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初詣

・今やほとんどの年中行事が資本と結びつき、ブラックフライデーのように資本都合で生まれた年中行事も出てきつつある中で、人々が頼まれてもいないのに神社に詣でる「初詣」だけは資本との無関係性を貫いている。

・とでも思ったか。

・あなたが初詣に行く/年始に縁起の良いことがしたくなるのは、「行かなかったら何か良くないことがあるかもしれない」という先行き不安からのものであり、「行かなかった人よりも優位に立ちたい」という独善的な考えに基づくものだ。参拝という行為は抜け駆けの論理なしに説明できない。

・中央で天皇陛下が国民全体の無病息災を願ってくれているのに、一定の割合で人は癌になるし、家が燃えるし、地震が起こる。この貧乏くじが自分に来ないように、人は個人で縁起を担ぐ努力もする。

・初詣で無病息災を願ってもそうでなくても、mRNAの転写ミスがあれば人は癌になるし、プレートが動く限り地震は起こる。自分ではどうしようもないが、神がどうにかしうるメカニズムも想像できない。他人より損をしたくないからセールの時期に買い物をするのと同じで、我々は資本にくすぐられるのと同じ要領で神(もしくはその取り巻きの人)にくすぐられている。

・健康とかそういう基本的なものが疎かな方の中には、何か+αの成果を願った人もいるかもしれない。ボカロPであれば「動画が伸びますように」と言った具合に。

・あなたが神だったときに、「○○(2189年にできた知らんSNS)の再生数が伸びますように」「××(2464年から五輪種目入りした知らん球技)の試合で勝てますように」「△△(3140年代に台頭した知らん競争原理)で□□(△△において勝ちを意味する知らん言葉)できますように」と聞いて、どう思うか。神からすれば全て同じようなものである。

・我々の願い事の中には、資本主義が我々を不安たらしめることによって生まれているだけのものがある。動画が伸びていなければ伸びますようにと願うし、伸びていれば伸び続けますようにと願う。ここに解決は存在しない。マッチポンプめいている構造なだけに、これを願う人が後を絶たない。冒頭の話にここで戻るが、初詣も立派に資本主義に支えられた年中行事だということになる。

・ちなみに自分も初詣には当然行ったが、おみくじだけ引いて参拝はフリだけにしておいた。

・「自分の課題の原因は自分でわかっていて、それをどうにかすれば他の何かを失ってしまい、その方が嫌だ、ああどうしたらいいんだ」と思っているだけなので、神にやってほしいことがあまりない。

・「こいつ何も言わなかったからなんとなく幸せにしておくか」でなんとなく幸せになれるかもしれない。なんとない幸せが一番ありがたい。

・おみくじは神側からのアウトプットであり、自分の人生に誰かが何か言ってくれる大変稀有な機会なので、好きだ。今年も引いた。

・末吉で、「今何か志してますよね?それはどこか間違っている(どこか言えや)ので、大人しく旧縁(事務所とかかな)が持ってくる仕事を頑張ってください」ということが書いてあった。

・昨年は大吉で「特に後半はウハウハ」と書いてあり、確かに実績上はウハウハだったかもしれないが、過去曲の掘り返しや他家から鳴いた実績ばかりで自ら価値創出をした感覚に乏しく、かなり憂鬱だった。実際「鬱で何も出来ない」を経験したし、この時期に獲得した「創作とかいう、自分のあり方をある地点で固定して成長・変化を許さない愚かな行為」という感覚は今も尾を引いている。

・自分の救われ方は今の自分に納得できるものとは限らない。見てくれが救われてるっぽくなることが、神に救われることの本丸なのかもしれない。少なくともここ数年のおみくじが自分にそう言っている。

・神も客体に過ぎなくて、「救われているように見えてしんどかったこと」については「実はしんどかったんです」とわざわざ言わなければ伝わらず、別の感じの恵みも試してくれるが自分は満足できず、やがて自分が周りに言われているように「じゃあお前はどうなったら幸せなんや」と雷を落としてくる。

・どうせなら、神にそこまで理解してもらってから、匙を投げる思いで天変地異を起こされて死にたい。

・神が本当にクソデカい匙を自分に向かって投げ、死。

・これが自死の正体なのかもしれない。


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