京大卒が別に珍しくないことの説明
こんばんは、京大卒です。
何らかのステータスをフックにしてでも「まず覚えてもらう」ことが先決の世の中にあって、「京大卒」をひけらかす存在は増えてきており、別に珍しくも何ともなくなった感じがする。
ボカロPで言っているのはSohbanaくらいだと思われるかもしれないし、自分も他に言っている人があまりいないことを見込んで言っているわけだけど、今日は、そも京大卒の人間は別に珍しくないということをわかりやすい方法で示していく。方法を思いついてしまったので、やる。
まず、京大の入学定員合計は毎年2800人強である。
このうち5%が中退などして卒業しないとして、毎年約2700人が京都大学を卒業していることになる。
日本人の平均寿命は男性81歳、女性87歳だそうなので、男2:女1の加重平均を取って卒業生の平均寿命は83歳だとする。
彼らは22歳で京都大学を卒業するとして、平均61年間「京大卒」として生きることになる。
つまり、毎年2700人生まれている人間が、61世代生きていることになる。
ざっくり、日本で2700×61=164,700人の京大卒が生きていると言える。
ここで、「日本の名字ランキング」を引き合いに出す。
![](https://assets.st-note.com/img/1736145808-6YJhZwPzapsbuANvtjRMBf7L.png)
ここから下に見ていって、167,400人くらいいる名字を調べる。すると、このあたりの名字と同じくらいだった。
![](https://assets.st-note.com/img/1736145952-nmpXJ4Cu6P9HYbf0ceOZKqjN.png)
つまり、日本の人口の中で、京大卒は桜井、高野、吉川、渡部、山内辺りの名字と同じくらいいることになる。「全然いる」と思えてきたのではないだろうか。
何なら、若くなるにつれて少なくなる日本の人口分布とは違い、京大は毎年コンスタントに、何ならちょっと定員を増やしている傾向にある。(意外かもしれないが、東大より京大のほうが定員が少ない。)
![](https://assets.st-note.com/img/1736146223-kXv0fJb2EYqNczQrpD7CnLdo.png?width=1200)
皆さんが若いならば皆さんの知り合いも若いと思うのだが、その中の比率で言えば上に挙げた「桜井、高野、吉川、渡部、山内あたりの名字」よりも存在割合が高いことになる(下図)。
![](https://assets.st-note.com/img/1736147673-5lMIjhnVLb9pdzf2AmKwJsPX.png?width=1200)
ついでに、京大院卒を含めるともっといることになるし、「東大卒や京大卒」と括ってしまえば人数は倍以上になる。
そう珍しいステータスではないのがお分かりいただけただろうか。
皆さんが何人ボカロPを知っているかわからないが、Sohbanaを知っていれば平均して1200人くらいはボカロPを知っているはずである。
(Sohbanaのnoteを見に来るような偏った人を基準に考えてはいけない。)
![](https://assets.st-note.com/img/1736146879-3Uu4wCNJdXmlPYsTHz6vOgtR.png)
その中に京大卒がまだ眠っていないという確証はない、というか、当然、眠っているはずなのだ。実際、「実は僕もなんス」というCOを何人かから受けている。
僕が珍しく京大生/卒でボカロPをやっているのではなく、「学歴なんか普通は言わない中、たまたま僕がフックとして公開している」に過ぎない。
生きることの不可避な売春性。
今回の有料は「僕が京大生の中でどうなのか」という話。
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