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第18回|クレート訓練を再開する
行動分析学を取り入れた「犬との暮らし方」にまつわる連載。犬と生きていくこととは、犬を飼うとはいかなることか。保護犬はると行動分析学者ボクの生活から、そのヒントをお届けします。*マガジンページはこちら。
はるとの旅行を計画し始めたボクはたちまち大きな壁にぶつかった。最近はそうでもないようだが、当時ペットと泊まれるホテルや旅館のほとんどが、客室内ではペットをクレートに入れておくことを条件としていた。ベッドや布団に上げることも禁止していた。はるはクレートには入りたがらないし、入れっぱなしにしたらがん吠えする。クッションで寝床を用意したとしても、夜中にポイッとベッドに上がってくるに違いない。このままだとレギュレーション失格だ。
そこでまずは正攻法として、クレート訓練を再開することにした。
はるにとってクレートは、入れられて、扉を閉められて、そうなると出られない、でもガンガン吠え続ければ出られる場所になってしまっていた。吠えを消去しようと3時間以上待ったこともあったが、一向に静まる様子はなく、可哀想になって止めてしまった。吠え続ければ出られることを逆に教えてしまったことになる。
クレートにはるが自分から入れるようにする。そしてそのためにクレートを恐れないようにすることから始めなくてはならない。なにしろ好物の茹で豚を中に入れても、尻尾を丸めて近づいては食べずにささっと逃げていくのだから。
クレートの扉を開け、中にはクッションも入れておく。そして朝夕の食事を、扉の外、30cmくらいのところに置くことにした。扉は全開のままにする。特に問題なし。怖がらず、警戒もせずに、ペロっと平らげる。成功だ。
同じ距離で成功したら距離を5cmくらいずつ縮めていく。すると扉まであと5cmのところで皿に近づかなくなった。上目使いで訝しげにこっちを見ている。一度、皿を撤収し、5-6分経ってから、今度は10cmのところに離して置く。欲張らず、1段階前に戻る。
犬の訓練をする山本央子先生や、子どもに指導をする奥田健次先生を、訓練や指導の現場で見ていると、このあたりの駆け引きが実に絶妙なことがわかる。犬や子どもの身振り素振りを手がかりにして、どこまでならできて、どこからは引いた方がいいのかを即時に判断されている。だから犬も子どももどんどん学んでいく。臨床家としての技術水準が高いのだ。
そんな技術を持ち合わせていないボクに残された手は、欲張らず、時間をかけて少しずつ教えることだ。
一度に5cmずつ移動し、失敗したら一つ前の位置に戻るという単純ルール。これが「だるまさんが転んだ」なら、絶対に捕まらないけどそのうちみんな家に帰って一人ぼっちになっちゃうような作戦だ。それでも1か月後には、クレートの中に皿をおけば、はるは自分から中に入って完食するようになった。尻尾も丸まっていない。
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次は扉だ。最初は山本先生に教わったように、はるがクレートの中にいるときに扉をしめたらすぐに外からおやつをあげる作戦を実行してみた。扉が開いているうちはおやつがもらえない。扉が閉まればおやつをもらえるようにする作戦だ。でもはるは、扉がしまると外から差し出すフードを食べなくなってしまった。何回か試したがうまくいかない。手順にどこか抜けがあるかタイミングが悪いかなのだろう。
そこで作戦を変更した。扉が完全オープンな状態から、毎日少しずつ閉めていくことにした。角度でいうと30度刻みくらい。はるがクレートに入ったと同時に、つまり注意がフードに向いている間に、ささっと閉じる。やはり1か月くらいかかったが、フードを食べている1-2分間は扉を完全に閉じられるようになった。
ここでボクは立ち止まる。今のところ訓練は順調だ。でもそれは、はるが扉が閉まっていることに気づいていないだけかもしれない。気づいて吠えたらアウト。吠えなくても扉を前足でひっかくなどしてもアウトだ。なぜなら、それで開けてしまったら、がん吠えすればクレートから出られることを教えてしまったように、再び、ボクが望んでいない「開けて」という要求を教えてしまうことになるから。
そこでここからは訓練の方向性を2つに分けることにした。一つは食事の時以外でもはるが自分からクレートに入るように、クレートの中におやつを時々入れておく作戦。このとき扉は開けたままにして閉めない。出入り自由だ。目指すは自分からクレートに入る回数を増やし、願わくばそこに敷いたクッションにごろっと寝転がって休むようになること。このために、おやつを入れておくタイミングや回数はばらばらにして、予測できないようにする。そうすれば、おやつがなくてもクレートに入ることになる。そして、そうなっても閉じ込められることはなく、自分で外に出ていけることを経験することになる。サークルの中でおやつやクッションがあるのはクレートの中だけにするのが前提だ。
もう一つの方向性は、扉を閉めたままでも「開けて」という要求が生じない時間を長くしていく作戦。このために、まずは食後は扉を閉めたまま、ボクがクレートの外に座り、食後のデザートとしてチーズの欠片を少しずつ与え、与え終わったら、はるがなにかしらの「開けて」動作をする前にボクが扉を開けることにする。そしてチーズが食べられるのはこの時のみとする。つまり、はるからすれば、チーズをもっと食べたいなら「開けて」どころかむしろ「閉めて」をしたくなるような状況をつくるわけで、ここにきてようやく山本先生に教わった作戦に近づいてきたことになる。
2つの作戦を同時に展開したので、どちらがどっちにどの程度効果があったのかは正直わからないのだが、おやつが入っていないときでも、はるはときどき自分からクレートに入り、寝転がって休むようになった。特にボクが就寝する23時頃、寝転がってテレビを観ているときにこうすることが多くなった。なんでもないようにクレートに入っていき、なんでもないようにゴロンと寝転んだときには「はるちゃん!」と心の中で叫んだものだ。
それでも一日の生活時間に占める割合からすれば、ほんのわずかだった。家にいる時間の大半をクレートの中で過ごす犬もいるというし、安心して過ごせるクレートのような暗くて狭い場所を提供した方がいいと書いてある本も少なくない。でも、はるにとってはどうやら、暗くて狭い場所より、部屋の中なら広くて明るい場所の方が居心地が良いようである。
食後にクレートの中に留まる時間を長くしていく作戦の方は、おやつが使える限りは成功した。チーズの欠片(2gくらい)を延々と与えている限り、吠えないし、クレートをひっかりたり、噛んだりすることもない。ただ、おやつを無限に与え続けるわけにもいかない。おやつとおやつの間の時間を少し長くすると、きゅんきゅんと鼻をならし始める。もっとはっきりした要求をする前段階の行動だ。例によって例のごとく、この間隔を少しずつ長くしてみたが、10秒以上は伸ばせそうになかった。
それでも、はるが来てからご無沙汰していた出張マッサージのテッシーを久しぶりに呼んだときには、約1時間の間、はるは扉を閉めたクレートの中で大人しく、ボクからチーズを受け取って食べていた。ただ、さすがにこれはボクにかかる負担が大きすぎると判断し、はるをクレートにずっと入れておくという目標は未達成のまま、ボクはそれを受け入れることにした。
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そんなこんなしている間に季節は秋を迎えようとしていた。タナカも我が家にやって来て、はるとの初旅行は2人と1匹で行くことになった。ボクは『るるぶ』やネットの情報から、クレートに入れなくても宿泊できる宿をいくつか見つけ、その中のいくつかと交渉し、掛け布団やシーツ、枕カバーなど寝具一式を持参して使えば布団やベッドにあげても目をつむるという条件を勝ち得ていた。
to be continued.
★プロフィール
島宗理(しまむね・さとる)[文]
法政大学文学部教授。専門は行動分析学。趣味は卓球。生まれはなぜか埼玉。Twitter: @simamune
たにあいこ [絵]
あってもなくても困らないものを作ったり、絵を描いたりしています。大阪生まれ、京都在住。instagram: taniaiko.doodle