推し、板挟み。✿第23回|実咲
まひろ(紫式部)が越前で宣孝との結婚を決意した頃、都ではエライコッチャなことになっていました。
一条天皇の母詮子が病床に伏し、伊周・隆家の兄弟を陥れたという「心当たり」のある詮子は 二人の罪を許して都に呼び戻してほしいと願います。
道長は公卿たちの意見を集う陣定 (公卿の会議)を開き、二人の罪は許されることになりました。
なお、隆家は許しを得ると、あっという間に出雲からの土産だと干ししじみを手に帰って来たのですが、じつは病だと言って出雲まで行かず但馬にいたそうで。
こういう所に、隆家の世渡り上手なところがにじみ出ているかのようです。
隆家はこのずっと後に、生まれからしてみれば考えられない大仕事をするのですがそれはまだ先のお話です。
二人が許されたことにより、詮子は気が軽くなったのか小康状態になります。
一条天皇は詮子の見舞いに訪れた際に、「中宮(定子)を内裏に呼び戻します。これは、私の最初で最後のわがままである」と告げるのです。
さて、困ってしまったのが道長。一度出家してしまった定子を、内裏へ入れることはできません。
一条天皇は公卿連中から反感を買うでしょうし、それによって皆の心が離れてしまい、政がやりにくくなるのは困りものです。
それならば、と行成が出した助け舟が「職御曹司ではいかがでございましょう」というアイデアでした。
それを聞いた道長は、「その案で一条天皇を説得!!行成なら素直にお聞きになるはず!!」と頼み込むのです。
結局その日のうちに定子は職御曹司へ入り、ようやく定子に会い我が子脩子を抱くことができた一条天皇。
ここから先、一条天皇は夜になるとこの職御曹司の定子のところへ通うことになるのです。
この職御曹司というのは、大変にややこしいのですが、大内裏の中であって内裏ではない場所のことなのです。
まずは下記のリンクから、大内裏の中の内裏、職御曹司の位置関係をご確認ください。
そもそも、平安京というのは現在の京都市内を見てわかるように碁盤の目のようになっています。
その一番北側にあるのが平安宮。ここには、天皇の住まいと官庁群が立ち並ぶ、いわゆる王城とも言えるエリアで、全てをひっくるめて「大内裏」と呼びます。
そのさらに内側に、天皇が住む清涼殿や后たちが住む七殿五舎とも称される御殿があり、そこが「内裏」と呼ばれています。
『源氏物語』に登場する桐壺の更衣や藤壺の中宮、弘徽殿の女御という呼び名はそれぞれのキサキが住んでいた御殿の名前がつけられたもので、これらの御殿は「内裏」にありました。
ちなみに、〇壺というのはその御殿の庭に植えられている植物の名による通称で、正しくはそれぞれ淑景舎(桐壺)、飛香舎(藤壺)といいます。
定子は出家する前は、この内裏にある凝花舎(梅壺)に住んでいました 。
さすがにこの内裏の中に、一度出家して尼の身になったた定子を入れるのは憚られてしまいます。
そのため、内裏ではなくそのすぐ外側の職御曹司へ定子を入れることにしました。
ここは、中宮の世話や事務を担当する中宮職の庁舎だったので、今でいう所の宮内庁の建物に皇族の方が住まわれるという形です。
「光る君へ」では、この提案をしたのが行成になっていますが、実際にそのような記録は残っていません。
しかし、道長と一条天皇と公卿との板挟みが似合う男である行成は、やっぱりこの頃も胃が痛くなることばかりでした。
そもそも、この日行成は一条天皇の詮子の見舞いにまつわることを担当していたようで、前日は準備に奔走し、当日も雑事に追われています。
定子が職御曹司へやって来たのは本当にその見舞いと同じ日の夜の出来事であるので、もし行成が「職御曹司でどうでしょう」と言って説得や準備にまわることになったとすれば、とんでもなく忙しい一日になっていたことでしょう。
ほかにも行成は、板挟みへの対処に余念がありません。
この見舞いの日の少し前に、賀茂祭がありました。
現在でも平安時代と同じ5月に行われている、賀茂御祖神社(下鴨神社)と賀茂別雷神社(上賀茂神社)の葵祭として親しまれているお祭りです。
宮中で儀式がおこなわれた後、勅使(天皇の代理の使い)の行列が賀茂社へ向かってゆきます。
行列の一行は、ハート形の葵の葉を頭に飾っています。
その光景は華やかで、勅使に選ばれた若手貴族は当時の花形でした。
『源氏物語』でも光源氏が勅使となり、その光景を見ようとした葵上と六条御息所が車争いを起こすという場面が有名です。
さて、この年の葵祭の日。
道長の屋敷から公任と斉信は同じ牛車に乗って帰る所でした。花山法皇の住んでいる屋敷の近くに差し掛かります。
すると突然、花山法皇の屋敷から荒くれものが出てきて二人の牛車に襲いかかりました。怖すぎ。
当然問題になり、花山法皇の屋敷は検非違使(警察官)が取り囲み、犯人の引き渡しを求めますが難航。
事件から二日後にやっと差し出されることになりました。
この葵祭の日、花山法皇は牛車で祭見物を行っていましたが、急に屋敷へ戻ったそうです。
花山法皇に早く戻るようにと促したのが行成であると、歴史物語『大鏡』は書いています。
また、この事件について実資が『小右記』の中で、橘則光が朝廷に内通していたのではないかという噂を書いています。
第9回でもお話ししましたが、行成とこのお騒がせの花山法皇は従兄弟にあたります。
そして、則光は花山法皇の乳母子で腹心の部下ではありますが、同時に六位蔵人として蔵人頭の行成の部下でもありました。
花山法皇の身近な人物が、なんとか事をおさめようと、ここでも頭を悩ませながら奔走していたのかもしれません。
この時実資に噂を書き記されてしまった橘則光は、清少納言の離婚した元の夫になります。
「光る君へ」の次回予告では、その清少納言と行成のエピソードが描かれる予感が!!
ついに『枕草子』で行成が登場する「職の御曹司の西面の立蔀のもとにて」などの章段はこのあたりの時期の出来事です。
ますます行成オタクとして目が離せない展開と、板挟みっぷりも楽しみに待て次回!!