見出し画像

ヒーローになりたかった少年の唄2021⑩

駄菓子屋の黒はんぺんとAI


僕が生まれた静岡市の駄菓子屋さんには、なぜか必ず大きな角鍋があって、串に刺したおでんが駄菓子と一緒に売っていた。

串一本30円とかで、おでんは学校帰りの子供にも人気のオヤツだった。

ネットで調べたところ、どうもこれは静岡独自のシステムらしく、全国の他の駄菓子屋におでんの鍋があるというのはあまり聞かない。

今では全国のB級グルメが大人気で、「静岡おでん」というキーワードを聞いた事のある方も多いと思うが、当時はこれが静岡だけのシステムだとは知らないので、全国どこでも駄菓子屋にはおでんが売っているものだと思っていた。

静岡以外の方は、「はんぺん」といえば、白身の魚をすりおろした真っ白でフワフワなやつを想像すると思うが、静岡の場合、ただ「はんぺん」と言えばそれは「黒はんぺん」のことであり、白いほうには「白はんぺん」と、敢えて「白」をつけなければならないのだ。

古い人は「はんべ」と言ったりもする。
焼いて生姜醤油で食うのもまた酒の肴に最高だ。

黒はんぺんは、白身ではなく光り物のイワシなどを潰して練り上げるため、ツミレのように濃いグレーとか茶色なかんじの見た目をしている。
その昔は長靴みたいなのを履いて魚を踏み潰して作っていたらしい。

当然あまり高貴な感じはせず、一般民衆の食い物であり、これは僕にとっていわゆる「ソウルフード」ってやつだ。

10代で静岡を出て上京してしまった僕は、たまに静岡に帰ると、今でもあの懐かしいおでんの黒はんぺんが食いたくて仕方なくなるときがある。

静岡おでんは、鍋で汁がしみて黒くなるまで煮込んだものに、練りカラシと魚粉と青のりをつけていただく。
玉子なんかも、黒くて何かに漬け込んだような色をしている。
鍋が冷えると、牛スジの脂が固まって真っ白いラードが汁の表面を覆う。

画像1


まあ、なんとも大衆的で雑な食い物ではあるが、こういうB級なものほど思い出に色々リンクしていて、写真をみているだけでヨダレと懐かしさが込み上げてくる。

上京した人達が、急に田舎に帰ったりすると「なんにも用意してないからおでんしかないよ!」
なんて言われるくらい、普通の家庭の普通の常備食だったりするのだ。

地方によって色々皆さんにもこういった「ソウルフード」があるだろう。

美味いとか不味いとかいう以前に、自分が所属している文化への安心感というか、そんな深いものがあるような気がする。

いい曲を作ろうと思って昔から色々試してきて、いい曲を作るのに不可欠なものには、美しいコード進行やら、耳に残るメロディー、目を見張る歌詞のフックなど、色々重要な要素はあるものの、僕にとって絶対に欠かせないキーワードは、この「黒はんぺん」のような、「身体が反応してしまう懐かしさ」なのだということに気づいた。

それで僕は「昭和」というエッセンスを必ず曲に入れるようになった。

上物のステーキや、フォアグラ、ウナギに伊勢海老、大トロ、ウニなどの高級食材の魅力とは全く別に、「お祭りの屋台で買った冷めた焼きそば」とか「ばあちゃんの握った梅干おにぎり」みたいな、なんというか、ブルースの効いた食いものが胃にも心にもガツンとくる。

僕に言わせれば音楽も全く一緒で、衛生的にどうだろうが、見た目のスマートさがどうだろうが、真っ黒になるまで煮込んだあの静岡おでんのチープな懐かしさに勝てるものはあまりないのだ。


ユーミンの「ダンデライオン」という名曲の歌詞にある一節が、本当に的をついているなぁと思う。


♪故郷の両親が~よこす手紙のような ぎこちない温もりほど 泣きたくなる~♪


もう、文字を並べて読んでるだけで泣きたくなるいい歌詞だ(笑)


歳をとればとるほど、こういう感覚は研ぎ澄まされていく。

「最近涙もろくなったのは歳のせいか」と話すのを同世代からもよく聞くようになったが、まさにそうなのかもしれない。
最新のハイテクな楽曲より、昭和の古い歌謡曲に感動するおじいちゃん、おばあちゃんたちの気持ちがよく分かるようになった。

AI全盛のこの時代、これからは0と1だけで表現しきれない、屈折した人間ならではの感情に訴えるもののみが本物のアートとして価値を持っていくことは間違いないと思う。

どんなにデジタルが進んでも、人間の心ってやつはきっと因数分解できないものなんだと思う。

あぁ。。
カラシの効いた黒はんぺんで1杯やりたいなぁ。




いいなと思ったら応援しよう!