星の味 ☆5 “偶然の祝福”|徳井いつこ
夕暮れどき、散歩をしていると、薪の香りが流れてくる。
どこかの家で薪ストーブを焚いているのだ。
どの家かな……ときょろきょろする。木立を透かして、うっすらと煙が流れだしている煙突を見つける。
森のなかに点在する家々に、さまざまな形、大きさの煙突があり、屋根から室内に伸びて、薪ストーブにつながっている。
どのストーブの中でも、ちらちら火が燃えているだろう。
上には、蓋をずらしたシチューの鍋がことこと音をたてているかもしれない。そばには火の粉よけのラグが敷かれ、猫がまるまっているかもしれない。
チェコの詩人イジー・ヴォルケルが書いた童話に、「煙突そうじ屋さんのはなし」がある。
それはこんなふうに始まる。
「煙突そうじ屋さんは、真っ黒な顔で梯子を運んでいるだけではありません。幸せも運んでいるのです。これはだれもが信じていることで、とりわけコートにボタンがついている人たちはそう信じています。煙突そうじ屋さんを見かけたら、すぐについているボタンのうちのどれかをつかみ、望みを心のなかでつぶやけばいいのです。そうすると、その望みはかなえられます。なぜって、この習慣はずっとずっと昔から続いているのですから。そして煙突そうじ屋さんたちが通りをうろついているかぎり、人はそうしつづけることでしょう。もしこれが嘘だったら――この習慣はとっくの昔になくなっていたはずです。」
真っ黒な煙突掃除人と光るボタン。
星空みたいなこの組み合わせは、いまでもチェコやヨーロッパの国々で、望みをかなえる方法として信じられているらしい。
あなたが街を歩いていて、もし偶然、煙突掃除屋さんを見かけたら、自分の洋服のボタンをつかんで、こっそり願いごとを呟くだけでいい。
この迷信がすてきなのは、煙突掃除屋さんに出会うという偶然に支えられているからだ。
偶然は、ひとふりの魔法だ。あずかり知らないもの、思いがけないものの到来だ。その瞬間、人は驚き、喜び、感謝に満たされる。
願いごとが純粋な心情と合わさったら、それはもう実現への道を走りだしたようなものではないか?
「煙突そうじ屋さんのはなし」の主人公イェニークは、路上生活をしている小さな孤児だ。欲しい幸せは、ロールパン、回転木馬のチケット、死んだお母さん、籠いっぱいの林檎……と無限大。
ああ、煙突掃除屋さんとボタンさえあれば、とイェニークは思う。
でも、彼の破れたコートや擦りきれたズボンには、ボタンは一つもついていない。
どうやったらボタンを手に入れられるんだろう?
少年は夜の通りに立ち、ボタン屋のショーウィンドウに見入る。夜空に輝くきら星のごとく、色も形もさまざまなボタンがあった。とりわけ、貝ボタンの大きさ、美しさときたら!
ある日、その「星のようなボタン」をつけている女の子を見かけた少年は、後をつけて行く。あるいは願いの強さのせいだったろうか、ボタンはなんと取れかかっていて、じっさい転がって落ちた!
少年は大急ぎで拾いあげて持ち去り、ぼろ布の糸で自分のコートに縫いつける。そしてとうとう街角で、煙突掃除屋さんとの出会いがやって来る。
イェニークがボタンをつかんで、さあ願いごとを呟こうとした瞬間、弱いぼろ糸で縫いつけられたボタンはちぎりとられてしまった。
「イェニークは限りなく不幸でした。というのも、それが人のボタンを自分の幸せのために奪ってしまったことへの報いなのだ、とわかったからです。」
少年があまり泣きじゃくっているので、煙突掃除屋さんは戻ってきて、話しかける。
「ぼうや、いったいどうしたんだい?」
「君はどこの子なんだい」
「イェニークは、自分がどこの子なのかわかりませんでした。どこの子でもなかったのです。どこか頼れるところがあったら、どんなに暮らしやすかったことでしょう。」
哀れなこのお話は、このあと大転換を遂げてハッピーエンドへと導かれる。
「イェニークは空にもとどきそうな高い屋根に登りました。そこにある煙突は、いずれもみんなの家の竈に通じています。みんなもイェニークが好きでした。なぜならイェニークは、煙突をまるで鳥かごのようにピカピカに磨きあげるので、その下で作る料理もまた、まるでカナリヤのように清らかにできあがったからです。イェニークはみんなの家の火に通じる太陽と空気の通り道を美しく整えていったのです。これはいい仕事です。」
そう、イェニークは煙突掃除屋さんになったのだ。
彼のポケットにはいつも、いっぱいのボタンが入っていた。ボタンのとれている人にあげるために。ボタンのある人もない人も、みんな幸せになれるように……。
自分の幸せだけを願っていた少年は、“人を幸せにする”幸せを知る大人になっていた。
偶然の祝福がすみずみまで光っている物語。それが「煙突そうじ屋さんのおはなし」だ。
作者イジー・ヴォルケルは、物語の出版を見ないまま、23歳で世を去った。短い生ゆえに、残した童話や詩も多くない。
日本ではあまり知られていない彼の名を、私が昔から記憶していたのは、一冊の本(石に関するアンソロジー)の中で見つけた一篇の詩だった。
「巡礼のひとりごと」というこの短い詩にも、どこかしら不思議な恩寵の音色が流れている。
わたしは星が好きだ
道の上の石に似ているから
空をはだしで歩いたら
やはり星にけつまずくだろう
わたしは道の上の石が好きだ
星に似ているから
朝から晩までわたしの
行く先を照らしてくれる