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川上創平にとっての「生きる」ということ

仰々しいタイトルで始まりました。
ここからどんな暗鬱とした文章が続くことでしょう。
と、予想したそこのあなたーー

僕にとって生きるというのは死ぬということだ。
たまに、『生きるということを前向きに考えろ』と講釈を垂れるモノに出くわすことがある。

あんなのは嘘だ。

人はいずれ死ぬ。必ず死ぬ。どうあがいても足掻かなくても死ぬ。大事なことなのでもう一度言おう。人は死ぬ。
前なんか向いてちゃいけない。その先にあるのはまごうことなき『死』である。

ではどうすればいいのか。

『今』を生きればいい。
これまでの人生で一番経験を積んでいるのは『今の自分』。これからの人生で一番若いのも『今の自分』。

今の自分 is 最強。一生今の自分で生きよう。大事なことなのでもう一度言おう。今の自分フォーエバー。あ未来見ちゃった。(死)

ーーのために、文章を書いてみました。
どうですかあだめですかあそもそももとめてなかったですかごめんなさい。

でもだってリード文なんてそんなちゃんと読まないでしょ?どうせここまで1スクロールで飛ばし読みしてるんでしょ?とりあえず目次の下のところをサーッと読んで閉じちゃうんでしょあそんなことないですかじゃあ目次でだいじなことにかいいっておこうかないやでもこんなリード文読むなんてなんて時間の無d……



思い出


……さて、生きるのに理由欲しくなるときってありますよね。

どうせみんな死んでしまうのになんでこんな必死に生きてるんだろう。「必死」に「生きる」。おもろ。

「本能」とか「そこに理由はない」みたいに言うこともできるけど、いやそうじゃなくて。生きる理由を自分が納得する言葉で紡がないとフラフラ倒れちゃいそうみたいな、そんな夜に。生きる理由が必要になるわけです。

僕の生きる理由は「思い出づくり」。たくさんの記憶を作りたい。代わり映えしない日々では思い出は残りづらい。
だから変化が大好き。上向きとか下向きとか関係ない。「変化が起こること」「稀有な現象を体験すること」。これが僕の生きる理由。

本番


そして、思い出を特に強く脳みそに刻んでくれるイベントが「本番」。
「本番」の定義はまだしっかり言語化はできていないけれど、「1人または大人数で準備に取り組んだ結果の刹那的な時間」みたいな感じ。

学生時代は「本番」が多い。
大きい学校行事だけでも、色んな式、部活の大会、運動会、学芸会、修学旅行とかとか。もっと細かくみると、バレンタインとかクリスマスの色恋沙汰に伴うイベントとかとか。真面目な人は教科書のまる読みですら、「本番」を感じていたかもしれない。

そう。「本番感(『本番』を感じる度合い)」は人によって違う。どれだけ人から見たら特別なコトをしていても、当事者がそのコトに慣れていたら「本番感」は薄れる。

勘の良い読者はそろそろお気づきだろうがこのnoteは最後に劇団まきじゃくの宣伝をする。そういうnoteだ。そういうnoteだからこそ本気で書いてる。最後まで読んでくれたら嬉しい。読まずにまきじゃくのSNSをフォローしてくれるだけでも嬉しい。何でも嬉しい。読んでくれてありがとう。てへ。

人生に慣れないために


「世の中が落ち着いたらこういうコトを始めてみよう」と言っている人たちが一生行動しないのはなぜか。この人たちは嘘をついているわけではない。世の中が落ち着くことなんてないのだ。振り返ってみれば穏やかに思える時代でも、その渦中にいた人々は日々ダイナミックに動き続けるドラマの中に生きていたはずなのだ。社会は大勢の人間で成り立っているのだ。大勢の人間がいる世界に変化が起きないはずがないのだ。へけっ。

しかし人間は賢い。過去に起きた変化を覚える。その変化の乗り越え方を編み出し、同じような変化は乗り越えられるようになる。
そう、それこそが「慣れ」。「本番感」の最大の敵である。

この敵から逃げるのは相当難しい。稀有な選択肢を選んだところで、選んだ本人にとってはそれが「当たり前」になってしまう。これは結構ヤバい。僕の「生きる理由」が弱まってしまう。

そこで見つけ出し方法が「大人数で趣味として演劇を作ること」であった。


演劇を作るということ


大人数で演劇を作ること」のなにがいいかって、コミュニケーションコストが膨大ということだ。ほんとうにめんどくさい。
それぞれがやりたいことをやれる環境を作り、よくない変化が起きそうなのを察知したらテコ入れし、数十人の気持ちを考え続けながら、明確な納期(本番日)までに作品を作り上げなくてはならない。

しかも「趣味として」だ。金銭を目的とした団体ではないため、仕事として演劇をしている人はこの団体にはほとんどいない。これもめんどくさい。お金は目に見えるからわかりやすい。しかしここでは目に見えない価値を作って数十人からちゃんとやりがい搾取をし続けなくてはいけない。誰かの趣味嗜好が変わったらそれに合わせてその周りの環境も変える。

アメーバみたい。

自由に動いてしまうアメーバの細胞をなんとかゴールにたどり着かせるために四苦八苦する日々。これが最高なのだ。
準備が大変であればあるほど本番の記憶は強く脳みそに刻まれる。

そしてその先に待つは明確なゴール。


本番


本番の明確さ。演劇作品と映像作品の、作り手としての最大の違いはここにあると思う。
映像作品の本番は一体いつだろうか?公開日を思い浮かべる人は多い。だがしかし、編集作業に携わらない役者を含む多くの撮影現場スタッフにとって、公開日には本番はとっくに終わっている。撮影と編集のタイムラグがこのズレを生み出す。

一方、演劇の本番がいつか迷う必要はない。そう、公演日だ。
1年以上前から数十人の人が携わり、作り続けた作品がお客さんの目に映る刹那。舞台上で役者が芝居をする刹那。照明・音響が計画していたとおりに舞台を彩る刹那。まさにそのとき、作品は完成し、客席に届けられる。

これほど準備が大変で、明確な「本番」を感じる表現形態が他にあるだろうか。(いや、ないだろう)

小道具、舞台美術、舞台装飾、役者、プロデューサー、音響、制作、照明、宣伝美術、広報、受付、チケット担当、舞台監督、主宰、衣装、演出、撮影……そして、お客さん。作品に携わるすべての人が明確に体験する「本番」がそこにはある。

趣味として大人数で演劇を作るなんていう、ほんとうにめんどくさい行為。作っている間は疲弊しまくるし、苦しいし、もう二度とやりたくない、と何度も思う。

でも、

本番のあの瞬間を体験すると、そんなことはどうでもよくなる。直後の打ち上げで「次は何をつくろっか」なんて話してたりするのだ。


宣伝


と、いうわけで、僕が主宰する劇団まきじゃく次回公演『回り道』の本番が迫ってまいりました。

まだ予約してないよ〜という方がもしいらいしたらこちらからご予約ください。


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もう一度いいます。こちらからご予約ください。


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大事なことなので2回言いました。

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川上創平
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