山本粧子の Hola! ジャガイモ人間~ペルーからコンニチワ~┃第30回
ブエノスディアス! 山本粧子です。
公開は年明けですが、この記事を書いている今、2024年が間もなく終わろうとしています。
ラッキーなことに事件や事故に巻き込まれることなく、365日すべての時間をペルーで過ごすことができた記念の年となりました。
1年間ペルーで過ごしてみたからといって、成し遂げたことは皆無ですが、新しい言語を使いながら、新しい土地で、新しく出会った人々と生活するというのは、目新しいことばかりでとにかく刺激の多い1年でありました。
ケーキを食べ、「これめちゃ甘いな〜」と言いながら、甘いコカコーラやインカコーラをがぶ飲みするペルー人の姿や、お祝い事やパーティーがあるたびに夜通し踊り続ける文化、毎日野生のフラミンゴを横目に出勤することなど、ペルーの生活の「当たり前」には随分と慣れました。
それでも、やっぱり言語の壁があり分からないことがたくさんあります。スペイン語が少しわかるようになってきたからこそ、もっと正しく、深く理解できるようになりたい、自分の考えていることをきちんと伝えられるようになりたいと思うようになっています。
スペイン語力向上については、ただただ自身の努力次第なので、がんばれよって感じなのですが、、、2025年は細かく目標を定めて勉強していきたいと思います。
さて、今回は12月のペルーのビックイベント「Chocolatada navideña(チョコラターダ・ナビデーニャ)」について紹介します。
今回このイベントに初めて参加して、熱すぎる大人たちのハートに私は心底感動してしまいました。
クリスマスのホットチョコレート
私は最近、イカで知り合った方々との日曜ランチの会に参加しているのですが、11月中旬に、参加者の一人から「12月22日にチョコラターダ・ナビデーニャを開催する予定だから、みんなそれぞれ何かを寄付してくれないか」という打診がありました。
私は何のことやら? という感じでしたが、参加者のみんなは「ぜひとも」ということで、それぞれ何を寄付するか話し合ってリストを作ることにしました。
砂糖20キロという人がいたり、パネトンを6個という人がいたり。
みんな口々に、当日必要であろうものを次々と挙げていきました。
私は、一体何を寄付したらいいのか分からなかったので、隣の人に「まだリストアップされていないもので喜ばれるものは何?」と聞き、アドバイス通りインカコーラとコカコーラを寄付することにしました。
さて、チョコラターダやら砂糖20キロやらパネトン6個やら、甘いものばかり羅列されていますが、チョコラターダ・ナビデーニャ(=クリスマスのホットチョコレート)とは一体どんなイベントなのでしょうか。
12月の定番、チョコラターダとパネトン
イベント名にも入っているチョコラターダは、いわゆるホットチョコレートです。
日本の読者のみなさんにはピンとこないかもしれませんが、南半球のペルーでは、クリスマスの時期は夏まっ盛りなのです。にもかかわらず、暑い中、ペルー人は大鍋にたくさんのホットチョコレートを作り、たくさん飲みます。寒い時期に白い息をはきながら、フーフーしながら温まるために飲むものではないのです。
暑さの厳しい真夏に、どうしてホットチョコレートを飲むのでしょうか。
この伝統の起源は、スペイン人がペルーを征服した時代(16世紀〜19世紀)にまで遡ります。スペイン人が砂糖の原料であるサトウキビを導入し、サトウキビとチョコレート合わせるレシピをペルー人に伝えました。この組み合わせはペルー人に歓迎され、すぐに全国的に広がりました。
それから、ペルーにおけるチョコラターダの大量消費がはじまり、一年中飲まれるようになりました。
とりわけ12月24日は、イエスの誕生を祝う12月25日に向けて断食が行われるなか、ホットチョコレートだけは飲んでもよいことになっていたため、みんなこぞってホットチョコレートで空腹をまぎらわせました。このことから、クリスマスとホットチョコレートの結びつきが特に強まったのです。
この昔の慣習の名残りで、現在もペルーの人は12月には好んでホットチョコレートを飲むのだそうです。
いっぽう、パネトンも12月の定番の食べ物です。ペルーでは12月のあいだ、とにかくあらゆるタイミングでパネトンを食べます。
パネトンはイタリア移民が南米に持ち込んだ菓子パン(パネットーネ)で、種類も色々ありますが、フルーツコンフィやレーズンなどのドライフルーツが入った甘くしっとりしたものがベーシックです。
なかには、チョコトンと言ってチョコチップが入ったものや、中にクリームが入ったものなどもあり、メーカーによっても少しずつ味が異なります。
パンの部分もしっとりタイプ、ふわふわタイプ、ちょっとパサパサしているものなどさまざまです。
先ほども触れたように、パネトンは元々、イタリア移民が南米に広めたようですが、なかでもペルー人は特にたくさんパネトンを食べると言われており、今では本場イタリアと並ぶパネトンの消費量を誇るそうです。
うわさにたがわず、私の周りのペルー人もパネトンをすごい勢いで食べます。本当に大好物のようです。
しかし、大きなドーム型が特徴のパネトンも、近年は物価高の影響で、1000gほどあったものが900gへと年々小さくなっているようです。
また、パッケージにはクリーム入りとあるのに、中身を切ってみるとクリームが入っていない、詐欺だ! というニュース、パネトン工場の衛生状況を報じるニュースなどもありました。
そうした話題が全国にニュースなることに、ペルーにおけるパネトンの存在の大きさが伺えるとともに、ソウルフードのリアルな現実が垣間見えます。
いよいよイベント当日
……という歴史を学んで臨んだチョコラターダ・ナビデーニャですが、想像以上に参加者が多く驚きました。15時に公民館に行ってみると、すでに50人を超える子どもたちとその保護者とで、会場は大いににぎわっていました。
さて、いよいよチョコラターダ・ナビデーニャの開幕です!
あれだけ甘い食べ物、飲み物を集めたのだから、てっきりすぐにお菓子を囲むものと思っていたら、まさかの「綱引き」や「借り物競走」が始まりました。
綱引きは、男の子チーム対女の子チームに分かれて綱を引くのですが、みた感じ両チームの人数カウントもせぬままスタート。このペルーのざっくばらんさが私は好きです。
「参加するのは子どもだけですよ」と司会者がマイクを通して叫んでいるにもかかわらず、おばちゃん達も女の子チームに加勢。結局私も、一番後ろで腰に綱を巻いて、手が痛くなるまで頑張りました。
借り物競走も綱引きとならんで、日本でもおなじみの競技だと思うのですが、普通は「メガネをかけたひと」とか「髪の長い人」とか、見た目でわかる特徴を条件にするじゃないですか。
私が引き当てたのは「料理が上手な人!」というお題で、「え、どうやって証明するの?! 誰連れて行っても大丈夫じゃん。」と笑ってしまいました。
しかし同じお題で競った子どもたちが連れてきた人を見ると、みんな「確かに、この人は料理が上手よね〜」と納得しているのです。「これが地域のイベントかあ〜」と、地域の結びつきの強さ、距離の近さを感じました。
正直、日本に帰って、自分の地元で借り物競走で、同じお題を出されても、私は誰を連れて行っていいか分かりません。。。
ようやく登場、チョコラターダ!
たくさん走り回り、汗だくになった後に、ようやくホットチョコレートとパネトンが配られ、みんなで食べました。
暑いなか運動したので、ひときわチョコラターダとパネトンの糖分がしみわたります。
栄養補給を済ませた後は、子どもたちに、ひとつずつおもちゃのプレゼントが配られました。
去年のクリスマスの記事にも書いたように、ペルーではプレゼントの包装を丁寧に開けるとか、そのあときれいに包装紙を片付けるといった習慣がありません。
それは包装紙だけでなく商品パッケージも同じのようで、今回ももちろん、子どもたちは、プレゼントを開封したら中身だけ大切に持って、大量のおもちゃパッケージはあたりに散らかしっぱなしでした(笑)。
抽選会と締めくくり
次に、休憩中に配られた番号用紙を使っての抽選会が始まりました。食べ物の詰め合わせやパネトンがもらえる、大人も参加できる抽選会です。
景品は食べ物が中心で、ひとつひとつはそれほど高額なものではないのですが、会場は今日一番の盛り上がりを見せ、当たった人は次々に雄叫びをあげていました。
「これだけ喜んでくれたら、主催者もプレゼントの用意し甲斐があるだろうな」と思っていたら、何と私の番号が呼ばれたのです!
思わず私も同じように叫びながら商品をもらいにいきました。サンタさんからプレゼントをもらえた気分でとても嬉しかったです。
ちなみに、マグカップにお菓子が詰められたものが当たりました。
大盛り上がりのプレゼント抽選会で終了かと思いきや、締めくくりはまた食事。イカの郷土料理「カラプルクラ」をみんなでいただきました。
ここで私が寄付したコカコーラとインカコーラも登場しました!
みんながコーラを片手にカラプルクラを楽しむ様子を眺めていると、「このイベントに自分も貢献できたのか!」と、今まで感じたことのない喜びが込み上げてきました。
チョコラターダ・ナビデーニャは、開催場所や主催者によって少しずつ内容が異なるらしいのですが、共通しているのは、子どもたちにプレゼントと、チョコラターダとパネトンを配ってみんなで食べることだそうです。
今回私が参加したチョコラターダ・ナビデーニャは、地域の方々が中心になって、子どもたちへのチャリティーとして行われたものでした。
今日1日は子どもたちに思いっきり楽しんでもらおうという大人の気合いが感じられ、それに応えるように子どもたちも全力で楽しんでいたと思います。温かな空間に私も居合わせることができ、とても幸せな気持ちになりました。ペルーがさらに好きになった瞬間でした。
まだまだ知らないペルーの世界を一つでも知ることができるように、2025年も活動的に生きていきたいと思います。
それでは今回はこの辺りで、アディオース!