継続すること
2020年の新年以降更新していなかったnote・・・。
2021年10月18日に至るまでに世の中は大きく変わってしまったわけです。コロナ禍が始まり、世の中が、自分の会社が、自分が、どうなっていくか分からない世界。気持ちは上がったり、下がったり、上がったり、下がったり、下がったり・・・。自分だけでなく、世界中の人がきっと同じ葛藤をかかえているのではない。
松崎商店で言えば、21年になって、すずらん通りから東銀座へお引越し。屋号も『銀座 松崎煎餅』から『MATSUZAKI SHOTEN』へ変更しました。
煎餅のその先を考える際に「必要なこと」を整理していてたどり着いた、「煎餅以外のものも売る」ということ。実は4丁目、自社ビル時代から考えていたことだったわけだけれど、立場が変わって代表となり、本当の意味で舵を切ることがやっとできたという印象です。
会社の商号は祖父が命名した『株式会社 松崎商店』。そこには、煎餅だけでなくても良いのではないかという意味が込められていました。ここに、「煎餅だけでは厳しいのではないか」という思いがあったのかは分からないけれど、祖父は、切り絵の個展をやったり、小唄をやったり、舞ったり、とても多彩な人でした。自分の趣味と仕事を結びつけて、いろいろなことをやっていたのだろうと思うと、今の自分と似たところがたくさんあるなと勝手に思いを馳せているわけです。自分が入社した時には他界してしまっていので、煎餅屋としての視点で話をすることが叶わなかったことは、今でも残念に思っています。
最近、呉服屋『銀座もとじ』の二代目から勧められて購入した本『明治の銀座職人話』には、祖父の祖父、平太郎のことが書かれていました。夜な夜な老人(きっとこのときは自分も老人なので、同世代?)を集めて話をしていたらしく、今自分がこの東銀座の店でやろうとしていることと同じ気がしてならない。本には「今でいう老人クラブ」と書いてあったけど、きっと銀座のサードプレイスだったのではないだろうか。
そう考えるとよく言われることだけれど、隔世遺伝とはよく言ったもので、本当に自分は高祖父、祖父と脈々とつながっている気がしている。(実際のところ高祖父に子供はいないので、DNA的な話ではないのだが。。。)
こうやって脈々と繋がっている松崎家の血。時代とともに形は変われど、さらに続けていくためにも、まずは、このnoteを続けてく癖をつけるところから始めてみようと思う。