あなたは、ヒト肝臓の細胞500万個の値段はいくらか知っていますか?
あなたの肝臓の細胞500万個の値段はいくらでしょうか?
こんなことを考えたことがある人はあまりいないでしょう(笑)ですが、製薬会社の研究所に勤務していたころ、私はたまに「自分の身体を試薬メーカーに売ったら総額いくらになるだろうか?」と本気で想像していました。
と言いますのも、製薬会社での研究においては様々なヒト由来試料が研究用試料として使われており、私自身頻繁に注文もしていたので値段もよく目にしていたからです。
研究で使用されるヒト由来試料は、作ろうとしている薬の対象疾患に依って多岐にわたりますが、今回は私が研究所在籍時代に研究していた「薬物動態」という分野で使われるヒト由来試料について紹介しようと思います。
薬物動態というのは、これもけっこう範囲の広い分野ではあるのですが、非常に大雑把に説明すると、「薬が人の身体に入ってから外に出ていくまでの変化を調べる」研究分野になります。
例えば、口から飲む錠剤を考えたとき、
飲んでからどれくらいの時間が経ってから、薬の成分が身体の中を循環する血液にはいってくるのか?
飲んだ薬の成分全体の何割が身体の中を循環する血液に入ってくるのか?
薬の成分は身体のどこに分布するのか?
薬の成分は身体に入ってからどんな化学反応(代謝)をするのか?
薬の成分は化学反応を担う酵素に対して影響を与えるか?
薬の成分はどこから排泄されるのか?
などなど、様々な問いが立てられます。製薬会社は医薬品開発の過程で、これらの問いに答えるために実験を行います。
さて、このなかの「薬の成分は身体に入ってからどんな化学反応(代謝)をするのか?」という問いに答えるための実験によく使われるのが「ヒト肝細胞」です。
薬の成分の多くは身体に入ってから、主に肝臓で化学反応が起こり、身体の外に排出されやすい形に変化すると考えられています。どのような化学反応が起こるのか、またその反応速度はどれくらいかを調べるために、ヒト肝細胞と薬の成分を混ぜて一緒に培養する、という実験をします。人の肝臓を模倣するわけです。そして培養を開始してから、例えば、15分後、30分後、1時間後、2時間後…と培養液を回収して、その中に薬の成分がどれくらい残っているか、成分が変化したと思われるような化合物(代謝物と呼ばれます)があるか、それはどんな化合物か、などを調べます。
この実験は多くの低分子薬の開発過程では基本的に行われているので、製薬会社ではヒト肝細胞はそれなりに使われているものと思います。
さて、このヒト肝細胞ですが、どこから入手していると思いますか?
実は、肝臓移植などで余ったヒト肝臓の一部が使われており、その一部から肝細胞を分離精製し、研究用試薬メーカーが販売しているのです。
では、この肝細胞、一体いくらくらいすると思いますか?
メーカーや、その規格(浮遊細胞なのか、接着可能細胞なのか、一人由来の細胞なのか、複数の方の細胞をプールしたものなのか、など)によって値段は大きく異なりますが、バイアル一本(成人の人差し指の爪先から第2関節ほどの大きさ)に細胞500万個が入って約12万~25万円です。非常に高いですよね。研究用の試薬類は高額なものも多いですが、その中でもかなり高い部類に入ります。
薬物動態の研究では、他にもヒト血漿又は血清(血液の一部を分離したもの)、ヒト肝ミクロソーム(ヒトの肝細胞から一部を分離したもの)など、ヒト由来試料がよく使われます。ものによって価格は様々ですが、基本的にヒト由来試料は高額です。
こういうヒト試料を日常的に購入していると、「自分の身体を試薬メーカーに売ったら総額いくらになるだろうか?」という、なんとも恐ろしい考えが頭をよぎってしまうのです。少し納得いただけたでしょうか?(笑)
今回は、製薬会社の研究で使われるヒト生体試料について紹介しました。こんな世界もあることを知ってもらえたら幸いです。