からよく聞くし、そんなに深く受け取らないような感じにサラリと言われてる言葉がこんなに重く、大切に、救いの手に見えること、滅多に無いと思った。何よりも強いものが愛、という事も、この曲を聴いた後だとなんとなくそうかもしれない。と思えてくる。
キラキラ楽しい〜な雰囲気に包まれてるけど実際は凄い救済ソングだなぁと。ずっと聞いてきた曲だったからこそ、嬉しかった。

二曲目、「Speaking」

これはこの間シングルとしても発売された曲、この曲でミセスを知った人すっごい多いと思う。イントロがなくて、初めから歌で始まる曲っていうのは、その曲の印象をドーンと残せるし。
シングルとアルバムのマスタリングを変えたって言ってて聞きくらべたけど、確かにアルバムの方が少し落ち着いた感じ。そこにもまた歌詞を見て欲しいとかそういうあれなのかな〜〜って思ったりとか。
この曲のテーマって、「目を見て直接話そう」みたいな(かなり大雑把に言えば)ことだと思ってるんだけど、元貴さんが、「電波でなく〜」っていう言葉をインタビューか何かで使ってるのを見て、ああ、そうか。と。
今は嬉しいかな悲しいかな、いくら離れてても、すぐにネットで連絡が取れてしまう。自分が身を以って体感したことだけど、何年も会ってなくても、ネットで連絡取り合ってたら直接会った時に久々感がゼロ。本来なら直接目を見て話さなきゃいけないであろうことですらこの端末で済ましてしまえるわけで。
そういうのが今の世界な訳であって、その状況に、嫌味もなく、素直〜に、ちょっとそれ待てよ、と。
その分かりきってるであろうことを、「教えなきゃ転んじゃう様で学ばなきゃ怪我しちゃう様です」なんだろうなぁと。曲調に乗せられて軽快に楽しく聞き流すよりも、じっくり考えてみるのは凄く大切なことだなあと。題名の「Speaking」はそのまま訳せば話してるとか話し中とかだと思うんだけど、この"しゃべる"は直接、目を見て、相手と一緒に、"しゃべる"なんだろうなあと。凄い深いよ。深イイだよ。と思いました。

三曲目ー!パブリック。リードトラック!

この曲は、自主企画、リリパ、初ワンマンでやってた曲で、私にとっては「大切な日にしかやらない曲」っていうイメージだった。(どうもそうでもなかったみたいではあるんだけどね!) だから今回アルバムに入るってわかったときはすごく驚いた。こういう類のミセスの曲は永遠にライブでしか聞けない気がしてたし……(笑)

それでも大切な曲なんだなぁということには変わりなくて。それこそこの曲は同期とかが全くなくて、メンバーが出してる音しか無い、と。初めて生で聞いたワンマンの時、ギターソロでひろぱさんと目を合わせてる元貴さんの絵面が忘れられない。
そう、この曲の感想を書くに至って「パブリック」の意味を調べてきたんだけど、【公衆。大衆。また、公であるさま。公的。】だそうです。 大衆。なんとなく違和感。大衆…?と思いました。そこで歌詞をじっくり読み直しました。
「これって人間のこと歌ってるな」ってのが素直な感想でした。で、そこにパブリックの意味を足す。大衆。一人ではなく大人数。つまりは多くの人間のことを歌ってるんですよね?それを踏まえて、【「人は優しさを育む生き物だ」「嬉しさ・悲しさ」全部抱き「寄せてる」】の部分。ほう。わかった気もする。気がするだけかもしれん。 って感じでした。
でも簡単に言えばみんなこういう人じゃないっすかって話ですよね。
いや正直適当かよって今何人か思いましたよね?適当というか結論が出せませんでした。
でもこの曲のサビってすっごい「ああ」ってなると思います。幸福の下には犠牲があると聞きますから。そういう事だと思います。
誰もが簡単に聞けるような状況になったこの曲ですけど、大切に大事に聞かなきゃいけない曲なのがすごく伝わってきますね。みんなで大切にしたいね。

4曲目ー、藍。
この曲はIntroductionの中に入ってて、私結構好きで、いつかライブで聴きたいなぁって思ってた。そしたらまさかのこのタイミングでの再録で、ファッ!?てなった記憶しか無い。私のイメージでは、それこそミセスの影の部分っぽい曲だなぁって思ってたのに、アルバムの藍は、すごい…影と光の融合って感じだった。影々ともしてないし煌々ともしてないし。軸となる音とか、歌詞とか、リズムとかはあんまり変わってないのに、上に乗ってる音がキラキラしてる。正直すごい混乱した!(笑)大好きだったギターのチョーキングなくなっちゃってるし!!(笑)インタビューで、当時やりたくて頭の中に描かれてたものが技術的に出来るようになった、これでやっと完成したって言ってて、とっても納得できた。これがこの歌詞を彩ってくれる音だったのね、って。また聴きたいなぁ。これが曲の完成系なのだから、と思うとこの曲が最強に思える。これこそMrs. GREEN APPLEの真骨頂だろう、と。表向きの明るさすら捨てて、胸の中の何かを吐き出すような歌詞で、音で。これを好きじゃないなら、あなたはあの人の作る曲のどこを愛しますか?私はそう思います。あくまでも私一個人の話なのでそんなに好きじゃない人は気にしないこと!(笑)

5曲目、キコリ時計。

印象的なファンファーレ?の音から始まるこの曲。「今日にはない出来事に興味はない そんなのない 別にいらない」出だしからちょびっと言葉遊び感が満載。キラキラの音と、メンバーの演奏シーンが目に浮かぶような…前の曲の藍が“表向き”「陰」の曲だとしたら、これは完全に“表向き”「陽」の曲。音やフレーズ、それからライブでこの曲を聞いたことのある人にはわかると思うけど、楽しいパフォーマンス。みんなで手を叩いて、飛んで、完璧に「楽しむ」曲として扱われてる。実際音はそのまま楽しい!って感じ。これでもか!ってくらい散りばめられた最強の音のフレーズたち、ああこういうものを聞くたびに大森元貴はなんて天才なんだろうって思う。この曲を初めてライブで聞いたときは嬉しくて歓声をあげた。

でも、ゆっくり歌詞カードを読みながら聞いたら、なんだか泣いてしまうのがこの曲だと思う。個人的に好きなのは、一人で苦しんでるというよりかは「君といれば大丈夫かな」と、誰かしらにちゃんと頼ろうとしているところ、ただただ「大丈夫」というわけじゃなく、「こういうこともあるね、辛いこともあるね、でもこうだよね、これなら頑張れそうじゃない?」と言ってくれてるような気がするところ。無責任な頑張れじゃなくて、こうだから頑張れそうじゃない?って言ってくれてるような気がするところ。

6曲目、「私」。

なんだろう、珍しくくっきり情景が浮かびやすい歌詞と、音数はそんなに多くないけど、だからこそ響くところがある。凄いよね。こんな歌詞を書く元貴さんをこの曲で初めて見たんだけど、やだ、こういう歌詞もとってもいいじゃないの。って思ってた。なんだか、一概に恋の歌と割り切ってしまうのも勿体無い気がする。なんだろうな、曲の歌詞をそのまま解釈するのって野暮かなあなんて思うんだけど、したくなっちゃったからしてもいいでしょうか。

どうも、一緒に過ごして、自分の不器用なところも弱いところも笑って支えてくれるような大切な人がいたけど、その人には気持ちを伝えられなくて、なんらかの理由で会えなくなって、それでもその人が如何に大切だったか、如何に自分に影響を与えたか…みたいな。文にしてしまうと、こう、陳腐になっちゃうからあんまりしたくないんだけどさ、でも私にはこういう風に感じられた訳ですよ。

私は好きな人に対してこういう風な気持ちを抱ける人が好きです。だからこの曲が好きです。


7曲目。No.7!この曲すっごくない?この曲、サウンドも歌詞も、好きじゃない人なんかいるのかなって思うくらい最強だと、思うのです。

全てが最強。耳に残るメロ、思わず真似したくなる音、全ての楽器がどこでも強く活かされてる。これを天才と呼ばずして何を…!!って思うけど、好きすぎて判断力鈍ってそうだよな。私。

歌詞だってそう。元貴さんが軽快にチクチクと刺してくる。もう一文一文全てにここがいいよね!そうだよね!って野暮な解説つけたい。最強にかっちょいいね。どの言い回しも嫌味が地味に入ってて、でも何も間違ってなくて、自分はこうありたいって強くそれが現れてて、だからかっこいいんだよね。ごめんなさい、馬鹿が言うなって言ってんのにかっこいいからいうてまう、あ、このかっこいいはセーフとかにしてもらえますかね!?なーんてな。

8曲目。ミスカサズ。 見透かさず。

この曲、イントロなしでいきなり歌から入るんだけど、「やり場のない気持ちには名前は無い 綻びも紡ぎ目も」って歌詞から入り、切り裂く音色、て言ったらいいのかな、何て表現したらいいのかわからないけど、すごく攻撃的で、でも痛いだけじゃない、みたいな音のギターフレーズがあって。心の葛藤を表すような音っていうか。みんなどんな風に聞こえるんだろう。よかったら教えてほしみ。

「癒していて 覚えていて 守っていて」

最高じゃないですか?前にも書いたことがあるんですけど、私は元貴さんの弱い部分が垣間見えるのが大好きなんです。悪趣味かもしれないけど、ああいう人の 弱い部分を 見るのが、感じるのが、大好きなんですよね。元貴さんだから、弱い部分まで見せてくれるから、とかいう理由をつけておけば少しでもまともに見えるでしょうか。


9曲目。SimPle。冒頭から軽快なベースのスラップ。「た、たかうじーーー!!!」って思う。ライブの時、高野さん前にガッて出てきて自分をめっちゃ主張するし、場合によっては「高野本日ここしか見せ場ありません!」なんて元貴さんに言われるやつ。あ、それはVIPか。


この曲は、「無常を唄っても 誰も気付けなくて 君や娯楽を唄ってもまだ届いてなかった」「無常を唄ったよ 形は崩れて 君や変化も愛したよ その先が見たかった」って歌詞がミソだと思うのです。

君はIntroduction 無常はprogressive 娯楽はVariety。

ソースを見つけるのが面倒くさくなってしまったんだけど、昔元貴さんが「この三枚は三部作」って言ってたんです。確か。だからこの三枚揃ってMrs. GREEN APLLEの第1章の幕が閉じる、みたいな。これは初ワンマンのMCでだったかな。だからこの曲はあの三枚を踏まえた上で出来たのかなあなんて思うと、不思議な気持ちになりませんか!どんな曲よりも背中を押してくれると、思うのです。

難しく考えなくていいし、シンプルに君らしく受け取って、君らしく進んでいこうね。

ってことかなあ、と。

この世は終わっちゃなんかいなくて、この世は終わっちゃなんかいけない。

んですよ。No.7の時といい、世界に呆れてるんだけど、見放したままじゃダメなんではないですか?と、言われているような気が、しませんかね。

でもねえ、難しく考えすぎませんように、と。


ここで InTerLuDe〜白い朝〜 これはそのまんまの意味で「間奏」「幕間」 この場合は「幕間」の方がしっくりくる気がするなあ。これのすごいところは、音だけで「朝」を連想させるところ。時計の音、布団をもぞもぞする音、布団をまくって起き上がる音、カーテンを開ける音。窓を開けて、呼吸をする音。もう完全朝じゃん。だけどあくまでも時計の秒針の音で、呼吸の音で、目覚ましのベルとか、鳥の鳴き声とかじゃないところがいい。


そこから10曲目、「Hug」に入るわけですけど。

直前の朝フラグを華麗に回収するサビの「おはよう」でも、この曲は「1日終えて寝る前に聞いて欲しい」って言ってた。この曲、どう考えても1日の始まりを絶望してるものね。「寂しくなった。」「悲しくなった。」句読点がつくことによって妙にその二つの文章が浮いて見える。

でも、1日の始まりを絶望してるだけじゃなくて、1日の終わりも同じように絶望してる。夜になればお日様が裏切って去っていく、だなんて。先に進めば進むほどドツボに落ちていくようなこの歌詞!暗いな!とんでもなく暗いな!って正直思ってましたわ。

最後に「私と私だけのハグをしよう」「私と私だけのハグにしよう」の言葉がなければただただ悲観してるだけの曲って思ってただろうなーと。

つまりは自分を労って自分を慈愛してあげようねってことかなと私は思うのですが。一日始まっちゃうけど頑張ろうねって、逆に言えば「夜聞いて欲しい、朝聞くとしんどくなっちゃうから(笑)」っていうのは、「1日頑張ったね」の意味で聞いて欲しかったんじゃなかろうか、と。思うわけですよ。

この曲はとても優しいと思う。皆さんも一度救われてみてください。


11曲目。HeLLo。

この曲は個人的に思い入れのある曲で、私とミセスの出会いの曲。14年の11月とかなんじゃないかなと思うんだけど、帰り道、自転車でかっ飛ばしながら、お母さんに勧められて入れたミセスの曲をたまたまどんなのかなーって選んで帰って。「君はもう少しばかり 人をそっと愛さなきゃね 君はもう少しばかり 鏡の人を愛さなきゃね」この言葉にぶち抜かれて。自分のことを『鏡の人』と表現して、「愛さなきゃね」と。ここだけじゃないよ。多くのフレーズが、全部が、優しくて。人目も気にせずボロッボロ泣いて帰って。もう文章にはできないくらい大事な曲なんです、私にとっては。

もともとこの曲はずーっとセットリストに入ってたのに、気付けばライブでもやらなくなって、そもそもCDが売り切れた時に、「ああ、もうやらないのかな」なんて思ってたのに。収録曲が発表された時に叫んでしまった。

私の救世主が入ってる!どうしようリメイクだ!これからまた聞けるかもしれない!カラオケでも歌えるかも!

色々思うことはあったけど、何より怖かったのは「新しくなって帰ってくる」ことだったんだよね。初めに聞いたものがやっぱり一番耳に残ってるし一番大切に感じてしまうものだと思うのよ私は。だからリメイクが怖かった。でも新しくなって帰ってきたHeLLoは前と変わらず優しかった。救世主だった。だからいいかなって思えた。


12曲目。庶幾の唄。

この曲のエンドロール感、すごくないですか?今までの11曲が走馬灯のように頭の中を駆け巡りつつ、ちゃんと色が付いてて。

庶幾というものは、心から願うこと。こいねがうこと。切に願うこと。

ここまで11曲聴いてきて、色々な感情がそこには詰まってたと思うのです。それを全て詰め込んで丸めて、最後に庶幾の唄として持ってこられてる気がねー、しませんかー、しないかー、そっかー。

毎日のサイクルはもう飽きた。実は彩られていたんだと、気づくのは あと何世紀先だ? 

これ、多分学生時代を思い出すとか、まあなんでもいいんですけど、なんでもなかった日常そのものが楽しくて大切だったこととか。そういうものだと思うし誰でもそう思うと思うんだけど、「そろそろお腹が空いてきたな」なんて毎日思うようなことの後にそういう文を持ってくるあたりがよいのではなかろうか。

「汚いけど愛すべきな生き物なら 世間に甘やかされ今、恥をかくとこ」「『まるで普段目には見えぬ妖精みたいね』って気づいてくれたから未来のために 会いに来たんだよ」


昔、一時期元貴さんはTwitterのプロフィール欄に「職業:妖精」って書いてたんですよね。

多分これ、それだなーって。思うのです。私は頭も小さいし(実際頭のサイズ人より小さいから小顔って言われるんすよ)スカスカだから、どんな妖精なのかよくわかってないんだけどね、(これに関してこうではないか?等の考察をくれ)「私」と言い、きっと元貴さんは素敵な人に出会ったのだろうな、と勝手に思ったわけです。全部妄想だったとしても全然オッケーですけども!


別れだけじゃなくてまた来たる出会いの為に作られた歌だと彼は毎回MCで言いますけども。

なんだか言えなかった気持ちも、昔にあった出来事も、まあその出来事や言えぬままの言葉が悪いものだったとしてもですよ、この曲の中では思い出になってて、よくないですかー。この曲のフルートを吹いているりょうちゃんの表情は、それはそれは穏やかで、とってもいい顔なのです。ライブに行く機会のある人は見てみてね。


完全なるわたくしごとなんだけど、この曲ってカロリーメイトのキャンペーンソングになってたのですね。それで「ミセスメイト」っていう名目で仲間となんかやりませんか!?みたいなことをしてたのです、カロリーメイトが。

私と、私の友達たちはそれに乗っかって、関東、関西、東北の、同じ時にミセスが好きだという気持ちを共有したグループを作って、庶幾の唄のMV的な、いや、なんだろう私たちは「思い出動画」って呼んでるんですけどそんなのを作ったんですよ!(ちなみにこれはYouTubeで庶幾の唄って調べると出てきます)

日にちを合わせるのも、大人数で動くのに遠いから文章や電話でしか意思疎通が出来ないのも、大変で大変で。でも出来上がった時はめっちゃ嬉しかったんですよねーーー!!!

動画が公開されてすぐ、「今どんどん大きくなっていってるミセスの、あの頃を知ってる人たちと、その頃の思い出を一緒に閉じ込めて、いつでも鮮明に思い出せますように。例えどんな形であれ、ミセスを好きだった気持ち、好きな気持ち、楽しかった思い出、全てをひっくるめて ミセスをずっと好きでいられますように。あの時のMrs. GREEN APPLEの目撃者になれた私たちがこうして出会って、思い出を残せて本当に良かったです。」って私は書いているのですよ。いやあ、我ながらすっごくいい文章だと思うのですが、どうでしょうか。


さてここまで12曲と1間奏(笑)について長々と、ええそれは気持ちが悪いくらい書いたわけですけども、私にとってこのアルバムを超えるCDがこれから出てくるとは思えぬのです。それくらい自分にとって大事なCDなんです。

私にとってMrs. GREEN APPLEは宗教と同じだったのです、もう過去の話だけれど、この人たちが全てだった時期があるのです。その時期はお世辞にも全て楽しいばかりではなかったし、一歩引いた位置に居る今の方が何百倍も楽しいのですが、その頃に貰った気持ち、救われた思い出、全て大切なのです。そんな気持ちとこのアルバムに対する愛をどうかここで、自己満足だけれど昇華させてください。14歳の私が、あの日、あの坂道で電撃に打たれたように衝撃を受けて、ライブに行って、東京まで追いかけて、今思えば衝撃的な日々だったなあ。


いつまでもこの気持ちと、この愛を、持ち続けてこのバンドを愛せますように。


2017.03.14 明日はミセスのライブなのに夜更かししてる私より。





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