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第12回|あの頃、そして今

行動分析学を取り入れた「犬との暮らし方」にまつわる連載。犬と生きていくこととは、犬を飼うとはいかなることか。保護犬はると行動分析学者ボクの生活から、そのヒントをお届けします。*マガジンページはこちら

◎第12回◎
出会った頃は元気に走り回っていたはる、そしてはるのお友だちアロー、タッチ、かいくんやシロちゃんも今や高齢犬。「この子達はあと何年生きてくれるんだろう」。そして、ボクがするペットロス対策とは。

「最近、耳が遠くなって」
「うちもです。段差でつまずいたり、よろけたりするようになっちゃって」
 歳をとるにつれて友達との会話には体調や病気の話題が増えるものだが、飼い主同士でもそれは同じだ。
「散歩中、同じ道を行ったり来たりするんですよ」
「ぼーっと遠くを見つめて動かなくなることが増えました」
「電柱に頭ぶつけるんです。もう心配で」などなど。

 はるも今年で13歳。犬年齢を人年齢に換算する方法はいくつかあるようだが、だいたい68歳くらいだろうか。いつの間にかボクを追い越して、もうおばあちゃんだ。加齢で衰えた肝機能を補助するホルモン剤や胃腸の働きをよくするサプリを飲ませ、雑菌から発症する膀胱炎を予防するために散歩から帰ると人の旅行用ウォシュレットで大事なところを洗浄している。あと数年もすれば本格的な介護が始まるだろう。

 幼い頃、毎日のようにじゃれあい、追いかけっこして、一緒に走り回っていた近所のアローくんも16歳になった。散歩で会えば今でも喜んで挨拶するけど、そのあとは一緒に公園の落ち葉の匂いを嗅いで回るといった高齢犬らしいお付き合いをさせていただいている。


 はるがうちに来た頃、ボクらは夜な夜な公園に集まってはお互いの犬同士を遊ばせていた。犬友の多くはたぶんそうだと思うのだが、お互い犬の名前しか知らないし、連絡先を交換することも稀だ。タッチの飼い主さんはタッチゃんママだし、ボクははるパパ。犬同士の相性で人同士がつながってできたグループだ。

 近所の公園は、大雨で川が氾濫しないよう、雨水を引き込んで貯めるようになっていて、そうなった後は消毒のために1か月近く閉鎖されてしまう。台風が続いて、夏の間ほぼ閉鎖されていた年もあった。
 そのせいか、この公園はまるで無法地帯だった。午前中はいつも決まったメンバーの大人たちが自前のテニスネットを張って遊んでいる。足元には白線が引いてある。たぶん彼らが自分で引いたんだろう。週末になると、それを見て真似したのか、子どもが自転車2台の間を紐でつなぎ、ネットに見立ててテニスをしていた。「バットは禁止」と掲示してあるのに、少年野球のチームの監督ががんがんノックしていたし、その横ではサッカーボールを土手に向けて蹴り上げる子どもがいたりして、色々なボールがあちこちから飛んでくる。その合間をケイドロをしている子どもたちが駆け抜けていく。自転車は乗り入れ禁止なのに、BMXというのだろうか、曲芸みたいな乗り方をして遊んでいる人がいれば、オリンピックでスケボー競技が注目されたときには、公園内にパイプやレールみたいなものを持ち込む人たちが現れた。まさに混沌だ。
 そんな状態だったこともあって、ボクたちは夕暮時くらいに集まりだし、日が暮れて子どもたちが帰った後に、犬を離して遊ばせていた。ボールを投げて取ってこさせたり、ボールを取った犬を取られた犬が追いかけたり、タオルの両端を咥えさせて引っ張りっこさせたり、犬同士が連れ立って植え込みのあたりを探索したり。
 ボクたちの犬には、吠えたり、知らない人に近寄っていったり、飛びついたりする犬はいなかった。犬同士で喧嘩することもなかった。たまにそういう犬がゲストとして立ち寄ることはあったが、飼い主さんが気を使うのか、次からは遠く離れて通り過ぎていった。

 犬が人と暮らしやすいように育つには、犬との社会化、人との社会化が欠かせないという。社会化とは、安全、安心に楽しく触れ合う時間を他犬や他人と過ごす過程のことで、これが十分に行われれば、他犬や他人を必要以上に恐れたり、不安になったりしなくなるそうだ。
 社会化には、臨界期と呼ばれる、その時期を過ぎると学習が難しくなる時期があるらしいが、諸説ある。はるがボクのうちに来たのは生後6か月以上経ってから。保護されたNPO法人みなしご救援隊の施設でも、そのあと佐良先生が預かってくれたアニマルファンスィアーズクラブでも他の犬と接触する機会が十分にあったはずだが、それでもはるは他犬を怖がることが多かったし、他人はなおさらだった。
 そんなはるだったのに、無法地帯の公園でアローやタッチ、かいくんやシロちゃん、彼らの飼い主さんたちと遊んでいるうちに、散歩で出会う他の犬や人もだんだんと怖がらなくなり、自分から近づいていくようにまでなった。臨界期を過ぎたからと諦める必要はないのかもしれない。

 コロナ禍になり、ボクたちの生活パターンが変化したせいか、公園に集まることはいつの間にかなくなった。無法地帯だった公園も、おそらく時々、近所の人からクレームが入るのだろう。少年野球のチーム練習はなくなり、スケボーやBMXの人たちも見かけなくなった。ボクたちが犬を遊ばせていた雨水を貯めるフィールドにも「犬禁止」の看板が立てられた。ボクたちの犬も皆歳をとり、1-2回ボール投げをしたら、もう終わり。引っ張りっこ用のタオルにはもう見向きもしない。


 あの頃が懐かしい気持ちはもちろんあるのだが、今のこのゆったりとした犬同士のやりとりも見ていて飽きないし、なんだか心がほっこりとする。そして、この子達はあと何年生きてくれるんだろうと時々思う。
 不思議なもので、はるが死んだらどうしようという不安は、飼い始めた最初の1-2年が最も強かった。突然ナーバスになって仕事が手につかなくなったり、涙が出てきたり、眠れなくなったりしていた。
 そこで、本当ならまだずっと先のペットロス対策として、はるが死んだらすることリストを作ってみた。登山やスキューバダイビング、海外旅行、下北沢で演劇を観た後に飲み明かすなど、はるが来る前にはしていたけど、はるが来てからはしていないこと、はるがいなくなったらやろうと思うことを書き出していく。

 不安がつのるときにはそれと反対の気持ちを引き起こせばいい。そう、これは、チャイムの音にはるが吠えないようにフードをばらまいたのと同じ手法。拮抗条件づけと他行動分化強化の合わせ技である。おかげで過剰な想像による不合理なペットロスはほぼ消失した。
 それでも、犬が出演する映画は感情移入し過ぎてしまいそうでまだ観られない。優里の「レオ」という曲は、滝沢カレンさんがラジオであれは犬の話だと言っていたのを聞いてからはもう聴けない。

to be continued

★プロフィール
島宗理(しまむね・さとる)[文]
法政大学文学部教授。専門は行動分析学。趣味は卓球。生まれはなぜか埼玉。Twitter: @simamune

たにあいこ [絵]
あってもなくても困らないものを作ったり、絵を描いたりしています。大阪生まれ、京都在住。instagram: taniaiko.doodle