*
はじめに
本書の表紙から目に飛びこんでくるのは、「悪人」「加害」「被害」などのネガティブなワードばかりだ。暗い、重い、とパスすることだってできたのに、あなたは本書を手にとった。なぜか?
「犯罪者」っていったいどんな人たちなのか、興味をひかれたから?
「なんで悪人の肩持つのよ? 」ってムカっときたから?
逆に、「サイテーなやつ」のことが、実は気になってる?
いや、「自分のことが書いてあるかも」と思った人だっていると思う。
理由は何であれ、あなたは本書を開いた。見えない境界線の前に立っている。
向こう側の世界には、椅子が円を描いて並んでいる。
その一つは、あなたの席。他者の言葉に耳を傾け、他者の痛みについて、またあなた自身の痛みについて考えていくための空間だ。
あなたは、今、その境界線を越え、向こうの世界に足を踏み入れようとしている。
著者である私は、1990年代にテレビディレクターとしてスタートし、2000年代からは劇場公開のドキュメンタリー映画の監督として、暴力の加害・被害をテーマに取材を続けてきた。取材や撮影の舞台は、刑務所や少年院など、いわば向こう側の世界であることが多い。最近はそうした場で、映像やアートを使ったワークショップを行うこともある。それらを通して私は、見えない境界線を浮かびあがらせ、その源をたどり、境界を飛び越えて向こうの世界とこちらの世界を行き来してきた。
受刑者や少年らと接していて常に感じるのは、次のようなことだ。
被害の経験が加害につながり、加害は新たな被害を生んで、暴力は連鎖していく。
暴力の連鎖は、いかに断つことができるか?
暴力に奪われた希望は、いかに回復することができるか?
正直に言うと、本書の話をもちかけられた時、躊躇した。暴力や被害・加害をめぐる本は、すでにたくさん存在しているからだ。そこで、10代の若者と被害者側・加害者側の当事者との対話を思いついた。それぞれの経験や感覚を語りあうことで、新しい何かが生み出されるに違いない。想像するだけで、ワクワクした。
とはいうものの、対話を成立させるのは容易ではない。ましてや、年齢も背景もまったく異なる初対面の人々が、いきなり被害や加害をめぐって語りあうのだ。
悩んだ末、対話を5回重ね、次第に深めていくことにした。筆者がファシリテーター(=司会・進行役)を務め、第2回〜第4回はゲストを迎える。ゲストとは綿密に内容を検討し、ワークを実践した回もあれば、予定外の話題で盛りあがった回もある。毎回、ゲームなどのアクティビティも用意し、緊張をほぐす工夫も凝らした。
本書は、そのような対話のリアルな記録だ。コラムや巻末の「作品案内」も参考にしつつ、あなたもこの場に参加しているつもりで読み進めてもらえたらうれしい。
それでは、そろそろ席について、対話を始めよう。
*
*