東京のど真ん中で”演劇”を観た
2021年11月30日、新宿シアタートップスで『ゴールドマウンテン』という舞台を観劇した。作・演出は川尻恵太さん。
この舞台は、彼が札幌の片田舎(手稲区)から東京に出てくるまでを描いた自伝的舞台(そんな言葉が存在するかは知らない)である。
細かいあらすじはホームページを確認してほしい。
それまで少しばたばたしていたこともあって、特に前評判などを仕入れずに当日を迎えた。楽しみすぎて変に肩に力が入るということもなく、ハードルを上げすぎずにフラットな感情のまま舞台は開演した。
開演して数秒、狭い舞台上に6人か7人。見た目が大人の4歳がいたり、見た目が女性の犬がいたりする。演劇では日常茶飯事。とは言いつつ、頭の中は状況整理であたふた。そこから数分経ってようやく落ち着いてくる…
のが普通、今まで観てきた演劇はそうだった。だが、ゴールドマウンテンはそうはいかない。なぜならこの舞台、10人のキャストに対して登場人物がのべ60人以上というカオス演劇だったのだ。
カオス演劇は、私を札幌の手稲区へと誘う。
そこは遥か遠くなのかと思いきや、実は最も身近である自分の物語でもあった。
「都合の悪いことを妄想で塗り固める」「祈りは呪いに近い」「好きなことをやれ」何から何まで全く無視することのできない言葉の数々。これは私の物語だと錯覚した。
モラトリアム期間の全ての想いを背負い、東京へ旅立つことを決めた清太(主人公)。彼は妄想から脱却し、価値ある人間になりたいと願う。
対して私はどうだろう。来年の春、私は大学を卒業することができれば社会人となる。清太は己の意思で現実と向き合うことを決めた。私は違う。その時が来るまで現実から目を逸らそうとしている。
清太が東京へと向かうラストシーン、私はそのシーン中ずっと誰かに監視されている気分だった。まるで清太を引き合いに、私を見下すかのような視線を感じる。あまり居心地は良くない。それでも真剣に食らいついた。
まずは、目の前の舞台で決断を下した男がいるという事実から逃げないこと。自分がまだ踏み出せていない一歩を踏み出した人がいる。それを受け入れることで、私もようやくスタートラインに立つことができた。そろそろ現実と向き合ってみてもいいのかもしれない。
観劇後、こうした感情が湧き上がるのと同時に、私が抱いた最も率直な感想が、ずばり「”演劇”を観たな~」である。
正直、公演終了直後は毎回頭の中が混乱していて、感想を上手く言語化することができない。そのため、いつも「”演劇”を観たな~」という感想だけが宙に浮かぶ。過去に何度も同じような体験をしてきた。
バカみたいな感想に対して、私は不思議とこの純粋な気持ちを大切にしたいとも思っていた。
そして、今回ようやくこの”演劇”の正体の一端を掴めた気がする。それは、コロナ禍がきっかけとなって浮き彫りとなった。私が感じる”演劇”とはつまり『劇場体験』である。
舞台芸術は大道具や小道具、照明、音楽など、あげたらキリがないほどの様々な要素が渾然一体となって作り上げられる。まさに総合芸術である。
もし、総合芸術としての要素に「観客」が含まれるとしたらどうだろう。全く同じ公演でも、配信では「”演劇”を観た」と感じにくくなるかもしれない。それは、観客目線然り、実際に舞台上で演じている役者も”演劇”をしている実感は薄いのではないだろうか。観客が劇場へ足を運ぶことが、演劇を演劇たらしめている可能性は高い。
現実に振り回され続けている私でも、観客として演劇を完成させることができる。演劇は、あなたの存在が大切であることを教えてくれる。こうした体験は滅多にできることではない。
新宿という東京のど真ん中で、私は”演劇”を観た。本当に恵まれていることを実感する。この事実は、これから現実と向き合う私の強い味方となってくれるはずだ。