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山本粧子の Hola! ジャガイモ人間~ペルーからコンニチワ~┃第28回
ブエノスディアス! 山本粧子です。
ペルーには帰国しましたが、南米旅はまだ終わりません。11月下旬には、チリとの国境にあるペルー最南端のタクナ県へ行ってきました。
タクナにある児童養護施設の子どもたちに日本文化やパラカスミュージアムについて紹介する機会をもらったので、初めてタクナを訪問したのですが、美しく、素晴らしい街でした。
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今回はそのタクナの街と、とっても美味しかった食べ物について紹介したいと思います。
ペルーとチリの間で
タクナは、ペルーの中でも少し複雑な歴史を持つ場所です。
1880年の硝石戦争(1879~1884年にかけてボリビアとチリ、ペルーの間で争われた戦争。太平洋戦争ともいう)のさなか、アルト・デ・ラ・アリアンサの戦いで、ペルー領であったタクナはチリに陥落し、それから約50年間、チリ管理下に置かれていました。
それから月日が流れ1929年、アメリカ合衆国の介入のもと、ようやくペルーに返還されたのです。
つまり、タクナがペルーに戻ってきてからまだ100年も経っていないというわけです。
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正直に言うと、チリへ行ったこともなく、ペルー生活すらたった1年ちょっとの私には、タクナの街を数日歩いてみたからといって、タクナが他のペルーの地域に比べてチリの文化が入り混じっている場所なのかどうかということは残念ながら分かりませんでした。
チリの管理下にあったという歴史も、事前に知らなければ、街を歩いただけでは分からなかったんじゃないかなとさえ思います。
ただ、やはり国境の街ということで、市民の交流は多いようです。ペルーの方が物価が安いため、週末は、チリ人が生活用品や食べ物を買いにタクナへ訪れるそうですよ。
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ペルー図書館の父
タクナ出身といえば、現在私たちが使っている100ソル札の顔になっている元ペルー教育大臣、ホルヘ・バサドレ (Jorge Basadre)さんが有名です。
ペルーの国立図書館は1943年に火災に見舞われたのですが、その再建と図書館の再編成を行ったのが彼です。図書館を子どもたちが、学べる場所にしようと常日頃から考えていたそうです。さらに国立司書学校も設立したことから、「ペルー図書館の父」と呼ばれています。
(ペルーは何かにつけて「◯◯の父」とか「◯◯の母」という表現を使う傾向にある気が…笑)
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1903年、チリ管理下のタクナで生まれたバサドレさんは、タクナで密かに運営されていたペルーの学校に通っていました。
50年もの間、タクナの市民は、自分たちはペルー人であると権利を主張し、タクナがペルー領に戻る日を今か今かと待っていたそうです。
せっかくなので、彼のお家を訪ねてみました。
現在、お家は改装され、バサドレさんの巨大銅像や歴史資料が展示されているほか、美術展や陶芸のワークショップなども行われている入場無料の文化施設となっていました。
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彼のお家の目の前には、タクナのランドマークである放物線状のアーチと広場があります。
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広場には、本を読んでいるバサドレさん像と一緒に写真を撮れるベンチなんかもあって、この街の超重要人物なんだなと感じました。
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しかし実のところ、私は彼の顔が印刷されているこの100ソル札があまり好きではありません。なぜなら非常に使いづらいのです。約4000円の高額紙幣にあたるので、お店で使おうとすると、お釣りがないからといって受け取ってもらえないことが多いのです。
ペルーでは、バスを乗るにも、商店で買い物するにも小銭が絶対必要です。そのため、ペルー生活では日々できるだけ小銭を手に入れようと意識しながら買い物しています。
ほんのり甘いとうもろこしケーキ
滞在中は偶然にも、私が大変お世話になっているペルー女性画家の会の展覧会がタクナで行われていました。
その関係で、タクナ在住の画家カプジョさんに市内を一日案内してもらうことができました。
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タクナの街は美味しいものでいっぱいでした!
まず食べたのは、私のお気に入り、パステル・デ・チョクロ・ドゥルセ・デ・パチア(PASTEL DE CHOCLO DULCE DE PACHÍA、パチアのとうもろこしケーキ)です。
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パチアのとうもろこしケーキの始まりは、1950年代に遡ります。
タクナのパチア地区で作られるとうもろこしは、小さくて、柔らかくて、甘くて、粉砕しやすいので、ケーキにぴったり。
そのとうもろこしを使って、パチアにあるレストランのシェフ、マリア・ルイサさんが作り始めたそうです。
とうもろこしを牛乳と一緒にすりつぶし、バターとシナモン、アニス、塩、砂糖、ピーナッツを混ぜ込んだ生地に、レーズンを散らして1時間ほど焼いたものなのですが、ほんのり甘くて、食べごたえがありました。
店主曰く、小麦粉などのつなぎを使わずに作っているところがポイントなのだそうです。
ペルーのケーキは砂糖をメガ盛りにした甘すぎるものが多い中、このケーキは砂糖ではなく、とうもろこしの素材の甘さが優しく広がり、食べても罪悪感を全く感じない、この国では珍しいスイーツでした。
私のペルー生活の中で食べていたとうもろこしは、粒が大きく、白くて、甘味のないものが多かったのですが、パチアのとうもろこしは黄色くて粒が小さく、甘味があるようです。同じとうもろこしでも、地域によって大きさや、色、味が異なることがわかりました。
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歴史の重なりを象徴する煮込み料理
夕食には、タクナの郷土料理「ピカンテ・ア・ラ・タクネーニャ(Picante a la Tacneña、タクナ風ピリ辛煮込み)」をいただきました。
ジャガイモと臓物系の肉を辛く煮込んだこの料理は、タクナの歴史とともに少しずつ変化しながら現在の形になったといえそうです。
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ピカンテ・ア・ラ・タクネーニャの起源は、先住民が旅の途中、移動する先々でジャガイモと水を調達しては、家から持ってきた乾燥唐辛子や干し肉と一緒に煮込んで食べていたものだそうです。
それから、16世紀にタクナで馬やロバなどによる輸送産業が始まり、現在のアルゼンチンから働きにやってきた人々が自分たちの食料として雄牛も何頭か連れてきました。
彼らは雄牛を鉄板で焼いて食べ、残った内臓や足肉を地元の人に分け与えたのですが、タクナの市民はそれを食べる方法を自分たちで考えなければなりませんでした。
そうして開発されたのが、この料理。タクナで生産されるマリバ(Mariva)という紫色の皮と黄色い果肉のジャガイモと、牛の内臓や足、リャマやアルパカの干し肉、乾燥唐辛子を煮て作られた「ピカンテ・ア・ラ・タクネーニャ」というわけです。
まさに、元々自分たちが持っていた文化に新たな食材を掛け合わせ、イノベーションを起こした結果、タクナの郷土料理が生まれたのです。
南米各国をスペインから独立させるのに貢献した軍人、ホセ・デ・サン=マルティンがチリ独立に向けてアンデス山脈を越える際にもこの料理を兵士たちと食べていた、戦いに赴く兵士のための料理だったという話もあります。さらに、このピカンテ・ア・ラ・タクネーニャは現在、マラケタ(Marraqueta)というパンと一緒に食べることが多いのですが、これはチリでよく食べられているパンで、チリ統治下時代にタクナで広まりました。
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タクナの歴史が次々と結合され、現在のピカンテ・ア・ラ・タクネーニャが形成されたということです。
何百年もかけて変化してきた料理の味は、牛の出汁とピリ辛唐辛子のハーモニーが素晴らしく、それに負けないしっかりとした味のジャガイモとたくさんの内臓が食べられるパワフルシチューといった感じで、お腹がいっぱいになりました。
***
料理からは、ほんの少しだけチリ統治時代の影響を垣間見られましたが、当時のお話を在住者に聞くことはできませんでしたので、また機会を改めてもう一度タクナへ行かなければいけないなと思いました。
旅行先としては、とにかく美味しい食べ物がリーズナブルに食べられるのでおすすめです。陸路でチリへ国境越えできるところも魅力の一つかもしれません。
それでは今回はこの辺りで、アディオース!
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〈プロフィール〉
山本粧子(やまもと・しょうこ)
神戸市生まれ。大阪教育大学教育学部教養学科芸術専攻芸術学コース卒業。卒業後、国境の街に興味があったことと、中学生の頃から目指していた宝塚歌劇団の演出家になる夢を叶える修行のため、フランスのストラスブールに2年ほど滞在しながら、ヨーロッパの美術館や劇場を巡る。残念ながら宝塚歌劇団の演出家試験には落ち、イベントデザイン会社で7年半、ディレクターとして国内外のイベントに携わる。また、大学時代より人の顔をモチーフに油絵を描いており「人間とはなんだ」というタイトルで兵庫県立美術館原田の森ギャラリーや神戸アートビレッジセンターにて個展を開催。趣味は、旅行の計画を立てること。2016年からは韓国ドラマも欠かさず見ている。2023年秋より南米ペルーのイカ州パラカスに海外協力隊として滞在し、ペルーとジャガイモと人間について発信していく予定。