見出し画像

ブルームーン(文月)

今日はSoirée 1st EP「Bluemoon」発売日となります。予約していただいた方は既にお手元にCDが到着していることと思いますし、その他IF I FELLさんでの店頭販売やサブスク配信 / DL販売も始まっています。ぜひ色んなところで沢山聴いていただけたらと思います。どうぞよろしくお願いします。

「ブルームーン」、直訳すればそのまま「蒼い月」となるけれど、そうではなくて「一ヶ月に二度目に出る満月」を指す言葉です。転じて、極めて稀なこととか、決して有り得ないようなこと……なんて意味合いでスラング的に使われることもあるとか。もちろん一ヶ月に二度満月が出たからと言って、その姿が蒼い月となる訳はないけれど、そんな事象に対してわざわざ「ブルームーン」なんてロマンチックな言い回しをしたのは、微かな希望とか夢に秘められた美しさへの、人々の期待が感じられて面白いなと。

各曲の歌詞を見ていくと、主人公が「貴方」に対して呼びかけるような作りになっていて、一見すると死別だとか何らかの事情による別れを嘆いているお話に見えるんじゃないかと思うけど、それはちょっと本質とは違っている。

何だかんだ、人間というのは互いに支え合ったり時に傷つけ合って、周りに何かしら影響を与えながら生きていくしかない生き物。どれだけ個人主義を掲げている人であれ、他人の干渉なしに生涯を終えるような人生は有り得ないはずだ。そんな中で、親しき仲の相手が昔と変わってしまっただとか、何らかの営みの末にその相手と別れてしまったという時、それは勿論相手自身の変化故の出来事でもあると思うし、同時に、それを引き起こした自分自身の変化故のひとつの結末だったという捉え方も出来ると思う。たとえば恋愛なんかもそうで、単に誰かに「もう好きじゃなくなったの」なんて別れを告げられるだけのことでも、相手の価値観自体が変わってしまったという過程だけでなく、必ず己の人間としての変化が相手の感情を揺れ動かしてしまったという過程も存在しているはずで。

「私」はいつの間にやら一方的に居なくなってしまった「貴方」を探し求めて、あちこち彷徨ったり、夢を見ながら過去を嘆いているが、実は「貴方」は一方的に消えてしまったわけではなくて、その存在をずっと照らして存在証明してきた太陽の光に陰りが生じ、その結果として姿をくらました月そのものだったのだ。

光を反してくれる存在を失った太陽はひたすらに月を探し求めて、対に光を失って輝く術を失くした月は、口に出すことさえ出来ずに心の中で太陽を求め続けている。その求め合いの利害がいくら一致しているように見えても、やがてお互いの関係や距離感が少しでも変わってしまえば、光の反射は成立しなくなってしまう。人間関係とはきっと、そんなことの繰り返しなんだと思う。

そうして、もう二度として巡り会えないかもしれない月に幻想を抱いている太陽の有様と、愛しき光を失って萎れてしまった悲しき月の風貌。異なる二つの「ブルームーン」の物語です。お楽しみいただけたら嬉しく思います。

(23.02.22 文月兎)


いいなと思ったら応援しよう!