知的障害者とアザもち。
僕には知的障害と診断された幼なじみがいる。わざわざ”診断された”と表現したのには理由がある。僕たちは何かしらのカテゴリーを付与されてこの社会を生きている。僕であれば男性だとか、精神障害者だとか、学生だとか、未婚者だとか、そんなところだろうか。こうしたカテゴリーは僕たちがこの社会を生きていき、人と関わる上で一定程度必要だと思う。知的障害と診断され、障害認定されることで社会から様々な支援を受けるのは、障害者として当然の権利だ。
ではそうしたカテゴリー化に弊害はないのだろうか?否、と言わざるをえない。少し幼なじみのエピソードを話そう。僕と幼なじみである友人(以下、A君)は同じ小学校に通っていた。小学5年生のとき、ある日僕たちの日常は突然引き裂かれた。A君の転校が当時の担任から告げられた。僕はただただ困惑して、号泣することしかできなかった。A君からは何も聞かされていなかった。
担任「あんただけだよ。A君のことを想って悲しんでくれるの。」
担任が事情を僕だけに教えてくれた。知的障害と診断されたこと、それで特殊学級(今は特別支援学級と呼ぶ。)に入ること、ここの小学校には特殊学級がないからそれがある小学校に転校する必要があること。今思えば、思い当たる節がある。
A君とばかり遊ぶのはやめるように担任から言われていた。僕たちは学校でも、放課後でも、休みの日でも、いつも一緒だった。それを見かねた担任が他の生徒とも交流をもつように促しているのだろう。まだ子供だったからそんなふうに漠然と考えていた。
担任の言動を今振り返ってみると、A君と離れ離れになることを懸念していたのは確かだ。ただそれだけではないように思う。根底には本人は無自覚かもしれないが、障害者差別があったのではないか。そう思わせる言動は確かにあった。
担任「友達はちゃんと選びなさい!」
この言葉が今でも頭から離れない。一体、A君と僕にどれほどの違いがあるのだろうか。知的障害と診断された、ただそれだけで僕たちの関係は一変してしまった。転校するだけで引っ越しはしないと、後になって聞いた。それでもこれまで通りの関係を続けていくことはできなかった。僕にも、A君にも、そして社会にも、とても高い壁が存在した。その壁が僕たちの関係を阻み、分断した。転校した当初こそ、休みの日などは一緒に遊ぶことが多かったが、次第にA君とは距離ができ、遊ぶことはほとんどなくなってしまった。
月日は流れ、僕とA君は中学生になった。僕が通うことになった中学校には特殊学級があり、A君もそこに通うらしい。それを知った僕は通学路がA君と同じだったこともあり、一緒に登校しようと誘った。二つ返事で同意してくれたのは素直に嬉しかった。これからまた以前の関係が取り戻せるのではないか、そんな淡い期待があった。でも、それはすぐに崩れ去った。
入学してしばらくすると、A君は毎日ジャージで登校するようになった。特殊学級には毎日朝、ランニングをしなければならないと決められていたそうだ。これは特殊学級だけで普通学級(今は通常学級と呼ぶ。)にはない決まりだ。そのことは普通学級の大体の生徒は知っていたため、彼らは教室の窓から時折校庭を眺め、どこか軽蔑する目で見ていたことは今でも忘れられない。もちろん登校するときもジャージだったため、より目立つこととなった。教室のクラスも普通学級は5組まであった。特殊学級は1組しかない。当然、特殊学級6組だと推察する人が多いだろうけど、実際は10組とされていた。僕たちを分断し、引き裂くには制度的にも周囲の生徒の態度からも十分すぎた。ものの数ヵ月で、少し距離を置こうとA君から提案された。僕は少しずつA君の存在が周縁に追いやられていくのを感じた。
幼なじみとのエピソードは一応こんなところだ。カテゴリー化の弊害を少しは理解してもらえただろうか。カテゴリー化はその人がどんな人か判断する材料になる。だが、それは時に差別的な振る舞いや言動を引き起こす材料ともなる。
今度は僕の話をしよう。僕の口元には少し大きめの黒アザがある。外見に疾患や外傷がある人は日本でおよそ100万人いるとされている。最近ではユニークフェイス、見た目問題、容貌障害、見た目マイノリティーなどと呼ばれている。僕はその当事者でもあるし、おままごとと言われるかもしれないが、そのことについて学部生ではあるが研究している。以前は省庁でこうした外見に疾患や外傷がある人々を障害認定しようと議論されたこともあるが、今ではすっかりそれも下火というかなくなってしまった。
口元に黒アザがあることで僕はたくさん差別と呼ばれる不当な扱いを受けてきた。今でこそ社会的認知度が少しずつ上がってきたものの、それでも現状、この問題が解決や緩和に向かっているかと言えば全くそんなことはない。差別はいつだって突発的であり、突然であり、不当であり、理不尽に襲いかかってくる。
A君はそんな僕をいつだって救ってくれた。手を差し伸べてくれた。障害の有無とか、アザとか、そんなことは気にせず1人の友人として、もっと言えば「人」として、自分と対等な関係を結んでくれた。A君に黒アザのことを聞かれたことは1度だってない。僕も知的障害のことをA君に聞いたことは1度だってない。それはお互いに対等であり、尊重し合い、知的障害者だとかアザもちだとか、そんな風にカテゴリー化して矮小化することなく、全人格を受け入れているからだ。
僕は別にこうした関係性のあり方が正解だとか、適切だとか、そうしたことを言いたいのではない。この社会は理想だけでは回らないし現実が厳しいことは承知している。それでも敢えて言わせて欲しい。この社会では多種多様な人々が生活していて、様々な情報が溢れかえっている。僕の目線や解釈に則れば、僕たちは安易に他者をカテゴリー化して、わかったつもり、理解したつもりになっていないだろうか。矮小化して他者を枠にはめて接していないだろうか。
恥ずかしながら、僕自身は研究という営みを続けているうちに、そうしたカテゴリー化ないし矮小化を行ってしまった時期がある。だからこれは読者へのメッセージというより自分への戒め、自戒である。それに人はいつだって差別的になりうるし、偏った知識から偏見を抱いてしまう。少しでもこうしたことに自覚的でありたい。