実は四人目が
あたしがソワレって名前になったのは1996年のことで
南青山にあったojasというクラブ、今はあんまり見掛けないラウンジ系のクラブ、そこには居心地の良いDJと仄暗い照明、ちょっとこだわりのお酒とアジアンテイスト内装、なんてのがあって
それより何より後に生涯の友となる仲間がわんさか、勿論その時には解らなかったマジックですが、あたしはそこに行かなければ今が無いのは確かです
レコード会社の契約が切れて、越路吹雪さんが好きでソングライターもやってるやたら声が高いおぼっちゃまは彷徨うことになるわけで
これからどうしようかなあ、とか漠然と思いつつ実家も追い出されて、今で云う闇バイトギリギリみたいなことやりながら、でもお育ちだけはちょっといいので「まあ何とかなるでしょうね」みたいな面をして夜遊びとか繰り返していたのですよ、ミドル20の焦りみたいのも少しはあった様な気もするけど刹那的な楽しいことに逃げていた、ってことです
そんな時にお友達のライブを見に行ったのがojasだったわけで、ここでいつものあたしの直感が動くわけです
「ここでシャンソン唄いたい」
あっさりオーナーさんは興味を持ってくれて、あっという間にライブやってイベントやって、お友達増えて仲間が出来て、先日の有楽町でもojasでやったイベントのフライヤー展示しましたけれど、越路吹雪さんナイトをはじめてやったりしたのもここでした
そこのオーナーさんの苗字が偶然あたしとおんなじで、すっかり入り浸ってお手伝いなんぞもしていたあたしに付いた名前が
「シャンソンチックソワレってイベントやってるんだからソワレでいいよな」
ということになったわけです
ojasのスタッフだけで呼んでた内々の仇名みたいのが皆んなあったから、そんな感じだろうなと、そこだけの源氏名みたいなものかとちょっと嬉しかったりして二つ返事でそういうことになったのですが、まさかそれがこんなに長く続くとは思いも寄らず、これ本当
その仲間から続くDNAというか、ソウルというか、そういうものが「ブラヴォー!コーチャン!」にも繋がっていまして、なんて素晴らしいことなのだろうと思いました、本当に人生はたったひとりの一本の樹だなあと思います
その時に輝く太陽に向かって衒いなく幹を向けて伸ばせばいいのだ、眩しいんだからって目を背けてはいけないのだ、心に正直にってことかしら、大体そういうことは沢山あるものではないし、好きなものとか趣向が解っていたらそれでいいのかも
ってことで実はもう一件お店出すことになりました
あたしを救ってくれたojasみたいなところになったらいいなあ、と強く思いながら準備をしています、素晴らしい相棒もいるので心強いところです
昨日の毎日新聞にもありましたが、人と人が目を見て繋がれる場所になったら、と
それが一番のテーマだったりしていますので
こちらのこともちょこちょここちらでお知らせしますね、来年の春にオープン予定です