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山本粧子の Hola! ジャガイモ人間~ペルーからコンニチワ~┃ 第19回
ブエノスディアス!山本粧子です。
前回に引き続き「私のマチュピチュへの道」後半いきます!!
いざ空中都市へ
翌朝、いよいよ世界遺産のマチュピチュ遺跡に向かいます。
宿泊していたマチュピチュ村から30分ほどバスに揺られ、ぐるぐると山を駆け上がって行くと(約400メートルほど標高が上がります)、マチュピチュ遺跡の入口に到着しました。
そこでチケットチェックを終え、ゲートを越えると、ひたすらあの有名な景色を目指して山の上へと歩いていきます。
標高の高さゆえ日差しが強く、酸素の薄いなか坂道を登っていかねばならないので、日除対策をしっかりとし、荷物はほぼ持たずに身軽な姿で行くことをお勧めします。
歩くこと30分、ついに! ガイドブックやテレビ番組で何度も見続けたあの光景が、目の前に現れました!
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マチュピチュ遺跡を目の当たりにして真っ先に頭に浮かんだのは「ルーブル美術館でモナ・リザを見た時の感覚と同じだ」ということでした。
つまり、あまりにも「世界遺産・マチュピチュ」の写真が脳裏に焼き付きすぎていて、そのイメージと目の前に広がる景色とを答え合わせしてしまっている自分に気づき、ちょっと嫌な気持ちになってしまったのです。
世界中の情報を瞬時に手に入れられる時代は確かに便利ですが、それと引き換えに、何の前知識もない新鮮な驚きや感動を得にくくなっているのは事実です。
けれども、燦々と降り注ぐ太陽を浴びながら(とにかく太陽が近いのです)、美しい絶景を背景に、遺跡の中をゆっくり歩くのは、最高でした。
そうしていると、これはやっぱりここへ来なければいけなかったなと、しみじみ思うのです。なんと言ったって、標高2400メートルの山間に残る15世紀の住居、見張り小屋、神殿、墓、段々畑などの遺構に直に触れ、インカの生活に思いを馳せることができるんですから。それはどんなにインターネットで知ったつもりになっていても得られない感動です。
こんな急斜面に、こんなに立派な都市が建てられていたんだ!
しかも、500年経った今でもこんなにきれいに残っているのか!
という驚きが、じわじわと込み上げてきました。マチュピチュ遺跡へ行くということは、まさにインカ体験アクティビィティだったのです。
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まだ謎の残る古代遺跡
マチュピチュ遺跡の中心へ行くために通る門の先には、ワイナピチュ山が見えます。
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「ワイナピチュ」はペルーの公用語の一つでもある先住民の言葉・ケチュア語で「ワイナ Huayna」+「ピチュ Picchu」=「新しい山頂」という意味で、「マチュ Machu」+「ピチュ Picchu」=「古い山頂」と対照的です。
私たちが慣れ親しんでいる世界遺産のマチュピチュ遺跡は、当時のインカの人々からは「ワイナピチュ」と呼ばれていた可能性のある証拠を発見したという論文も発表されており、もしかすると、現代人は100年以上も間違った名前でここを呼んできたかもしれないそうです。
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マチュピチュ遺跡の中で私の一番のお気に入りになったのは、太陽に向かって伸びているこちらの木です。近づいて見るとそんなに古い木ではなさそうだったので、現代人が植えたものだと思うのですが、強い太陽の光をいっぱいに浴びて、真っ直ぐ、歪むことなく長く生きることの素晴らしさを体現しているようで、いつまででも眺めていられそうでした。
このように、500年以上の歴史と、このような急峻な場所に都市を建設したインカの人々の思いを追体験するマチュピチュ遺跡滞在は、4時間にわたっても体感としては一瞬にして終わってしまいました。
日本からは相当遠い道のりですが、やっぱり1度は訪れて体験する価値はあると思います。
気候変動で現れた虹色の岸壁
ところで私は、マチュピチュ遺跡の他にも有名な観光スポットを何ヶ所かまわりました。
まず、マチュピチュ遺跡見学の翌日には、標高5000メートル以上もあるというレインボーマウンテンへ。
正直、マチュピチュ遺跡で強い太陽光を浴びながら4時間もウォーキングしたため目も痛いし、前々日から続く長距離移動にちょっと疲れており、「また午前4時に起きてバスに何時間も揺られて出かけるなんて勘弁して~」と、予約したツアーを諦めてホテルで休んでおこうかなという気持ちもよぎったのですが、せっかくの機会じゃないかと弱気に鞭打って予定通りツアーに参加したのです。
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正解でした。美しすぎました。ホテルで休んでいたら絶対後悔していました。
これは、クスコまで来たら絶対行かなければいけない(!)レベルの絶景。これぞ自然の驚異、未知の景色とはこのこと、という感じでした。
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レインボーマウンテンは気候変動のために氷河が融け、長年雪で覆われていた山々の表面が現れたらびっくり、様々な鉱物によって染まった山肌が色鮮やかで美しかった──という場所だそうです。
お目にかかれることを喜ぶべきではないのかもしれないと若干複雑な気持ちはあったのですが、目の前に現れた美しい光景にはどうしてもウキウキしてしまいました。
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山の尾根に沿って、赤や黄色や緑色に染まった地層が美しい三角形を描いています。思わず駆け寄ってしまいそうになりますが、標高が高いからあまりはしゃいではいけない、飛び跳ねたりしてはいけないと自制しながら、色とりどりの斜面をゆっくりと歩いていきました。おかげで、標高約5000メートルのところでも特に高山病の症状などは出ませんでした。
ミュージアムの同僚のホルヘが、高山病対策にはとりあえずレモンの飴をずっと舐めておくと大丈夫だと何度も言っていたので、言われた通りに飴を食べておいたのと、ツアーガイドさんが手のひらにアルコール(?)を垂らしてくれ、その手を2回ほどパンパンとたたき、両手で顔を覆ってしっかりと鼻からアルコールを吸うという謎の儀式のおかげかもしれません。
レインボーマウンテンは公開されてまだ10年くらいの新しい観光地だそうなので、これからもっと脚光を浴びそうな予感がします。
旅のクライマックス、太陽の祭り
さらに、その翌日は、今回のメインイベント「インティ・ライミ」です。
前回も少し触れたように、「インティ・ライミ」はインカ帝国時代の太陽の祭りで、インカ帝国の元旦にあたる冬至の日に、神に感謝を捧げ、翌年の豊作を祈る儀式でもあるそうです。
私は、クスコ市街のアルマス広場で、「太陽の神殿」から移動して来る祭りの集団を待ち構えました。
インカ帝国時代も、このアルマス広場でインティ・ライミと豊穣を願う儀式が開催されていたと聞くと、ここに日本人の私がいることの不思議さにちょっと鳥肌が立ちました。
当時は、歴代の皇帝のミイラを並べたりもしていたそうです。
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今回も世界各国からインティ・ライミを一目みようとあらゆる国の観光客が集結していました。
人が多すぎて、後方の人は普通に立っていても見えないため、約400円ほどで簡易イスを借りて、その上に立って見るというのが鑑賞スタイルなんだそうです。
不安定なイスの上に2時間も立っているのはこれまた観光というより訓練というか修行のような時間でした。
警察も出動し、観光客同士のいざこざの対応にあたっていました。注意喚起しているというよりは、それぞれの言い分を聞き、喧嘩の仲裁をしていました。ご苦労様です。
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大勢の観客と肩を寄せ合いながら、太陽に向かってケチュア語で歌い、叫び、踊り続けるパレードを鑑賞しました。
正直、ケチュア語で何を言っているのかさっぱり分からなかったのですが、燦々と降り注ぐ太陽の光を浴びた踊り子たちのカラフルな美しい衣装に目を奪われました。
太陽神に捧げられた子ども(役?)がいたのですが、現代では捧げられたフリですが、当時は本当に〝捧げられて〟いたんだよなあと考えると、これまた複雑な気持ちになりました。
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***
こうして私のマチュピチュ・クスコ旅は幕を閉じました。
実際に行ってみてよくよくわかったのは、このマチュピチュをはじめとしたクスコ近隣の観光を全力で楽しむためには、長時間の移動と高い標高に耐えるため、とにかく絶対的に「体力」が必要不可欠だということです。
今後もペルー各地を元気に見て回るためにも、健康維持に努めよう、元気でい続けるために何かを始めてみようと思いました。
日本から訪れる場合は、さらに輪をかけて移動時間が長くなるので、旅を計画している人はお互い健康維持に努めましょう。
それでは、今回はこのあたりでアディオ~ス!
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〈プロフィール〉
山本粧子(やまもと・しょうこ)
神戸市生まれ。大阪教育大学教育学部教養学科芸術専攻芸術学コース卒業。卒業後、国境の街に興味があったことと、中学生の頃から目指していた宝塚歌劇団の演出家になる夢を叶える修行のため、フランスのストラスブールに2年ほど滞在しながら、ヨーロッパの美術館や劇場を巡る。残念ながら宝塚歌劇団の演出家試験には落ち、イベントデザイン会社で7年半、ディレクターとして国内外のイベントに携わる。また、大学時代より人の顔をモチーフに油絵を描いており「人間とはなんだ」というタイトルで兵庫県立美術館原田の森ギャラリーや神戸アートビレッジセンターにて個展を開催。趣味は、旅行の計画を立てること。2016年からは韓国ドラマも欠かさず見ている。2023年秋より南米ペルーのイカ州パラカスに海外協力隊として滞在し、ペルーとジャガイモと人間について発信していく予定。