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霞町音楽堂のプログラムノート

私が書きました✏️昴21弦楽四重奏団の演奏会プログラムノートを公開しますので、絶対いらして下さいね!!!

佐久間聡一


メンデルスゾーン  弦楽四重奏曲第2番

第1楽章 アダージォ アレグロ・ヴィヴァーチェ

第2楽章 アダージォ・ノン・レント~ポコ・ピゥ・アニマート

第3楽章 間奏曲 アレグレット・コン・モート アレグロ・ディ・モルト

第4楽章 プレスト


早熟の天才メンデルスゾーン 、18歳の時の作品。
2番、と言われていますが実際には現在1番とよばれているものよりも先に書かれています。では、この作品は若者の習作かというと、とんでもない。
すでにあの金字塔、有名な弦楽8重奏はすでに書き終わっていたのです。
ベートーヴェンの死後から、数ヶ月後にメンデルスゾーンはこの作品を手がけました。その理由は、ベートーヴェン後期の弦楽四重奏曲は訳の分からない作品であるという世相に違和感を持っていたからでした。
自らもその深淵に迫りたいと弦楽四重奏の作曲を始めたのです。
形式やモチーフにはベートーヴェンへのオマージュが見られ、レシタティーボのような場面が時に現れるのはまさに古典の形式からの自由、ロマン派の息吹きを青年メンデルスゾーンが継承するかのようです。
彼はその後38歳の若さでこの世を去りましたが、シューマン、そしてブラームスがその意志を継ぎ、音楽芸術はさらなる発展を遂げるのでした。


ブラームス  弦楽四重奏曲第2番

第1楽章 アレグロ•ノン・トロッポ

第2楽章 アンダンテ・モデラート

第3楽章 クワジ・メヌエット・モデラート

第4楽章 アレグロ ノンアッサイ


メンデルスゾーンの早すぎる死に、音楽界は悲しみに包まれていました。そこに、彗星のごとく現れた若き青年がブラームスでした。
音楽界を盛り上げようと評論家としても活躍していたシューマンは、「新しい道」という雑誌でブラームスを紹介し、激賞したのです。以後ブラームスはシューマンに認められた若い才能,として演奏家仲間、聴衆、評論家の信頼を得て、一気にドイツロマン派の希望の光となるのでした。
この弦楽四重奏曲第2番は40歳の時の作品で、深い抒情性とハンガリー的な民族色を合わせ持っている所が魅力的です。
また、この曲にはブラームスの親友のヴァイオリニスト、ヨアヒム のモットーが隠れています。
ヨアヒムのモットー はFrei Aber Einsam 「自由には孤独がつきもの」です笑
F-A-E(ファ-ラ-ミ)という音列がそれです。
皆さんも曲の中のファラミを探してみて下さいね。

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