「またいつか」はいつなのか
京大卒元メガバンカーの総一郎です。
僕は京都大学在学中に一年間休学をしてカナダに10カ月の語学留学をした。
きっかけは、ある男と再会し絶望したこと。
そして、留学することを決断できたのは行動力の有る彼女がそばにいたこと。
というお話をした。
#過去の記事はこちら
『僕を絶望させたある男との再会』
『一歩踏み出すには仲間がいたほうが良い』
決断した時は「なんとなく留学に行きたかったから」という動機だった。
が、当時就職活動などを通し「なぜなぜ思考」を身に着けていたからか、「なんとなく」では終わらせずちゃんと深掘りをした。
僕が留学の動機が「なんとなく」ではいけないと思ったのには訳がある。
その原体験を今回はご紹介したい。
就職活動の面接などで語る志望動機は「御社に入りたいから」というなんとなくの動機ではいけない。
留学や受験、結婚や離婚など、人生における決断の動機も同様に「なんとなく」ではなく明確にしておくに越したことは無い。
今回の記事は、何か新しいことを始めようとしている方や、就職活動をしている方のお役に立てるかもしれない。
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▼「またいつか」はいつなのか
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祖父は海外を飛び回っていたし、母も過去に留学経験があった。
母は、僕が中学生か高校生のころ、留学時代のドイツ人のお友達の結婚式に招待されていた。
思春期真っただ中だったが、僕はその結婚式についていき参列し、初めて海外というものを知った。
そんな海外に縁が有る親たちだったので、ありがたいことに、僕ら兄弟は「留学に行け」とずっと言ってもらっていた。
そして、たしか高校一年か二年の時、お言葉に甘えてオーストラリアに3週間だけ留学したのだ。
3週間の留学がどうだったかといえば、当時英語を苦手としていたし、シャイな性格だったこともあり、英語はろくに話さず、同じように留学に来ていた高校生とつるんで日本語で楽しく生活をして過ごしてしまった。
それはそれで無駄だったわけではなく、多くの学びが有ったわけだが、
「せっかく大金を払って留学させてもらっているのだから英語を話さなきゃ意味が無い」
というのは分かっていた。
分かってはいても、拙い英語で生活するのはシンドイうえ、日本語で話しかけられたらどうしても日本語で答えてしまう。
「3週間頑張ったところで大して上達しないし、また大人になったら長期で留学するから、その時頑張れば良いや。」
「親が行けって言ったから来てるだけだし、楽しんで帰れば良いんだ。」
と自分に言い訳をし、易きに流れてしまった。
留学経験の有る方はお分かりいただけると思うが、これは「留学あるある」だ。
そして「また大人になったら長期で留学するから」と不甲斐ない言い訳をし悔しい想いをしたはずなのに、留学をしようなんて一度も頭をよぎること無く、気づけば大学3回生。
あっという間に社会人になろうとしていた。
「大人になったら」「またいつか」は待っていても来ない。
自分で行動するしかない。
それが今なんだ。
ということに気づいた。
高校時代の失敗体験が奇しくも繋がったのだ。
「失敗は成功のもと」とか「悔しさをバネに」とかいうが、やはり失敗体験や悔しい体験は無駄にはならない。
こんな形で次の行動に繋がることも有るかもしれない。
PS(追伸)
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