あなたの個性が資本主義的に「役立たず」だった時の処方せんは創作である
以前Twitterで何気なく投稿した、こちらの話を掘り下げてみる。
みんなちがって、みんないい。
そんな金子みすゞ的な考え方のもと、自分自身の特性や個性は唯一無二であるとされる。個性を肯定して、大切にして、伸ばしていこうじゃないか。それこそがあなた自身なのだから――。
といった類の教育的建前を真正面から信じて、この手の優しい言葉をシャワーのように浴びてぬくぬくと育ってしまったのが、何を隠そうこの私である。
私だけでなく、ゆとり世代の先駆者である私と同世代の日本人、あるいはそれより下の世代は、皆多かれ少なかれ同じようなことを言われたことがあるはずだ。個性的であることが無条件に礼讃され、それが「自分らしさ」であるとおだてられ、調子に乗って、ほいほいと大人になってしまったのだ。
役に立つ個性と役に立たない個性があった
ところが、実際に社会で待ち受けていたのは、分け隔てなく素晴らしいと言われていた個性が、「役に立つもの」と「役に立たないもの」に容赦なくふるい分けられ、選別される、という現実であった。衝撃である。
社会的に「良い」個性と「悪い」個性を隔てるものはなにか。その見極めの鍵となるのは、もちろん経済であり資本主義である。経済成長に寄与する個性は肯定され、褒めそやされるが、逆に経済の足を引っ張る個性は不要とされ、無残にも切り捨てられてディスられ否定される。
肯定される個性とは、マネタイズに必要な特性や能力だ。それは、私が絶望的に持っていない、失敗を乗り越える粘り強さであり、人をまとめるリーダーシップであり、誰とでも齟齬なく話ができるコミュニケーション能力であり、転んでも前のめりなポジディブ思考である。間違っても、私が有り余るほど持っている、朝の弱さや、打たれ弱さや、おっちょこちょいさや、集中力の欠如ではないのである。
現代において必要とされる個性が多様であることが、せめてもの救いなのかもしれない。視力が0.03で、足が遅く非力な私は、原始時代では狩りの足手まといとなり、マンモスに踏みつぶされて一瞬で死亡していただろうが、今やそういう身体能力以外にも、様々な内面的個性が求められている。
とはいえ、どれほど求められる個性に幅があったとしても、誰もが自身の個性を存分に活かせる仕事につけるわけでもない。また、自分がいる職場において、あなたの個性が資本主義や経済成長に貢献するかどうかという一点できわめて無慈悲にジャッジされることは変わらない。
そして悲しいかな、世にある大半の場において「使えない」とみなされてしまう個性が存在する。そういう個性の持ち主は、たとえばADHDとかASDといった診断名の烙印を押され、病人として扱われてしまう。
無用な個性を持つ人間はどう生きるべきか
それでは、このような「多くの仕事や職場で使えない、役に立たない個性」を持つ人は、いったいどのように生きればいいのか。
消極的な解決策としては、自分の持ち札の中で、かろうじて経済に役立つ何らかの特性で細々と生計を立てつつも、役に立たぬ個性や特性を改善するために努力奮闘しするというものだ。でも「それがあなたの個性だから」と育ってしまった我々には、そういう矯正は自己の否定なわけで、とても辛く、難しいものだ。
あるいは、他人からの価値判断なんて気にしない、自分は自分だから、という達観を目指すのも良いかもしれない。だかそのような他者の肯定を必要としない意識改革もまた簡単ではなく、長く厳しい修羅の道である。
創作は、使えない個性こそ最高の材料になる
私のおすすめは、自身の使えなさや、その使えなさからもたらされる感情を、創作物の中に織り交ぜて作品に昇華することだ。小説でもコラムでも、絵でも、詩歌でも、音楽でも、なんでもいいと思う。創作は、社会の大半から不必要とされている個性ですら、その材料として用いることができる。いや、むしろそういったものが、人の心を動かす非常においしい材料になる。
たとえば小説なら、自分のダメだと言われる部分、情けないと言われる部分、怒られる部分を併せ持つ主人公を書いてみる。そいつが大失敗すれば、読み手は苛立ったり、あるいは共感したりする。
それだけで、使えないと切り捨てられた個性は意味や価値を持つ。そうやって自作が評価されることが続けば、いずれ自分が失敗するほどに「創作の良いネタができた」と、自分を受け入れられるようになる。
誰かのダメで、陰鬱で、どうしようもなく嫌な部分をより集めたものが創作物になり、それが別の誰かに刺さる。
そんな作品がたくさん世に生まれて愛され、それを作った人が、わずかながらも救われる。そんな事例が一つでも増えることを願いつつ、また私もそういうワンチャンを狙って物書きをしているひとりである。
それでは、そういう創作にすら必要とされない個性はどう扱えば良いのか。
えーと、これはまた深遠な問いではありますね……。