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(小説)池畔のダーザイン②

 缶ビールに口をつけ顎を上げると、視界に大きく大山の姿が広がっていく。池の向こうの広い別荘地を飲み込み、覆いかぶさるように豊かな森の濃い緑があり、それらを平らかな土台にして、空へ向かって大山の頂きが伸び上がっていく。
 今日は天気が良く、雲も少ないので、大山は厚い雲に遮られることなく、すっきりとその全容を見せている。なだらかで優美な二等辺三角形を思わせるその姿には、富士山にも劣らないものがあり、伯耆富士と言われるのも頷ける。晴天に恵まれない山陰では絶対に見逃してはいけない日、瞬間だろう。
 季節により天気により、日々大山の姿は変わっていくので、ただ眺めているだけでも飽きるということがない。特に天気の良い日には、今日は大山の美しい姿が見られそうだとか、池を包み込むような綺麗な夕焼けを見られるかもしれない、と見逃せない気分になり、いそいそと出かけてしまう。車ではなく、もちろん徒歩で。
 以前の俺なら考えられないことだが、ここでは歩くのはさほど苦にならない。別荘地内に張り巡らされた道は基本的には舗装されているとはいえ、何といっても豊かな樹木に覆われた森の中なので、歩くと気持ちがいいのだ。といってもマンションから池までなら五分もかからない。手軽に気軽に散歩ができて、池や森や大山を眺められるというのも、ここを選んだ理由の一つだ。「そこで昼間からビールが飲める」というのは、後で加わった予想外の嬉しい、いや不届きなオマケか。
 車のドアを閉める音が聞こえた方へ目をやると、老夫婦がこちらへ歩いてくるのが見えた。白髪頭の亭主は俺より年上、七十過ぎぐらいか。小太りの身体に紫色のスパッツを履いた妻は、歩き方が子狸のように見える。広場沿いの道に停められた車のナンバーは、大阪だった。俺は視力はいい。これぐらいの距離なら十分読める。
 子狸ならぬ古狸妻の視線が、俺に、ビールに無遠慮に注がれる。一番いい場所(席)で昼間からビールなんか飲んで。私たちに席を譲りなさいよ。しょぼくれたオジサンが、一人で陣取ってるんじゃないわよ! 古狸の心の声、悪態が俺には聞こえた。
 俺は一瞬だけ古狸を睨みつけると、無視を決め込み、心の声で応酬した。
 俺はここに五年近く住んでる人間だから。関西から観光で来ただけのよそ者が大きな顔するんじゃない。図々しい! 三本目のビールを飲みほすまでは、ここから動く気はないね。もちろん慌てて飲むつもりもない。
 そもそも俺は、煩い関西弁も関西のノリ(何だそれ?)も厚かましい関西人も嫌いなんだ。冷凍のお好み焼きが美味いっていっても、俺が好きなのは広島風なんだよ!
 それに新型コロナウイルスの脅威が騒がれるようになってから、今のところ感染者ゼロの鳥取県にとって、関西からなだれ込んでくる人々は、不安を通り越して脅威以外の何者でもないんだよ。今や!
 俺は無言のまま、唐揚げの最後の一つを口に入れ、ビールを飲む。諦めたのか老夫婦は別のベンチへ歩いていった。振り返った夫が「すみません」と軽く頭を下げたようにも思えたが、真意はわからない。顎の長い夫の顔は、さながら古狸の尻に敷かれた古山羊に見えた。ご愁傷様ーーと心の声で叫びながら、俺はビールを飲みほした。
 白い犬を連れて池の畔を歩いてくるオバサンが目に入った。例のオバサンに違いない。彼女に気付いたのは、一年前ぐらいか?
 マンションの長い外廊下から大山を眺めていると、別荘地のある森の方からオバサンが犬の散歩に現れる。大抵夕方の四時ぐらいと決まっている。彼女の好みなのか、犬の好きなコースなのか、五十台近く停められるマンションの駐車場を、我が物顔で悠然と横切り、再び森の中へと帰っていくのが日課だった。
 遠目なので定かでないが、六十代前半ぐらいか。中肉中背で、足取りに老いを感じさせるものはなく、しっかりしている。柴犬に似た飼い犬は、艶のあるアイボリーに近い白色が美しく、躾もいい。
 別荘地には、金にものを言わせた尊大なほど豪華な別荘もあれば、素朴で小振りなログハウスもある。原野のような状態のまま売れ残っている区画もちらほらあるし、持ち主が訪れなくなり傷み朽ちていこうとする建物も少なくない。
 そんな中でこの森の別荘に定住している人も、確実に何割かはいる。多分若い人は少数で、経済的にも時間にも余裕のある六十代以上の世代が多いのだろう。あのオバサンもそういう世代の一人だろう。
 オバサンと白い犬が、大阪ナンバーの車の横を通り過ぎていった。もう四時か。まだ飲み足りないような、もうしばらくここで大山や池の鴨を見ていたいような気もするが、そろそろ俺も帰るとするか。
 俺は空缶やタッパをのろのろと片付け、まだベンチに座っている老夫婦を一瞥すると、徒歩五分の帰路についた。

 朝起きるとカーテンを開け、真冬以外はまずベランダへ出る。薄手のパジャマのままではまだ少々寒いぐらいだが、何といっても気持ちがいいのだ。ベランダから見えるのは鬱蒼とした赤松林と空だけで、人工物は一切ない。
 朝は数種類の鳥の囀りが響き渡り、夕方は夕陽に照り映える空が、茜色から濃紺へと移ろう様が美しい。夜はネオン一つさえ見当たらない漆黒の闇が広がり、名前の知れない動物の恐ろしげな咆哮が聞こえてきたりする。夏の夜には体長八センチはあろうかという巨大クワガタが、網戸に何匹も張り付いている。
    こうして朝ベランダに立ち、自然の気持ちよさを満喫できるだけで、ここに来てよかったと思える。森の恵み、森の気持ちよさの恩恵に預かれる幸せ。これも能天気な幸せの一つだろうか。
 人生は単純なものだ。単純なものでいい、と今なら思える。気持ちがいいと感じられるだけで、幸せな気分になれる。能天気な幸せで何が悪い。
   長い会社勤めの間、不毛な結婚生活を惰性で続けていた間は、身も心も何て不自由だったんだろうと思う。自ら不自由な状態に追い込んでいたのだろう。あれが気に入らない。これが許せない。あれが足りない。これは譲れない。そんなことばかりに囚われすぎていた。
    所詮それらは枝葉末節。取るに足りないどうでもいいことだったのに……。気付くのが遅すぎた。けれど妻や時間や少なくないものを失った後、単純な喜びだけで十分だと気付いたのだから、それでいい。能天気な幸せ万歳だ。
 名前を知らなくても、透明感のある鳥の囀りは美しい。さあ、美味しいコーヒーをいれて朝を始めよう。気が向けば朝の散歩に出かけてもいい。俺はベランダから部屋へ入り、窓を閉めた。

「いきなりここ、ですか?」
 と香坂は不満げな顔を見せた。
「何か文句あるか? ちょうど桜も咲いてるし、天気も良くてしっかり大山が見えるし、外の方が気持ちいいだろ。こんな所でビールを飲むなんて、最高じゃないか」
「ここで酒盛なんかして、いいんですか? 苦情が出ませんか?」
「酒盛って、ただの花見だよ。バーベキューをして騒ぐってわけでもなし、お行儀よくビールを飲むだけなんだから、何のお咎めもあるもんか」
「お行儀よくねえ。この状況が既に不謹慎のような気もしますけど……」
「つべこべ言ってないで、早く座れ」
 俺は木のテーブルの向かいの椅子を指差した。渋々という感じでポリ袋をテーブルに置くと、香坂は向かいの椅子に座った。この春、このテーブルは俺の指定席になりつつある。今日は関西からの図々しい観光客の姿もないから、気分もいい。
   香坂は会社にいた頃の部下で、年は親子ほど離れている。お世辞にも人望があるとは言えなかった俺にとって、唯一慕ってくれた、いや懐いてくれた男だった。退職後ここまで訪ねてくれたのは、今日が二回目だ。
                                                (続く)


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