第13回|はる Meets タナカ
時は戻って2012年4月。はるがうちに来てからそろそろ2か月。春休みが終わり、新学期が始まって、ボクはほぼ毎日、大学へ出勤するようになっていた。
留守番の練習は完了している。7-8時間なら問題ない。webカメラで録画した動画から、留守番中はほぼずっと、お昼寝していることが確認できている。
朝、散歩に行き、昼間は大学へ行って仕事をして、夕方までに帰宅して散歩に行く。これが平日の生活パターンとして安定し、これで安心と思いきや、事件が起こった。
その日、帰宅して居間の扉を開けると鼻をつく異臭。何かと思えばあちこちにうんち、それも、いつもと違って形になっていないドロドロの下痢状態。よく見ると、鮮血のような跡もある。血便なのか?
はるはいつも通りに尻尾を振って迎えてくれるが、なんとなく元気がないように見える。
とりあえず大急ぎでうんちの付いたカーペット7-8枚を剥がして浴室へ持っていく。もしも粗相をしてしまったときのためにタイル式に変えておいたことが功を奏した。洗剤とブラシで洗い落としていくが、嘘みたいに血が混じっている。病気?
落ち着け落ち着けと自分に言い聞かせ、まずは散歩に行く。はるは排便こそしなかったが、いつも通りに歩いている。散歩から帰ってフードをあげると、いつも通りに食べている。
録画していた動画を再生する。早送りしていくと、お昼寝していたはるが起き上がり、うろうろし始めた。きゅんきゅんと鼻をならしている。そして居間の片隅でくるくる回ると、腰を曲げるうんちポーズに入った。動画ではよく見えなかったが、うんちが出たようだ。
いつもならそれで終わりなのに、うんちポーズが続く。うんちポーズのままくるくる回り、出したてのうんちを眺めている。臭いをかごうとしているようにも見える。またうんちが出たようだ。
一旦、出きったのか、うんちポーズを解除すると、今度はうんちのあたりを鼻で押すような動作をしている。土や葉っぱがあればうんちを隠せそうだが、ここは室内。何回かそうやって、隠せないと諦めたのか、その場を離れ、部屋の反対側のクッションで背中を丸めて寝始めた。
さらに早送りすると、数分後にクッションから起き上がり、また同じ動作を始めた。別の場所でうんちポーズを始める。さっきより長くかかっている。くるくる回り、うんちを出して、またうんちを隠そうとし、諦めて離れる。
これを5回ほど繰り返していた。繰り返すたびにうんちポーズの時間が長くなっていた。たぶん、もううんちは出ず、きばりながら出血していたのだ。
なんだかとっても申し訳ない気持ちになった。留守にしていてごめん、体調が悪くなっていたことに気づけなくてごめん。はるのお腹をさすりながら、ボクはなんども謝った。
幸い次の日の授業は午後からだったので、午前中に動物病院に連れて行き、診察を受けた。前日に採取しておいたうんちも持参した。獣医さんによると、腸内環境が良くなくて感染を起こしているとのこと。抗生剤を注射してもらい、下痢止めと腸内環境を良くするサプリを処方してもらった。原因は不明とのことだった。
薬はすぐに効いて、翌日にはうんちも通常の状態に戻ったのだが、ここから悪夢のような日々が始まった。
数日後、今度は深夜、寝ているときに物音で目が醒めた。寝室ではるがきゅんきゅんと鼻をならしている。動画で観たあれと同じだ。急いで着替え、家を出る。はるは猛ダッシュ、ボクも猛ダッシュ。公園に着くと、すぐにうんちポーズからの下痢便だ。間に合ってホッとしたが、また申し訳ない気持ちになる。はるは帰ろうとせず、夜中の公園を歩き、歩きながらうんちポーズできばり、血便。
翌日は午前中に授業があったが、なんとか朝一番に診察してもらい、抗生剤と薬をもらった。原因はやはり不明である。
良くなっては再発する。留守中に居間がうんちだらけになり、夜中に飛び起きて散歩に行く生活が1か月ほど続き、寝不足と心配でボクの疲労も蓄積していった。働きながら一人で子育てしているすべてのシングルマザーさん、シングルファーザーさんたちを心から尊敬した。
タナカがうちにやってきたのはそんなときだった。タナカはボクの従兄弟で、はるが来る前は、毎週のようにテニスをしたり、仲間同士で大島や八丈島に合宿に行ったりしていた。外資の大手銀行に勤めていたが、独立して起業すると決心していて、その相談にちょくちょく乗っていた。
うちには客室が1つ余っている。飲み会で終電を逃した友達が転がりこむ部屋になっていて、タナカも時々やってきていた。はるが来てからは誰も泊まりにきてはいなかったし、今の状況だとボクもそんな飲み会にはしばらく参加しそうにない。
そこで、会社を辞めて起業するなら、その準備をする間、しばらくうちに居候してはどうかとタナカに提案した。宿代、飯代はいらない。その代わり、はるの世話を手伝って欲しいと。
タナカはしばらく考えてからボクの提案を了承した。そして大きな荷物をもって、うちにやってきた。
その頃、はるは、知らない人に対してまだ強い不安反応を示していた。特に成人男性に対しては怯えることが多かった。怖がって吠えるかもしれない。第一印象が大切だ。
そこで、うちに入る前、玄関の外で、茹でたササミをタナカに渡し、部屋に入ったら速攻でちぎってはるにあげるようにお願いした。
ボクが先頭で部屋に戻り、でもその後ろに見知らぬ人がいることがわかると、はるは一瞬たじろいでいたが、すぐに鶏肉の匂いをかぎつけ、恐る恐るタナカに近づき、その手からササミを一切れパクっと口にすると後退りした。少し離れたところでササミを噛み、ぐっと飲み込むと、またタナカに近づく。ササミをパクっと口にして後退する。これを数回繰り返したら、もう後退りせず、タナカの近くでササミがなくなるまでもぐもぐと食べ続けた。
「魂を売った瞬間です」ボクは佐良先生の受け売りでそう言った。この日からタナカが、はるにとってボクの次に信頼できる、大事な家族になった。
to be continued…