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あし-01. 灯る1973-

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友だちの花形慎にもらった絵を見ながら書いたショートショート3篇
オンラインで話している傍で描いていた絵に、卒論や就活の傍で書いた物語で向き合ってみる。
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「はあはあはあ、、ああ……。」

俺はもう何日も走り続けている

喉がかわいた。胸が苦しい。

足が痛い。

ときどき、もう追ってきていないんじゃないかと思って振り返る。振り返るんだ。振り返るとそこには、2本の足が私に向かって突進してくる姿が見える。

胴も手も頭もみえない。ただ足だけが物凄い速さでこちらに向かってくる。こぶし大の鱗のようなもので覆われた足。

大きな落胆とともに、おれはまた走り続ける。
追いつかれる心配はないはずだ。
俺は足が速かった。

あれは15歳の時
俺はホームベースに向かって、一直線に走っていた。
旧制中学校にある運動部は陸上部と野球部だけだった。
ベーブ・ルースに憧れていた親父は問答無用で野球をやらせた

あれは20歳の時
俺は銃弾の飛び交う戦場を、無我夢中で走っていた。
敵前逃亡は死刑。そう言っていた上官は戦闘が始まって程なくして死んだ。みんな死んだ。無茶な行軍の中で疲れ果てた末に、鉄の雨を被った。
俺は逃げた。震えながら逃げた。
何かにつまずく。手を突く気力もなく顔面から地面に突っ伏す。足元を見るとそこには誰かもわからない、人間だったものが横たわっていた。
おれは立ち上がって、逃げた。

あれは30歳の時。
俺は警官に追われながら、騒がしい東京の街を必死に走り回っていた。
故郷は焼けていた。行くあてもなく、大陸からの帰りの船で知り合った男と一緒に東京の あんちゃん に世話になった。
戦後の街に法などなかった。平和を守っていたのは警官じゃない。おれたちヤクザだった。


振り返る。
足は近づいてきている。
追いつかれてなるものか。
前を向いて走り続ける。


あれは40歳の時
コウイチの授業参観に送れまいと、駅から学校までの道のりを急いでいた。息子ができた。コウイチと言う。おれがつけた名前だ。
不思議なモンで、おれも息子には野球をやらせたくなっていた。
おれほど動きが良いわけではないが、球のスジがいい。きちんと鍛えてやれば、プロとは言わないまでも、高校野球ではいい線いくかもしれない。
おれは機械工場で組み立ての仕事を始めていた。日本は工業で支えられている。モノは生活を豊かにする。
おれは、息子に恥ずかしくない仕事がしたかった。

あれは50歳のとき
大阪万博で、はぐれたマサコとコウイチを探して走り回っていた。

東京から大阪へは何年か前に完成した新幹線に乗っていった。あんなに早い乗り物は初めてだ。大阪をめざして、走る心。それよりも早くついてしまう新幹線というのはすごい。すごいが、あまり好きにはなれなかった。
万博は未来である。
太陽の塔、東芝のパビリオン、アメリカのパビリオン。めまぐるしい未来が、縦横無尽に過ぎてゆく。
あちこち見ているうちに妻と息子とはぐれてしまった。
おいてけぼりをくらったおれは走り回った。

そんなに長い人生ではなかったけれど、俺はずっと走ってきた


疲れで鈍くなった足。
喘ぎながら下のほうを見た。
すると、
おれの足は こぶし大の鱗で覆われていた。

どういうことだ。あいつの足じゃないか。

振り返る。
そこには誰もいない。

ど、どこに行ったんだ...?

足は止まらない。
私は前を向いて 走り続ける。

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