9|ひやしカステラ、ひやしあめ
寿から如翺先生へ
◇ 真珠の目、黄金の鱗
「お茶にしましょう」
早いもので、もう八月。
今日は、煎茶の前に暑気払いのひやしあめをいただきましょう。麦芽水飴に生姜たっぷりのひやしあめは、京都に来て初めて知った上方の味。夏バテ気味の身に滋味がしみわたります。
とろりとした黄金色を喉に感じつつ、杉野遷山の「鯉図」をもう一度、眺めてみました。
ゆるゆると、たゆたう水に身をまかせた魚からは、確かに、龍門突破の覇気など微塵も感じられません。
画の上の賛も拾い読みしてみました。〈眼似真珠鱗似金…〉とあります(*1)。「真珠の目、黄金色の鱗」は、もう充分に満ち足りていて、まさに「魚=余」の風情。このうえ出世なぞ焚きつけられても、「やれやれ」と独り言ちたくなる気分は(個人的に)よくわかる気がします。
天心やフェノロサたちが、昇龍の如く、「いざ、『日本美術』を」と、意気軒高、大号令をかけていた東京から、まったりと時の流れる上方へ遁走した画家が、「あえて」自らを龍ならぬ魚に託してみせたのか、
などと妄想しました。
◇ 蝙蝠は夕暮れに飛翔する
冷茶の茶葉が開くのを待つ間に、娘が菓子を出してくれました。冷蔵庫で冷やしておいたカステラです。お気に入りのレトロな包装紙に目をやりましたら、おや、ここにも『音通』が!
カステラ屋さんの商標の蝙蝠は、「魚=余」「猫=耄」「蝶=耋」と同じく、「蝠=福」という吉祥文です。
蝙蝠紋は七代目市川団十郎(1791~1859年)が好んだことから、当時大流行したとか。江戸時代の流行といえば、南蛮渡来の縞模様もその舶来感覚が喜ばれたようですが、あるいは、蝙蝠も舶来感覚=文人趣味だったのでしょうか?
とりとめなく、そんなことを思ううち、ふと、先生のおっしゃる、
〈文字、文字、文字……と、絵を見ているのに文字を探り続けるこの感覚〉
こそが、文人の娯しさかと、一寸、腑に落ちた気がしました(掛軸とカステラとではレベルが全く違いますが…、笑)。
夏の夕暮れに音もなく飛ぶ蝙蝠は、俳句では夏の季語です。涼を感じさせる粋な柄として、今でも手描きの染め帯などで目にしますが、夏よりむしろハロウィンに身に着ける方のほうが多いのかもしれません。
思えば、なぜか蝙蝠が飛び回る下で、なぜか鹿を従えた老人が桃を持つ図など、「福(蝠)禄(鹿)寿(仙人)」と読み解けなければ全くナゾの画です。福禄寿やカステラの蝙蝠と、ジャック・オ・ランタンやドラキュラ伯爵の眷属とでは、象意は正反対となるわけですが…、
絵を文で読む娯しみが失われつつあるとすれば惜しいことです。
確かに、魚も蝙蝠も鹿も、解読コードを共有しなければ意味不明です。絵を観る時に感性だけではなく知性――読解力が求められるという点で排他的かもしれません。しかし、それは文人画に限ったことではありますまい。
例えば魚は、西洋でも単に魚を意味するだけでなく、しばしばキリスト教の象徴として登場します。さらにギリシャ語で「ΙΧΘΥΣ(イクトゥス、魚)」と記されていれば(魚にわざわざ「魚」と書かなくてもよさそうなものですが)、それは「ΙΗΣΟΥΣ ΧΡΙΣΤΟΣ ΘΕΟΥ ΥΙΟΣ ΣΩΤΗΡ=イエス・キリスト、神の子、救世主」の頭文字で、信仰宣言となります。
他にも、三叉槍ならポセイドンだとか、天秤は正義で、白百合は純潔だとか、西洋美術の象徴や寓意とて枚挙にいとまなく、ギリシャ神話や聖書の知識無しでは読み解けない作品は無数にあります。
◇ 「コード/暗号」からの自由
とはいえ、1853年に新大陸で生まれたアーネスト・フェノロサは、そもそもそんなコード満載の西洋の古典には目もくれなかったことでしょう。彼の青春時代は、おりしも欧米でジャポニズムが大流行していた頃でした。若者の眼には、古臭い欧州の伝統より、極東の異文化の斬新さがはるかに魅力的に映ったに違いありません。
一方、ちょうど同じ頃、アメリカでは中国人排斥運動が激化していました。1860年代に急増した中国人移民への反感は70年代に更に悪化し、1882年の排華移民法制定に繋がります。中国人移民の多くは苦力と呼ばれる肉体労働者でしたが、辮髪、中国服、中国語を捨てず、アメリカに同化しようとしないことから、白人の側には強い反中感情が生れていました。
そうしてみますと、フェノロサが南画を排斥した理由が、果たしてその芸術様式だったのか、国民だったのか、よくわからなくなって来ます。
天心・フェノロサの「日本美術を!」という言説の「政治」性も浮かび上がって来ます。
先生ご指摘のとおり、彼らが南画排斥を叫ばねばならなかったことは、逆に「そうではない現実」が厳然としたあったことを裏書きしているように思われます。
昭和時代に『放浪記』がベストセラーとなった林芙美子(1903~1951年)は、「南画と云ふものに就ては何も識りません」と前置きしつつ、こう言っています。
〈展覧会に油絵を観に参りますとすぐ疲れて参りますが、水墨には心慰められて帰つて来ます。さうして、水墨の絵のなかからは、絵の外にある色々な色彩の余韻までも感じて参ります。〉(林芙美子『愛情』昭和4年)
解読知識の有無にかかわらず南画が琴線にふれるという日本人は、彼女一人ではなかろうと思うのですが、……いかがでしょうか?
寿 拝
如翺先生
■注
*1 唐代の詩人、章孝標(791~873年)の七絶から。