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山本粧子の Hola! ジャガイモ人間~ペルーからコンニチワ~┃ 第22回

ブエノスディアス! 山本粧子です。

早いものでパラカスミュージアムで働き始めてから8カ月も経ちました。
最近この連載を読み始めてくださった方もいるかと思いますのであらためて説明しますと、私は青年海外協力隊として、ペルー・イカ州のパラカスミュージアムに派遣され、ここでイベントの企画・運営などに従事しています。

最近は、小中学生の団体が遠足でミュージアムに訪れることが多く、よりパラカス文化を記憶に刻んでもらえるよう、各団体にワークショップを実施しているため、日々その対応に追われています。
一気に100人以上の生徒が訪れることもあり、ワークショップはお祭り騒ぎです。小中学生からはよく「生まれて初めて会った日本人だ! 日本語喋れるの? 喋ってみて〜!」と言われるのですが、私が初めての日本人でよかったのかな……と思ったりも。
そうこうしながら、日々、来場者を案内しているうちに、ミュージアムについても知識が深まってきました。そこで今回は、パラカスミュージアムについて詳しく紹介しようと思います。

パラカスミュージアム

パラカスミュージアム還暦のお祝い

おめでたいことに、さる8月16日(金)にパラカスミュージアム開館60周年記念日に立ち会うことができました。
60周年記念日当日は、ペルーの国旗掲揚・国歌斉唱やパゴアラティエラ(El pago a la tierra)という儀式を行いました。
この儀式は、土地に感謝し、来場者に感謝し、ミュージアムに関係する全ての人の健康を祈り、私たちがミュージアムで働けていることに感謝するという意味を込めた儀式です。
この儀式についてはまたの機会にご紹介できればと思いますが、記念日当日は、パラカスの警察官や海軍の兵士さん、国家自然保護区管理事務所の職員さん(パラカス自然保護区を日々守っておられる方々)など、たくさんの方がお祝いに駆けつけてくださり、大盛り上がりでした。

私自身も、まさかの節目の年に、ミュージアムのメンバーとしてここにいることができるなんてと、感動しました。
そして新たに、人生の目標がひとつ増えました。
パラカスミュージアム100周年を再びここでお祝いすることです。
あと40年。頑張って生き続けたいと思います。

また、ミュージアム関係者は、記念日にあわせて特製のダウンジャケットをあつらえました。
背中に大きくミュージアムのロゴ、胸元に自分の名前が入っています。
ミュージアムの宣伝をしながら歩くことができるので、とても気に入って着ています。

ミュージアムのロゴ、かっこいいでしょ
Cooool!!!

昨日もパラカスのチャコ地区でパラカス文化の宣伝活動をしていたのですが、地元の人でもミュージアムへ行ったことがない人が本当に多くて驚きます。観光客以外の、地元のお客さんにミュージアムへ足を運んでもらうためにはどうしたらいいんだろうというのが、いま一番の悩みです。
なので最近は、まずはパラカスミュージアムのInstagramのフォロワー数を増やして地元の方の目に入るように情報発信をしようと、インスタ活動に励んでいます。

パラカスミュージアムのインスタグラム

遠路はるばるピウラからのお客様

パラカスは海が主役の町ですから、肌寒い今の時期は夏に比べるとお客さんは少なめですが、7・8月はペルー独立記念日をはじめとした祝日があり、連休中はペルー国内の様々な地域から家族連れのお客さんが多く訪れました。そのなかのひとり、ペルー北西部のピウラからお越しになられたお客さんに「どうしてこちらへ?」とヒアリングしてみましたら、パラカスミュージアムの建築を見てみたかったと言うのです。

ピウラはパラカスから直線距離で1250キロ。バス(約19時間)もしくは飛行機(約1時間40分)で首都リマへ行き、リマからさらにバス(3時間30分)に乗ったのち、ようやくパラカスへ到着できる、というような遠方です
(ペルーは想像以上に面積が広いです。国内旅行とはいえ、そこそこ移動が必要なのです)。
ピウラからは隣国エクアドルの首都・キトへ行く方が近いくらいです。
そこまでの時間をかけて、わざわざこのミュージアムの建築を見に来たというのは、どういうわけでしょうか。

砂漠の中のパラカスミュージアム

時代も空間も超える建築

パラカスミュージアムは、1994年にパリで設立され2006年からペルーに拠点を置いて活動するペルー人の建築家サンドラ・バークレー氏とジャン・ピエール・クルース氏(Barclay & Crousse)によって設計されました。
彼らは、時間、空間、光を大切にし、その場所と人間のより良い関係に焦点を当てて建築物を考えるそうです。
たとえば、彼女らが手掛けたリマにある LUM(Lugar de la Memoria, la Tolerancia y la Inclusión Social、1980年から2000年の間にペルーで起きた暴力の歴史を展示する教育的・文化的な場所)はペルーでは非常に有名です。
また、サンドラ・バークレー氏は、金沢21世紀美術館やルーブル美術館のランス別館などを設計された日本の有名建築家SANNAの妹島和世氏とともに、ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展の審査員も務められていました。

LUM、この壁面には世界人権宣言についての文言が刻まれています
LUMの館内

パラカスミュージアムは彼女らの代表作のひとつで、「ラテンアメリカのベスト・ニュー・ミュージアム」という栄誉に輝いたこともあります。
ミュージアムが建つこの場所は海の側の砂漠地帯で、一年を通して雨が降らず乾燥し、常に潮風が吹き、月に数回はその風にたくさんの砂が混じった砂嵐が訪れるという、建物にとってはかなり厳しい環境であります。そのため、パラカスミュージアムはこの厳しい環境に打ち勝つ建築物でなければなりませんでした。
Barclay & Crousseが設計したミュージアムは、周囲の砂の世界に溶け込めるよう、建物全体が赤みがかったポゾランセメントで建てられています。
このセメントは水との化学反応がすすむにつれてコンクリートが緻密化し、強度が上がるため、乾燥した気候にも耐えることができます。

ポラゾンセメントの外壁。つややかです。

なぜ外観が赤いのかなと思っていましたら、館内に展示されている先コロンブス期の陶磁器をイメージしたものだそうです。

パラカス周辺の赤みがかった土で作られた、コロンブス樹の陶磁器。
周囲にとけこむ色合い。

ミュージアムのようなランドマーク建築の建築家の芸術作品でもあるので、設計者の好みや理念が先行する場合も少なくないと感じます。そのようななかで、このように収蔵されている展示物を模して建てられたミュージアム建築というのはなかなか珍しいのではないでしょうか。

つまりパラカスミュージアムは、ミュージアムの内側(に展示されているもの)と、外側(海と砂と風)、どちらにも近づけてデザインされているのです。
建物内は大きな窓や広々とした通路が多く、外側と自然につながっているように見えますし、実際に外へ出てみると、かつてパラカス文化が栄えた当時も吹いていたであろう風の音、海の匂い、鳥たちの声を感じることができます。

四角い箱のように見えつつも、中はけっこう開放的で、外とのつながりを感じます。

パラカスで発掘された出土品を、それらが実際に使われていたまさにその地で、周囲の環境とも古代パラカスとも繋がっているかのようなこの建物の中で見ることは、まさにパラカス文化が栄えた当時を追体験するイベントといえるでしょう。

わざわざピウラから起こしになったお客さんも、「来て良かった、実際に見ることができて嬉しい、とても感動した」と言ってくれました。

***

私の知人の何人かは、わざわざ日本からパラカスミュージアムへ遊びに来てくれました。
それ以外の日本人来場者をまだ見かけたことがないのが残念ですが、来てくれた知人は全員、「ここへ来て良かった、また訪れたい」と言ってくれました。
ペルーに来たらマチュピチュやナスカの地上絵だけではなく、パラカスまで足を運んでもらえるよう、そして地元の人にももっと身近に感じてもらえるよう、これからもパラカスミュージアムの広報を頑張っていきたいと思います。

それではこの辺りでアディオース!

~編集Oが選ぶ今週の一枚~

〈プロフィール〉
山本粧子(やまもと・しょうこ)
神戸市生まれ。大阪教育大学教育学部教養学科芸術専攻芸術学コース卒業。卒業後、国境の街に興味があったことと、中学生の頃から目指していた宝塚歌劇団の演出家になる夢を叶える修行のため、フランスのストラスブールに2年ほど滞在しながら、ヨーロッパの美術館や劇場を巡る。残念ながら宝塚歌劇団の演出家試験には落ち、イベントデザイン会社で7年半、ディレクターとして国内外のイベントに携わる。また、大学時代より人の顔をモチーフに油絵を描いており「人間とはなんだ」というタイトルで兵庫県立美術館原田の森ギャラリーや神戸アートビレッジセンターにて個展を開催。趣味は、旅行の計画を立てること。2016年からは韓国ドラマも欠かさず見ている。2023年秋より南米ペルーのイカ州パラカスに海外協力隊として滞在し、ペルーとジャガイモと人間について発信していく予定。