呼称。
もうすぐ20歳になるというときに、統合失調症という診断名をつけられた。このときは抵抗もあったが、同時に一生付き合っていかなければならない疾患、障害であるため、僕という存在が社会から認められたような気がした。でもそれは錯覚で、差別や偏見もあるのだけど。安堵する一方で、これからのことが不安だった。
僕はざっくり分けて二つの人生を生きている。一つはユニークフェイス/見た目問題当事者としての人生。もう一つは精神障害者としての人生。いわゆる「ダブルライフ」というやつだ。どちらか欠けても、僕足りえない。
僕は、僕でしかない。確かにそうなのだけど、呼称、呼び名が与えられることで同じ当事者たちと「連帯」できる。連帯し、社会に訴えかけることもできるし、悩みや問題を「共有」できる。これらの恩恵はいくら強調してもいいくらいだ。
その一方で、悩みや問題といったものが、アザに起因するものなのか、精神障害によるものなのか、よくわからなくなっていた。今思えば両者は簡単に切り離せるものではないのだけど、当時は自分のことも周囲のことも全く見えていなかった。ただただ、日々押し寄せる悩みや問題に押しつぶされていた。
僕の心が休まる場所はどこにもなくて、いつも何かにおびえていた。