スラッシュワーカーに憧れる理由
前回は今年度に起きたことを簡単にまとめた。
今回はこれからの自分のライフスタイルについて綴っていきたい。
スラッシュワーカまたはパラレルワーカー(これ以降はスラッシュワーカーの方で統一する)という言葉を聞いたことがあるだろうか?これは「複数の仕事を本業としてこなす人(複業)」のことを指し、ここ数年若い人を中心に急増し、今後はこのスタイルが主流になると見ている。
自分にはこの生き方がすごく適しているように思い、この道でやっていこうと決めた。しかも大学院を卒業した後就職という道を取ることなしに。なぜ俺がここまでスラッシュワーカに強い憧れを抱いているのか。これにはいくつか理由がある。
1. グループに所属することへの抵抗
これは大学院での生活を通して強く感じたことである。大学院ではフランス文学を勉強しており、名目上、フランス文学研究科に所属していることになっている。そのため、その中で行われる恒例の行事やイベントに参加することもよくある。
ある組織に属している以上は、なんらかの制約や縛りを受けたり、そう感じたりすることも多々あり、俺はこれをできるだけ避けたかった。人見知りな性分から、目上の知らない人たちとの交流は地獄の一言に尽きるし、気遣いや雑用を暗黙の了解として強要されるのには耐えられない。
俺の性格上、なによりも束縛や制限、強制は大がいくらあっても足りないほど嫌いなので、ほんの些細なことでもそう感じたらストレスを感じる。そうは言っても、幸いなことに他と比べれば堅苦しいことは少ないけれど、これから先何十年も同じところに属することを考えるととてもメンタルが持ちそうにない。
もちろん、組織に属すことのメリットは計り知れず、多大であることは十分承知しているつもりだ。しかし、それ以上に俺にはデメリットの方が大きいように思えた。
一番嫌なのは、自分の時間やお金を犠牲にしてでもグループの優先を強いられること。例えば伝統のある行事に強制的に参加させられたり。自分のことにではなく、伝統を維持するために使う時間は俺にはもったいないことだと思っているから、これは避けたいことの1つでもある。
2. 我が身に起きたことはすべて自分で責任を取りたいから
自分で全ての責任を取ることは一見最もきついことに思えるが、俺はむしろこっちの方が一番楽なのではないかと思っている。
というのも100%自分の意思で動いているので、いいことも悪いこともすべて自分の糧になりエネルギーになる。また、誰のせいにもできないので他人に迷惑をかけることもない。
自分の犯した過失の責任を他人が取ると、その後人間関係に支障をきたしたり、時には恨みにまで繋がるリスクもある。影響が自分だけで済むのはなにより精神的に楽なことであり切り替えが素早くできるように思う。
スラッシュワーカーやフリーランスはまさにすべての行動や判断が自己責任であり、俺にはこっちのほうが楽じゃないかと思った。
少し話が逸れるが、心理学者のアルフレッド・アドラーの言うように、「すべての悩みの原因は人間関係から来る」は的を得ていると思う。だからこそ、人間関係の問題は俺がこの世で最も避けたいことであり、最も厄介なものだという認識を持っている。
こう言う考えを持っているから、俺は「信用で成り立っている多くの友達よりも、信頼で成り立っている数少ない親友を持つ」ことが人生において重要だと考えている。信用と信頼は全く別物である。
3. 世界各地を常に転々とし、新しいことを学びながら生きていきたいから
これがスラッシュワーカーを目指している一番の理由である。俺の性格上、同じ場所にずっと居続け、同じことを何年も続けることはできないと最近になってようやく気がついた。
同じ景色、同じ空気、同じルーティーンは倦怠を引き起こしてしまう。実家が一番落ち着くけど、ずっと実家での生活には耐えられない。これはもう治しようがないと開き直っている。
そして、これも性格上、とにかく好奇心が旺盛でとどまることを知らないので、異なる分野のことも常に知りたくてたまらない。一つのことだけを深掘りしても満足できなくなっている。
また先のことを考えても、「何か一つに固執していれば安定」という時代はもうとっくに終わりを迎えているし、いろいろなことに興味関心を向けそこに足を踏み入れ、広く深く知ることがこれからの時代には求められているので、わざわざ時代に抗う必要はないと思った。
だからこそ、一つのことに長年精を出して継続できる人には心から尊敬の念を抱いている。俺の尊敬している人は、自分にはできないことをできる人である。
そうやってあれこれと考え直した結果、俺はスラッシュワーカーの方が適正なのではないかという答えにたどり着いた。
当然スラッシュワーカーにもメリットとデメリットある。それでも俺にはメリットの方が多く、また大きかったからこの選択を取ることにした。
俺が大学院のさらなる進学を断念したのは3つ目の理由が一番大きい。研究は誰にでもなれるものではないし、誇らしいことであることは間違いないが、自分には深く狭くが向いていないと感じたのだ。
また、世界を旅しながら仕事をするには、オンラインでできるものをできるだけたくさん身につけていた方がいい。テクノロジーの発達によって、インターネットを介した仕事はこれからも増え続けることは間違いない。
だからオンラインでできるプログラミングやライティング、動画編集などは、俺にとって、海外に移住し、旅を続けるには必須の仕事なのである。幸いなことにこれらは俺にはすごく楽しいことなので勉強していて苦なことはなにもないし、好きを仕事にできているのでメリットだらけである。一つに固執するのは旅人にとって危険である。
たびたび引用するが、モンテーニュもこんなことを言い切っている。
やむを得ずたった一つの生き方にへばりつき、しがみついているのは、息をしている(存在している)というだけで、生きるということではない。もっとも美しい心とはもっとも多くの多様性と柔軟性を持った心である
仕事は存在するためにするのではなく、生きるためにする。これが俺のこれからのライフスタイルである。
以上が自分がスラッシュワーカーとして生きていく主な理由である。
大学院を卒業してすぐにフラッシュワーカとして生きるのはなかなかハードだと思ったから1年半の休学期間を設け、その期間で学べることはすべてトライすることにした。
今日からライティングの勉強を、来月からは動画編集の勉強も始める。ダラダラと廃人生活をしていた上半期とは違って、下半期はプログラミング、動画編集、ライティングを新たに始める。
「あちこちに手を出して全てが中途半端にならないか」という声も聞こえてきそうだけど、全て自分の意思で決断したことだし、それなりに自分をコントロールできると自負しているからその心配はない。
やっぱり世界を旅することは捨てられない。コロナによってジョージアプチ移住を断念せざるを得なくなったという出来事が俺をスラッシュワーカーへと導いてくれた。もしこれがなかったら、スラッシュワーカーと言う言葉を知ることはなかったかもしれないし、全く違う道を選んでいたかもしれない。多分もっと進路再考に時間がかかっただろう。
1ヶ月先ですら、自分がどんな生活を送り、どんな思考を持っているのかわからないのだから、人生はやっぱり楽しいなとつくづく思う。
俺の飽くなき好奇心、さらに加速の一途を辿り当分衰えを迎えることはないだろう。
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