![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/168159053/rectangle_large_type_2_e660dbbabb781c3003fae215cbd2c082.png?width=1200)
ミス・ペトロール
※楽曲「ミス・ペトロール」の解説ではありません。
精神病やら薬物乱用やらを甘く味付けしたコンテンツが寒いと言われるようになってからしばらく経つが、まだまだ一部の人が寒い寒いと言っているに過ぎず、むしろ世代を超えて人口に膾炙していっている最中のように思う。
女児向けのシールセットには錠剤やピルケースのシールが入っていて、ゲームセンターに行けば注射器型のボールペンがこれまた女児向けのUFOキャッチャーの景品になっている、今はそんな変な時代である。
誰が流行らせたか、という犯人探しでは問題の根本にアクセスできない。無数にコンテンツは生まれ、その中から我々が選び取って支持して流行らせているのだから、変なものが流行ったのだとしたら、原因は我々大衆にある。
「選び取って支持している」までは思っていないとしても、少し動画を長く見ただけで、ツイートを画面に写して止めただけで、選び取って支持していることにされる。「うわあ悪趣味だなあ」と思って見た1秒と、本当に好んで見た1秒を判別する術はYouTube側になく、あなたには否応なしに「悪趣味な刺激で喜ぶ感じの人」というラベルが貼られる。
コンテンツを創る側も、流行っている何かに関連して表示されるように創るのが仕事である(というか、そのようにされてしまった)。悪趣味な作品は増え続け、やがて「界隈」を形成し、互いに支え合うようになる。
才能のある人こそこだわりを持たず、技術のある人こそ題材を選ばず、その末に悪趣味なテーマを扱ったクオリティの高いものが量産され、終に「創作といえば悪趣味」の構図が出来る。
ボカロで何度も見た。昔はああいう悪趣味、今はこういう悪趣味というように悪趣味を取っ替え引っ替えしており、いつまでも祖父母の世代に聞かせられない曲、見せられない動画ばかりに囲まれている。
創作においては「人の感覚に訴えかける(≒人間であれば生理的に反応が起こるようなものを創る)」は褒め言葉のように言われるが、そういったものを褒める傍ら、一部に対しては「これはポルノである」という弁別と排斥が必要なように思う。でないと、まだ規制されていないだけのポルノが流行ってしまう。
こうして、別によく考えれば良くないに決まっているものが隆盛し、きっと、時代に飽きられ「古くさいもの」になるまでゆっくりと消費されていく。シックコンテンツはもうそのルートに乗った。
時代が飽きるまで待たなくてはならないのか。
薬が流行り終わるのを。
よりによって、ガワだけ消費されて非当事者に弄ばれる気の毒な当事者がいるような、あるいは当事者の真似をする人が現れるようなコンテンツが流行ってしまった。
もっと他にこう、あったのではないか。
例えば、ガソリンを飲むコンテンツとか。