見出し画像

あし-03. 孝行-

拝啓
お父様

今年の麦の出来はいかがですか?お父様と、妹たちは変わりないですか?庭のオークの木は元気ですか?収穫の時期に故郷に帰ることの出来ない親不孝な息子を、どうかお許しください。

こうしてお手紙を差し上げるのも、もう何度目になりましょう。ついぞ、お返事をいただけたことはありませんでした。もしやお父様に何かあったのではないかと不安に思う日々もありましたが、ラインからやってくる行商からお父様の話を聞くにつけて、ご健在なのだろうと思っております。

お父様からお返事をいただけないことにも、もう慣れてしまいました。私が故郷を離れてから、もう3年になろうとしています。

ああ!父を捨てて、家を捨てて、畑と町の人々を捨てて、故郷の言葉さえも捨てて、戦場にきてしまった私を、どうぞお許しください。この不逞な私の行いを、どうかお許しください。いえ、お父様に許しを請うのではありません。神に、この世界を統べる全知の神に、許しを請うのです。

私は、かつて祖先が賢王から賜った土地を残して、いま遠く離れた異国の地におります。この手紙をしたためています。

同じ空の下にいるのです!そう、同じ空の下に。そして、同じ星を見ながら、私も、お父様も、眠りについているのです。それなのに、ここはあの肥沃で水の揺蕩う金色の故郷とは似ても似つかぬ、荒涼の大地です。

なぜ、なぜ私はこんなところにいるのでしょう!時にそんなことを思ってしまいます。しかし、これは私が選んだことなのです。あのときの私にとっては、仕方のないことだったのです。お父様が、お祖父様が、曽祖父様が、故郷の地を愛し、幾度もの飢饉や疫病や蛮族の襲来から守ってきたように、私もこの国を愛し、王を敬い、この身を賭してでも愛する家族を、故郷を、国土を、守らねばならない、そう思ったのです。

同じなのです!私とお父様の気持ちは同じなのです!それなのに、どうしてわかりあうことができなかったのでしょう。

お父様を責めているわけではありません。故郷を守るために、私は故郷を捨て、この戦火のただなかへと飛び込みました。

故郷を守るために、お父様は私を、ただの一度も手をあげたことのなかったお父様が私を、拳で殴りつけました。

思いは同じなのです。しかし、とうとうわかり合うことはできませんでした。

私が故郷を飛び出してから、もう3年になります。お父様は、今この手紙を読んでいらっしゃるでしょう。あのすこしほこりっぽいにおいのする書斎で、この手紙を読んでいらっしゃることでしょう。

唯一の息子が、手塩にかけた息子が、故郷を出て行ってしまったのです。昨日までいた息子が、次の日には手の届かない、声を聴くことこともできない遠くへ行ってしまったのです。私にでも、その苦しさが想像できるほどです。さぞ苦しい思いをさせてしまったことでしょう。その心苦しさに思いを馳せる度に、私は胸が締め付けられるような思いになります。

館から持ってきてしまった、我が家の鎧はかたく、敵の攻撃を寄せ付けません。先祖たちが私を守ってくれているように思います。弓、槍、剣などは問題ありません。しかし最近は戦争の様子も変わってきました。

最近の戦争というのは苛烈なものです。かつては鎧と剣と盾が、私たち騎士の誇りであり、名誉でありました。雄叫びが、勇猛さそのものでした。それらは今や、万の農民が放つ銃声にかき消されてしまいます。

銃による戦争ほどおそろしいものはありません。戦場は地獄よりも、地獄のようです。

先日、兵舎でいっしょにスープを食べた者がおりました。歳はまだ17,8と若く、首都の出だと言いました。母との貧しい暮らしを支えたい、と兵士になったと言っていました。彼はきのう、敵の砲弾に腰の骨をすべてくだかれ、夜のうちに死にました。

それがもともと足だったのか、尻だったのか、もしかするとそばに倒れていた馬の一部なのではないか、わからないほどに彼の下半身は赤と白の鮮烈なごちゃまぜに変わっておりました。

先日、ともに見張りに立った者がおりました。男は30を過ぎたようすで、妻がいると言いました。話すと、ラインの流域だと言うではありませんか!私たちは美しい故郷を胸に、故郷の言葉を思い出し、思い出を語り合いました。彼はいつか妻に、私はお父様や妹たちに再び見える日を希いながら。その男は3日ほどまえに、会戦中に弾を受けた馬から落ち、首の骨を折って死にました。

今日も戦闘がありました。昨晩についた増援とともに、幾度めかの突撃です。愛国心に燃えた戦士たちは土煙に囲まれ、その怒号は大地の割れるような地響きに圧倒されました。瞬間、そこらじゅうから悲鳴が上がります。

混沌、轟音、恐怖、愛、祖国、衝撃、恐怖、恐怖、恐怖、爆音。

結果がどうなったかはわからなくなってしまいました。陽が天高く登った頃、私は窪みに潜んでいた砲兵の弾を受けてしまいました。至近距離からとんできた弾を避ける術もなく、わたしは強い衝撃を感じます。

空が、大地が、時間が、闇に覆われました。

次に気がついた時には、まだ私は戦場におりました。どうにも手や胸の感覚がはっきりしない。

私は朦朧としながら兵舎にもどりました。医務室に行きました。誰もおりません。

ベッドに戻りました。誰もおりません。そこで、鏡をみました。

見たのです!私は!見た!しかし、そこには何もありませんでした。見ているはずの私もありませんでした。なんにもなかったのです。ただ一つ、鎧をつけたままの私の2本の足をのぞいて。

ああ!父よ!主よ!この親不孝な若者をどうかお許しください。

父に逆らい、故郷のためといいながら赴いた戦場で、私は目も当てられぬ姿になってしまいました。戦場に立ちすくむ2本の足だけとなってしまいました。

もう二度と、お父様にも妹たちにも、私の顔を見せることはできません。もう二度と、頬にキスを受けることも、キスをすることもできません。

こんな不孝な、不条理なことがあってよいものでしょうか!私は神の定めた運命を、いえ、もしかすると神そのものを恨みました。神の創りたもうた世界さえも恨み、憤りさえ感じました。恨みというのは大きな力を必要とする者です。怒りというのは、長続きのしないものです。

私の世界を揺るがすような大きな憤慨の心も、2,3日もたたずに、あのツークシュピッチェの彼方へと飛んで行きました。

残されたのは、途方に暮れた足でした。

子というのは、生まれ落ちたとき、親から返す術もないほど大きなものをもらいます。神の洗礼を受けるよりも前に、親から、大きな愛を受けるのです。私もまたそうでした。いえ、私は生まれた時からも、たくさんのものを与えてもらいました。大きな大きなあたたかさに、子は同じように愛で返さなければなりません。

特にお父様はお母さまが亡くなってから、私をそれまで以上に愛してくださいました。学問を教わり、音楽を教わり、馬の扱いを教わり、狐狩を学びました。

私は、お父様の愛に報いることができたのでしょうか。

死ぬ前にもう一度、不出来な息子とはいえ、この親不孝をどうにか埋めるために、もう一度、お父様のお顔が見たい。いや、お会いできなくとも、ただお姿だけでも、お父様のいらした痕跡だけでも感じたい。

そう思った私は、この手紙をしたため、携えてやってまいりました。

もし私の思いを知り、この情熱を感じてくださったのなら。もしまだ少しでも私への愛をお持ちであるのなら。どうか、部屋の戸をお開けください。どうか、お姿を見せてください。

私は、お父様を待っております。

敬具

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?