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ゲイと家族 第3回|忍者赤影への恋|戸川悟

小石を投げ入れた静かな湖面のように波紋が広がりはじめた新連載『ゲイと家族』ですが、第3回からはいよいよ昭和後期回想編です。「いったいこの回想のどこが保守なの?」と思う方もいるかもしれませんが、「保守」のような全人格的で歴史的でもある概念は、生活から遊離した分かりやすい断定的物言いで共感してもらえるものではないでしょう。その意味で、戸川氏にできることは、自らの性的マイノリティとしての人生を、今の時点からとらえ直し、第三者に説明を試みることではないかと思うのです。(創元社note部)

男性が好きだと自覚したのはいつ頃からだろう?
人にはその人なりに、子どもの頃の性的な原体験というものがあるのかもしれないが、自分には頭の中で画像や動画としてよみがえってくる端的なイメージがいくつかある。
その1つとしてまず思い出すのが、中部地方のある町に住み、幼稚園に通っていた4、5才の頃、親が買ってくれた『子ども百科事典』の中に紹介されていた、古代ギリシャのオリンピック選手の挿絵だ。
 
そこには若い青年が真っ裸で円盤投げをする姿が描かれていて、鮮烈な衝撃をもって、その青年の裸に目が釘付けになったことを昨日のことのように覚えている。
大の大人が素っ裸で群衆の目前でスポーツに打ち込むなど、現代社会ではありえないことだが、子どもの自分にもそれくらいの社会常識はわかりかけていたし、その絵の「非常識さ」がどこか「いやらしい」とか「やっちゃいけないこと」という背徳感につながることも感じ取っていたような気がする。
今思えば、その背徳感のようなものが余計にその絵の衝撃性かつ魅力に繋がっていた気がする。
 
ちょうどその頃、テレビで放送されていた特撮ドラマが「仮面の忍者赤影」で、ヒーローの赤影に子どもなりの恋をしていたのも思い出す。純粋にかっこいいお兄さんを見る幸せを毎週放送があるたびに感じていた。当時、赤影が夢に出てきたことまで覚えている。
 
さらに大人の男性へのあこがれとして思い出すのは、首都圏の郊外に住んでいた小学校低学年の頃、当時20才そこそこだった、父方の一番若い叔父おじさんが、彼の友人太田さん(仮名)を連れて遊びに来た時の事だ。
叔父さんとほぼ同い年のその太田さんが家のお風呂に入っていた時に、私は太田さんの裸が見たいと本能的に感じたのかは覚えていないものの、風呂場の扉を開けてしまったのだ。
 
もしかしたら、せっけんがないから届けに行くなどの理由があったのかもしれないが、もはや思い出すすべはない。
その時太田さんは浴槽の外で腰かけて体を洗っている最中で、ちょうどタイミングよく、彼の全裸が私の視界に収まり、太田さんのペニスをおがむことになったのである。
その瞬間、はっきりと恥ずかしげもなく、私は「太田さんのおチンチンを食べちゃいたい」と叔父さんに向かって口にしてしまったのだ。
 
それが社会的にどう受け取られる発言かということまで、まだ十分思慮の行き届く年齢ではなかったので、思わず本能と本音にしたがい、言葉が出てしまったのだと思う。笑いを持って受けとめられたのと同時に、叔父さんはなんとも言えない微妙な反応をしていたのが記憶に残っている。
 
また小学校では、同級生のリーダー格の青山君(仮名)にひそかに憧れと恋心と言ってよい感覚を抱いていたのがこの頃だ。
青山君と自分はさほど親しいわけではなく、かっこよくて体格もよくてスポーツが得意な彼は、自分とは真逆の気質といった感じで、どちらかというと、遠くから見ている憧れの存在だった。ただ、なにかのきっかけで彼の家に遊びに行き、当時人気絶頂だったフィンガーファイブのレコードを青山君がかけて、彼が上手に歌えるのをうらやましく感じたのを覚えている。
 
ある時、彼が先生に怒られたか、上級生にいじめられたかで、珍しく壁に前のめりで寄りかかりしくしく泣いている場面があった。強いイメージの彼が泣いているのを見るのは初めてで、驚きでもあったが、どこかでそれが私にはとてもいとおしい姿に見えた。
即座に彼を慰める行動に出た私は、くやしそうに泣いている彼にずっと寄り添っていたが、それはレコードを一緒に聞いていた時とはくらべものにならぬくらい、幸せな時間だった。
その後短期間であったが、彼はそのことに恩を感じたのか、私に対して、とてもやさしく接してくれたのだった。
 
首都圏郊外の小学校生活は、友だちに恵まれ、水泳やピアノといった習い事にも熱心に取り組んでいた時期だ。私の人生ではとても充実して楽しい時期だったと言える。
交友関係も、この時期に特徴的なのは、男女を問わず、活発に付き合えていたことである。同級生の青山君への憧れはあったにせよ、同時にクラスの女子とも仲良く、ほのかな恋心を抱くこともあった。
 
小学3年のなかば、父親の転勤により首都圏から北陸の中核都市に転勤となって以降の高学年の時期になると、ホモエロティックと言える体験は影をひそめ、一人の同級生の女子を一途に好きになった。
根幹の性的指向は同性愛だったにせよ、当時はまだ自分の中での異性愛、同性愛といった指向はどちらにも向く柔軟性があったのかもしれない。同級生の酒井さん(仮名)を高校2年になるぐらいまでずっと好きだったという、まぎれもない事実がそれを物語っていると思う。
ただ、酒井さんへのおもいは思春期になるにつれ強くなっていたにもかかわらず、女子との恋愛については超奥手で、何もアクションを起こせなかったのである。
(つづく)