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(小説)池畔のダーザイン⑥

 桜はほぼ散っている。
 本当は先週来たかったのに、うかうかしているうちに時を逃した。よくあることか。わたしの今までの人生には、そういう残念なことが多い。
 と言っても、先週、瀬戸内のあの地で形ばかりの花見をした。ハム、チーズ、レタスを挟んだだけのベーグルとコーヒーを車の助手席に載せ、近くの公園脇の道から桜を眺めた。小さな公園内の十本に満たない桜は、数以上の輝きを放ち、少なくない人を惹きつけていた。隅のベンチではママ友グループがお弁当を広げていたし、数分後には後ろに停めた車の運転席で、営業マンらしき中年男性がハンバーガーにかぶりついているのが見えた。
 わたしは車から降りることなく、花見を続けた。時折車の窓を下げ、スマホで桜の写真を撮る。ちっぽけな公園の満開の桜は、ささやかながら十分な満足感を与えてくれる。
 けれど何かが違う。こんな花見は、こんな春は初めてだと思う。一見花見をする形式を保っているように見えても、ママ友グループの人数は例年より少なく、お弁当の量も内容も多分地味めで、おしゃべりも随分とおとなしい。もちろん、昼間からアルコール飲料を持ち込んでいる不届きなママはいない。ハンバーガーを食べ終えた男性は束の間のお昼寝タイムに入ったようで、車から降りてくる気配はない。
 何か人目を忍んで花見をしているような後ろめたさが付きまとっている。これもコロナウイルスのせいなのか。緊急事態宣言が出された関東や関西では、お花見さえできない寂しい春になっているのだから。そんな中で、ささやかながらもこそこそと花見ができるだけで良しとしないといけないのか?
 桜は来年も咲きますから、今年は我慢しましょうーーと言ったイケメンのアナウンサーを思い出す。その時わたしは、反射的に思った。
 今年の桜を見るのが人生最期になる人もいるのでは? 余命宣告を受けている末期の癌患者とか、その他闘病中の方々。桜は来年も咲いても、人間の方は必ず生きているとは限らない。単純に、桜の咲き具合や美しさは毎年微妙に違うのではないかと思ってしまう。今年の桜は、今年しか見られない。
 中途半端なイケメン顔が鼻につき、男性にしてはやや甲高い声が気に入らないから、意地悪な分析が飛び出してきたのかもしれない。
 桜はほぼ散っているとはいえ、こうして大山を見ながら散歩ができるのだから、気分はいい。池畔の広場にある木のベンチには誰もいない。わたしは特等席とばかりに駆け寄り、携帯用の保温カップを木のテーブルに置いた。ベンチに座り、コーヒーを飲む。
 数種類の野鳥の鳴き声が響き、名前はわからなくても聴いているだけで気持ちが落ち着く。薄曇りで日差しは弱く、暑くも寒くもない。山肌が白い雲に覆われることの多い大山も、今日はしっかりと姿を見せている。それだけでも幸運だろう。うっすらと頬を撫でる風の揺らめきを感じながら、わたしは目を閉じる。
 こんな日が来るなんて、全く想像していなかった。ここから徒歩五分ほどの所にあるマンションを見つけたのは、ほんの偶然だった。ネットでたまたま広告が目についた。いいねボタンは滅多に押さないのに、なぜか吸いつけられるように指が動いていた。
 最初は自分とは無関係だと思っていたリゾートマンションの広告が、何かの啓示の光を帯びているように見えてきた。一晩考え、翌日には不動産会社に連絡した。二回車で往復して実物を確認した後、即決に近い形で決断した。
 親切で誠実な同世代の担当女性の四方山話に惹かれたのも大きいかもしれない。もちろん、小規模の不動産会社とはいえ、同世代で部長になっている彼女は優秀で、けれどそれを鼻にかけることもなく、苦労話をしていても苦味が混じることはなかった。わたしは単純に彼女のような人にこそ、もっともっと頑張ってほしいと思った。わたしはどう背伸びしてもそんなことはできないから。
 夫に相談しないわけにもいかないので、経過を伝えた。晴天の霹靂といった感じで大袈裟に驚いたけれど、意外にも夫は了承した。それもそうだろう。購入費用も、今後の管理費等の維持費もすべてわたしが出し、夫には経済的負担は一切かけないと宣言したのだから。
 三年前に親が亡くなり、相続した遺産は現金にすると大きな金額ではなかったが、購入資金に当てられるぐらいにはなった。これだけでも親に感謝しなければならないだろう。この十年、パートで働いて蓄えた四百万円を、今後の維持費に当てるつもりにしている。とりあえず五年を目処に、蓄えが底をつくまではこの場所を守りたい。
 大それた分不相応な選択だとわかっているけれど、今しかできないという気持ちの方が強い。十年後、今の気力、体力、経済力を維持できているとは到底思えない。五十半ばの今なら、ぎりぎり冒険できるような気がする。今しかチャンスはない。
 やりたくもない、嫌でしょうがなかったパートの仕事を続けてきたのも、この時のためだったと今なら思える。消耗するだけで得るもののない仕事とも、陰湿で不毛な人間関係とも、やっと、すっきりさっぱりおさらばできる。
 パートを辞める本当の理由は、上司にも同僚にも誰にも言わなかった。言うわけがない。大山のマンションの存在は、誰にも嗅ぎつけられたくない。誰にも来てほしくない。詮索好きで噂話ばかりしているおばちゃん同僚を、一ミリたりとも近づけてはならない。これからの自分にとって不必要なものは、すべてすぱりと振り捨てていくのだ。
 コロナ禍で不要不急の外出自粛となり、自宅内の不用品の片付けに励んでいる人が増えたと聞くが、わたしは半年も前に実行したことになる。実際の物品より、不必要な関係性ということだが。こういう大きな決断がなければ、なかなか実行できることではない。
 夫が時々マンションを利用したいと言っているのが、気になる所だが、夫の自由にさせるつもりはない。管理費や光熱費等の維持費は、わたしが払うのだから。夫がマンションを利用する時には、わたしは行きたくない。二人でいるには、部屋は狭すぎる。不必要なものを切り捨てて大山に行くのに、その先に夫にいてほしくない。まあ、そう簡単にすっぱりと夫は切り捨てられないということか……。
 半年前にラジオで偶然耳にした言葉が忘れられない。この決断のきっかけになったと思う。ある作家が気になった本を紹介していた。ジェーンオースティンの短編の中の言葉。わたしは「高慢と偏見」も「エマ」も読んだことはないけれど、紹介された言葉は印象に残った。
 女性が誰かに頼らず、自分のやりたいことをして自立するのに必然な金額はーー現在に換算すると、四百万円ーーということだった。
 時代も国も違えど、なぜか四百万円という数字が強烈なイメージで脳裏に刻まれた。あるかもしれない。四百万円。何の根拠もないのに、使うなら今だ。何かを決断するなら今しかない、と思ったのだった。
                             (続く)

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