(小説)面倒くさい人①
美夏からのメールはあっさりしたものだった。
絵文字もなければ、スタンプですませるわけでもない。まあ返信があっただけで良しなのだろう。そもそも期待していない。過剰で不必要な期待は、相手はもちろん自分を縛りがんじ絡めにし、苦しむことになる。メールに限らず子育てしかり、人間関係全般にあてはまることだ。
素子は休暇村奥大山の駐車場に車を停め、ホテルを兼ねる建物の一階窓口で、登山届を書いて出した。初心者向きの難易度の低い山とはいえ、念のために登山届は必ず出すことにしている。
もう一つ、日帰りの短時間の登山でも、美夏にメールを送る。日時と山の名前と出発地の住所。最近は山小屋に泊まるような登山はしていないが、以前山小屋を利用した時には、山小屋の情報や帰宅予定日を知らせた。一人で山に登る以上、最低限これだけはしなければならない。自分の身を守るためにも、家族や周囲に迷惑をかけないためにも。
お母さん、くれぐれも山岳警備隊や防災ヘリのお世話になるなんてことのないように! 無事に元気に帰ってきてね。
まるで茶化すような、本気で心配しているかどうかわからない文面が美夏らしい。高〜い捜索救助費用なんて払えないからね! と身も蓋もない返信が届いたこともある。
もとより美夏に迷惑をかけるつもりはない。子どもを保育園に預けての、仕事と子育ての両立はそうでなくても大変だろうから、自分の生活や家庭を一番に考えてくれていい。好き好んで時々気紛れに山に登る六十過ぎた母親のことなど、ほっておけばいい。
時には弱音や愚痴も吐くけれど、思った以上にまっとうな結婚や家庭生活を営んでいる美夏を見ると、素子は心底安心する。我が子ながらあっぱれと思う。美夏が思春期の難しい時期に離婚したので、苦労させてしまったと申し訳ない思いが拭えなかったが、素子を反面教師にするかのように、美夏は結婚相手選びを間違えなかった。長く不仲な両親を見て育ったので、それは奇跡に近いことかもしれない。素子の不毛な結婚生活の中で唯一の救いであり、喜びであり、誇りともなっている。
駐車場の車を横目で見ながら、素子は登山道の入口へ向かう。県内より他県ナンバーの車の方が多い。紅葉の時期にはまだ早いというのに、これだけ登山者が押し寄せるのか、とややうんざりする。
自身も一登山者であることを棚に上げ、山に人が溢れることを素子は嫌う。そのせいで自然の中なのにマスクをしなくちゃならない。マスクをして山に登るなんて狂気の沙汰だ。マスクをしていると余裕のない体力をさらに奪われ、苦しくて仕方ない。だから素子は人とすれ違う時だけ、馬鹿げていると思いながらマスクをつける。
車道の脇から始まる登山道の入口が見えてきた。若い女性二人が分け入っていくところだった。二人の臙脂色のタイツに太陽光が弾き飛び、目を射るのがうとましい。カラフルな登山ウェアに小ぶりなリュックという軽々しい出立ちの彼女たちは、無事に帰ってこられるのだろうか。
まあ、そんなことはどうでもいい。好きにすればいい。彼女たちに何かアクシデントがあったとしても、助ける気持ちの余裕も体力も素子にはない。
素子は登山道の入口に立ち、大きく一つ息を吐き、一歩を踏み出した。天気に恵まれ、朝とはいえそれほど寒くなく、風もほとんどない。これなら体力を消耗することなく容易に登っていけそうだが、油断は禁物だ。天候はいつ変わるかわからない。
蛍光色の登山ウェアが嫌いな素子は、ごく地味なものを身につけている。リュックは先を行く二人より大きいが、必要最低限の荷物しか入れていないので、それほど重くない。
五十代の頃は多少荷物が重くてもまだ耐えられていたが、六十を過ぎるとそうはいかなくなった。上るほどに下るほどに一歩を踏み出すたびに、背中のリュックが両肩を抉るようにくい込み、足底が土に沈み、足を持ち上げられないような切迫感に悩まされるようになった。それ以来、荷物を減らさざるを得なくなり、自分の年齢と体力に応じたやり方へと変えていった。
そもそも素子の目的は、頂上を極めることではない。登山愛好家のグループに入っていた初期の頃は、それが目的で、山小屋に連泊するような登山もしたが、しだいに何かが違うと思い始めた。
しっかりしたリーダーに従う登山は楽で、安心感もあるが、他のメンバーに気も使うし、自由も限られる。別に頂上を目指さなくてもいいと思い捨ててしまえば発想は広がり、精神的な自由度は格段に上がり、開放感に包まれる。目的も方法も変わり、見えるものも得るものも違ってくる。楽しさも苦しさもすべて自分で背負った上で、それらを堪能できるのは、とてつもない魅力となっていった。
木漏れ日を踏みしめるようにして歩いていく。周囲の木々の上の方から鳥の声が聞こえる。声のする方を仰ぎ見ても姿は見えない。庭木に来る鳥ならともかく、山の中にいる鳥を素子はそれほど知らない。鳥だけでなく高山植物もよく知らない。雷鳥を見るために乗鞍岳に登る人もいれば、目を皿のようにして珍しい高山植物を探しては、その写真を撮るのに忙しい人もいる。
素子はそういうものを求めていない。
面倒くさい人ねーー。
不意に頭上から聞こえたような気がして見上げてみても、鳥の姿も声もなく、そんな高い場所に言葉を発する人間がいるわけもない。澄んだ薄青の空に結構大きな灰白色の雲の塊が、淀みつつ流れていくのが見えるだけだった。
(続く)
31日にぎりぎり滑り込み投稿できました。毎週連続投稿は早々と挫折しましたが、毎月連続投稿だけは何とか死守したい(できれば)と思っています。昨年末から1月にかけて忙しすぎて諦めかけていましたが、やればできるものですね。ハードワークすぎましたが……。
みちくさ創人